野菜の味がしみこんだうまいカレーライス食べながら、実にいろんな話をした。会っていなかった9年分を埋めるように。あのなつかしい日々へ引き返すように。
奈歩はいま名古屋でウエディングプランナーをやっているらしい。大阪で働いているものだとばかり思っていたから、こっちに帰ってきていることにまず驚いた。
ウエディングプランナーは意外、と言うと、わたしも意外、というヘンテコな答えが返ってきた。3年も続くと思っていなかった、と。卒業からの計算が合わないことを指摘すると、大学を1回留年したんだと、恥ずかしそうに告白された。
「大学でなにがしたいのかわかんなくなっちゃって。この4年間ってほんとに必要なのかな?って考えてたら、1年まるっと学校行けなかったんだよね。2年生、ハタチのときの話だよ。若かったね」
情けない話だと奈歩は力なく笑うけど、そうだなとおれも笑ったけど、心のどこかでうらやましいと思っているのが本当のところだ。
きっと、大学に行きながらそんなことを考えている若者は少ない。そんな疑問を自身に投げかけているやつは少ない。そのせいで学校に行けなくなり、ダブるやつなんかもっと少ないだろう。
わたしは、自分の人生を妥協せずに生きているのだ――そういう生き様を見せつけられた気がした。
生まれてから27年間、妥協と折り合いだらけのおれには、偏差値の合う高校へ入学し、ねらえる範囲の国立大を受験し、言われるがままに院へ進み、すすめられて入った企業に勤めているおれには、きっと逆立ちしたってこんなことは真似できない。
なんのためにどう生きるのかとか、いままでに1ミリでも考えたことあったかな。
奈歩の生き方が好きだ。
生き方というより、彼女のそれはまさに“生き様”だ。
そういう奈歩は、こんなおれにとって、ある種の憧れだったように思う。
何気ない言葉が、行動が、独特で。はじめはとにかく変なやつ、すげえ自由なやつって印象だった。きっとなんにも考えないで気ままに生きてるんだろうなあって、出会ったころは勝手に解釈していた。
でも、彼女を知れば知るほど、それは違うってことをまざまざと思い知らされていって。
自由にいたいから、妥協したくないから、考えすぎて、悩みぬいて、常に闘うことをやめないでいる。大切なものをまじめに大切にする奈歩は、たぶん少しだけ苦しい生き方をしていた。
決して力を抜いて流れに身を任せない彼女がいつか荒波に飲まれてしまうんじゃないかって、おれはいつも気が気でなかったよ。