初めて葵の心の深いところに触れた。そんな気がした。
彼は、聴力を失ったその日も、涙を流すことも喚くこともなく、どこか遠いところを静かに見つめていた。
葵の瞳には、世界がどんな風に映っているんだろう。
一度でいいから共有してみたいと、幼いころから思っていた。
彼が心から笑っていたのは、昼休みにカノンを弾いていたあの時間だけだった気がする。
葵は、私にとってとても眩しくて、憧れの存在だったと同時に、自分に劣等感を抱かせる存在でもあった。
私にはできないことをいとも簡単にやってみせる。悔しいけれど、私には、葵の弟の気持ちが分かってしまった。

「なぁ、美術品破壊事件、まだ続いているらしいよ」
空き教室にて、遠藤ちゃんと二人で模試の自己採点をしていると、日吉が神妙な面持ちでやってきた。
日吉とは、葵の予知通りあの後ちゃんと謝って仲直りした……というよりは、日吉は次の日にはケロッとしていてなにごともなかったかのように話しかけてきた。この人はそういう男なのだ。
赤本の丸付けをちょうどし終えて、一息ついたところでよかった。時間を計って問題を解いている時だったら殴っていたかもしれない。
日吉はガタガタと椅子を引いて、遠藤ちゃんと私を対角線で結んだちょうど真ん中あたりに勝手に座り始めた。
「犯人誰だと思う? 俺は同じ美術部の生徒だと思うね。受験ストレスが原因なのは十分ありうる」
「白戸ちゃん、何点やったー?」
「ギリギリ五割や……だめだあー」
「俺だってなあ、毎晩親からプレッシャーかけられて、たまに癇癪起こしそうになる日あるけん」
私達が話を聞いていようがいまいが彼には関係ない。
日吉は今自分が思っていることを発信せずにはいられないらしい。
完全に無視して採点を進めていた私と遠藤ちゃんだが、さすがに日吉がひとり舞台をしていて怪しく見えてきたので、適当な相槌だけは返してあげることにした。
すると、日吉は何かを思い出したように、私の方を見て「あ」と声を上げたので、私は「げ」と言葉を返した。
「まだ何も言ってないんにその反応はどういうことや」
「ごめん、なんか嫌な予感がして……」
「葵さ、最近夜中に何してるん? 昨日深夜に家抜け出して図書館の方角向かってってるの見かけたぜ」
「え……、葵が?」
寝耳に水な話に、私は思わず身を乗り出してしまった。