幼いわたしの体操に合わせ、少し調子っぱずれに音楽を口ずさむお母さん。
電動ヒゲ剃りをあごに当てながら、足だけで小さくリズムをとるお父さん。
他愛ない、けれど楽しかった朝の光景。
昔のことをなつかしく思い出していると、ノアがわたしの肩にそっとコートをかけた。
「行こう」
当然のように差し出される手。
「………」
この優しい手を、握りたいとわたしは思う。そして、離したくないとも思ってしまう。
遠い日に置いてきた温もりを、たぶんわたしは、この手に重ね合わせているんだろう。
おずおずと出した右手を、ノアがつかんだ。温かい。胸の中まで陽だまりに包まれるような感覚を覚えた。
ノアは、不思議だ。彼の隣にいるわたしは、心がひどく無防備になる。
安心するような、なつかしいような……。
けれど、ちょっと切ないんだよ、ノア。
名前すらも知らない君の、温もりだけをわたしは先に知ってしまったから。