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どうだあ、とひとり言のような声を出しながら、眼鏡の奥のつぶらな瞳がわたしをゆったりと見た。


「まだ、オーストリアが最終目標か」


薄いくちびるが右上に向かってクイッと動く。同年代の男の子みたいにからかうんだな。50歳のおじさんのくせに。


「うん。だから外国語大学に行きたいなぁと……思ってて。ぼんやりだけど」

「なるほどな」


たぷたぷの二重あごをさわりながら、担任の大川先生は深くうなずいた。


「ところで川野、オーストリアってのは何語しゃべってんだ?」

「嘘でしょ、先生、仮にも高校の教師やってるんだからそれくらい知っといてよ」

「いいんだよ。俺は国語が専門だから」


だからといってそりゃないよ、と言いかけたのを、ドイツ語だよ、と素直に答えておく。大川先生に教えてもらう古典の授業は世界一わかりやすいと思っているから。先生は国語のことだけ考えてればいいね。


「まあ俺は、川野に関してはあんまり心配してないよ」


重たそうなお腹をさすり、大川先生がニヤリと笑った。


「おまえは意思のある目をしたやつだからな。もう何年も教師やってきて、いろんな子どもたちを見てきたけど、こういう学生ってのはなかなかめずらしいんだ」


これって褒められているんだと気付いて、ふたりきりのだだっ広い教室が急に居心地悪くなった。


「とりあえずやりたいようにやれ。困ったときは頼ってこい」


大川先生が担任でよかった。

進路指導の先生だから受験の相談がしやすいってのもある。1年生のときも正担任としてお世話になったから、いろいろ気楽ってのもある。


「おまえはバカに見えて、意外とそうでもないからなぁ」


でもいちばんは、こういうところ。

先生こそ、クールに見えて、意外とそうでもないよね。どちらかというと熱血漢だよね。生徒のことちゃんと見てくれて、さりげなく、助けてくれるよね。

大川先生が担任でよかった。そう言ったら本気で照れて憎まれ口をたたいちゃう50歳を、けっこう尊敬もしている。