「そっか。それなら、よかった」
なにがいいのか、私にはサッパリわからないけれど。
彼は突然、ヒョイ、と身軽に立ち上がると、私に向かってゆっくりと歩いてきた。
な、なに……?
一歩、また一歩。
ほんの数歩のそれさえも、とても長い時間に感じてしまう。
「――っ」
けれどそんな私の想いとは裏腹に、彼は、緊張で身体をこわばらせていた私の目の前を通りすぎると、背後のピアノにそっとふれてから、ゆっくりと私に向き直った。
「今弾いてたの、なんて曲?」
再度紡がれた言葉に、目の前が真っ黒に染まる。
……やっぱり、聞き間違いじゃなかったんだ。
私が、ここでピアノを弾いていたこと。
私の演奏を……目の前の彼に、聴かれてしまった。