「すみません、もしかしてご存知じゃなかったですか? 私、川越(かわごえ)の娘です。『川越テック』の」



小ぎれいな会議室で、対面に座る女性の顔をまじまじと見つめ、そこにあの寡黙な社長の面影を見出したとき、思わず「あ、…え!?」と意味の通らないことを口走った。

すっかり混乱し、言葉が出てこない。

そういえば、彼女も"川越"だ。

娘のほうがくすくすと笑う。



「そうですよね、私のほうはね、家でも生島さんをお見かけしていたんで、すぐわかったんですけど。親たちは叱っておきました。不躾なお話をしてしまって、失礼しました」

「あの、いや、僕のほうこそ、いいお話を、申し訳ありません…」



なに言ってんだ俺、と突っ込みながらも、頭の中がまとまらない。

まさかこんな形で当人と出くわすとは思わず、というよりすでに出会っていたとは思わず、背中を嫌な汗が伝った。



「私ね、つきあってる人がいるんですよ、でもなかなか挨拶に来てくれなくて。それで両親の中では、いい加減な男として認定されちゃってるんです」

「お相手は、おいくつですか?」

「同い年です、お互い今年から働きだしたところで」



それは…一番難しい年齢かもしれない。

気軽に彼女の家に遊びに行けるほど子供でもない、覚悟を固めて将来の話をできるほど大人でもない。

相手の男に同情する気持ち半分、男なら大事な彼女をこんなことで悩ませるなよと言ってやりたい気持ち半分だ。



「そんな、挨拶なんてされたって、こっちだって彼と結婚する気なんて、まだないのに」

「はは、そのへんは本人たちに任せてほしいですよね」

「生島さんもお相手、いるんでしょう? 結婚とか考えます?」



契約書を相手側に向けて並べ、胸ポケットからペンを取り出しながら、郁実の顔を思い浮かべた。

浮石に足を乗せるみたいに、いつも様子を見ながら、このくらいなら許されるかな、と加減しながら甘えてくるところのあった郁実。

最近ようやくそれがなくなって、全力で寄りかかってきてくれているのを感じる。

健吾のそばで、心から安心しきってくれているのがわかる。


それはもしかしたら、郁実がずっとしたがっていた行為を、ようやく成し遂げたことが直接のきっかけになっているのかもしれなかったけれど。

それでも健吾は、高校生である郁実とそういうことはしない、という姿勢を貫いたことを、後悔してはいなかった。

郁実の不安を感じつつも、それをそういうもので埋めてしまうのは嫌だった。


卒業するとわかるが、高校生活というのは、生まれ育った場所と学校のみで世界が形成される、最後の期間だ。

郁実は両親こそいないものの、びっくりするほどちゃんと育てられた、きちんとした子だ。

そういう子にふさわしい、純粋な高校生活を送ってほしかった。