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名古屋の本社への出張は半年に一度あるかないか。それなのにこんな大雪の日にぶち当たるなんてついてない。レザーの足元が悲鳴を上げている。

数年ぶりに白く擬態した都会の街を、黒い革靴で足早に歩いた。

いつから都会の速度にまぎれられるようになっていたっけな。いつから自転車に乗らなくなり、いつから空を見上げなくなったんだっけ。

こうして他人の渦のなかにいると、たまにそんなくだらないことを考えてしまう。そのたび、おれは大人になっちまったんだと妙に実感して、さみしいような気分になる。


ふと、白い景色のなかに、黒いかたまりが見えた。しゃがみこんでいるような――うずくまっているような。

ふだんのおれなら絶対に声なんかかけない。それなのになぜ足を止めたのかはわからない。

まだ時間に余裕があったからかもしれない。変に感傷に浸ってしまったせいで、都会に無視され続けているこの人をかわいそうに思ったからかもしれない。

それとも――なんとなく見覚えがある、と直感的に思ったからか。


「大丈夫ですか?」


ダイジョウブデスカ。あまりにぎこちなくて笑いそうになる。


「え……?」


女性だった。その人は、白い雪をテンテンとくっつけた頭を、やがてのっそり上げた。そして薄いラメで彩られている目をまぶしそうに細め、おれをじっと見る。

しばらく目が合っていた。白すぎる肌に雪が落ちては溶けていくのを、そのあいだ、おれはどこか現実味のない気持ちで眺めていたと思う。


「……えっ?」


彼女は驚いたように目を見開いた。

え?


「みっちゃん!?」


みっちゃん。おれのことをそう呼ぶ人間は、この世界でたったひとりしかいない。


「……奈歩」


考えるより先に呼んでいた。とたん、名前の主は顔じゅういっぱいになつかしさの色をにじませた。肩より上でそろえた黒髪が揺れるのを見て、髪型がずいぶん変わっていることにようやっと気付く。

やだ、うそでしょ、こんなところで会うなんて信じられない、ていうかみっちゃん変わらなさすぎでしょ、笑っちゃいそうだよ、奈歩はいろんなことをいっきに言った。うるせえ。こっちが口をはさむ暇もない。


「ねえ見て、みっちゃん、ブーツのかかとが折れちゃったの!」


奈歩だってちっとも変わらない。笑っちまいそうなのはこっちだよ。

右足を持ち上げながら楽しそうに笑う奈歩は、18歳のころの彼女そのものだった。