うげえ、マジで吐きそう。
いよいよ視界がぐらりと傾きかけたとき、いきなり声をかけられた。それとセットで、からからと、気持ちのいい音も聞こえた。自転車の車輪がまわる音だ。
「おい、奈歩」
こういうタイミングがいちいち絶妙だから、みっちゃんにはどうにもおかしな運命を感じてしまうんだよなあ。
「びっくりしたぁ」
「ひとりで帰んの?」
サドルにまたがったままのみっちゃんがふわっと笑う。のろのろ走っているせいでいまにもバランスを崩してしまいそうだ。
「なに、さみしい?」
からかうように言った。
「うっせえ」
みっちゃんは肯定も否定もしないで笑い飛ばした。
その顔を見てたら、不思議と、気持ち悪いのなんかどこかへ飛んでいってしまったよ。ああ、みっちゃんはわたしのクスリだって思った。
吐き気止め。頭痛薬。胃薬。いろいろ兼ね備えた、安定剤。手放せない常備薬。
ふいに、キュッと小さな音が鳴いた。隣にならんでいる黒の自転車が前進するのをやめていた。
「乗る?」
夕日を浴びながらこっちを向いているキタキツネを眺めながら、変に泣きたい気持ちになる。
ああそうだ、わたしは、みっちゃんにすごく会いたかったんだ。
いつも、みっちゃんに会いたいんだ。
「乗るっ」
心にぽっかり、穴があいているよ。
勝手に死んだおじいちゃんがあけた穴。
悪魔になった伯父さんがあけた穴。
どんどん拡がるこの穴を、わたしは、みっちゃんという万能薬で埋めようとしているのかもしれない。きっとそう。
でも、チガウよ。
みっちゃんは、違う。おじいちゃんとは違う。伯父さんとは違う。みっちゃんは、ほかの誰とも違う。
みっちゃんは悪魔にはならない、こわいことなんかない、ダイジョウブ、みっちゃんが、そう言ったんだ。
いつもの帰り道、いつもの学ランにしがみつきながら、いつもの景色をさえぎるように、わたしは目を閉じた。
このまま遠くへ行ってしまいたい。新幹線の距離の九州なんかよりずっと遠い、遠い、遠い、どこか違う場所へ、みっちゃんの自転車で。