「──っ」


流れるように動く指先は次々と音をとらえて、ひとつの曲を作り上げる。

誘うように跳ねて、揺れて、留めて、放つ。

思わずこぼれた笑みにも気づかずに、私はただただ、弾くことに没頭した。

大好きな音が、私の身体を包みこむ……。

大好きなメロディーが、私の思考を埋めつくす、この瞬間だけ。

ピアノを弾いている瞬間だけは、嫌なことも苦しいことも、なにもかもを忘れることができた。

だれもいないこの場所でなら、心の奥に閉じこめた、“本当の自分”に戻ることができる。

数年前に、置き去りにした想いを、忘れることができるような気がしたんだ。