昼過ぎから用事のあるらしい奈歩に合わせて、正午の少し前に月のしずくを出た。店に入ったとき、オーナーさんの変化のなさに驚いていたが、近くで見ると少ししわが増えているようにも思える。
変わらないようで、きっと、すべては少しずつ変わっている。
「大人になったなあ、きみたち」
帰り際、低く落ち着いた声にそんなことを言われた。9年間も足を運んでいなかった客のことを覚えてくれているオーナーさんは、根っこの部分はやっぱり変わらないのかもな、と思った。
溶けかけた雪の上をならんで歩く。うへえびちょびちょ、と奈歩が口をひんまげる。雪だってわかっていたのにパンプスを履いてくるやつがいるかよ。根っこの部分は変わらない。やっぱり奈歩は、歩くのがへたくそだ。
駅で別れる寸前、奈歩は思い出したように鞄をあさりだした。そしてなにかをこっちへ差しだす。
「これ、実家片付けてたら出てきたの。卒業式の日に書いたやつだと思う」
水色の封筒だった。まんなかに書かれた『みっちゃんへ』という丸っこい文字が少し色あせていた。
「ぜんぜんなに書いたか覚えてないんだけど。でも、18歳のわたしがせっかくみっちゃんに書いたんだから、みっちゃんに処分してもらおうと思って」
読まなくてもいいけど、と、奈歩は拗ねたように言う。そして笑う。読んでね、と。どっちだよ。
「じゃあね、みっちゃん」
「じゃあ」
「またね」
「またな」
少しの間があいて、先に歩きだしたのは奈歩のほうだった。ベージュのコートに包まれた背中を見送る。痩せたよな。肩が小さくなった。それでも、たくましくなったよ、本当に。
「奈歩っ」
思わず呼び止める。つやつやとした黒髪のワンレンボブがはじかれたように振り返る。
「おれも、奈歩と出会ってから、ずっと幸せだ」
精いっぱいの気持ちを込めて言った。らしくないと思わているかもしれない。でも、本当のおれは、こうなんだ。
「なあ、きっとさ、世界でいちばんだよ」
数メートル先の奈歩はしばらく目を見開き、やがてそのかたちをきゅっとすぼませた。
「わたしも!」
奈歩は凛とした声で言った。