たしかに彼は、“死”とか“生き返った”とかいう部分に対してのみ、否定的な反応を示していた。自分が犬じゃない、とは一言も言っていない。
でも、ちょっと待って。それじゃ話が合わない。
犬のノアは、わたしが十歳のときに死んだはずだ。
「タマちゃん。よく思い出して」
わたしの疑問を読んだかのように、ノアが言った。
記憶の糸を必死にたぐり寄せる。
あれは十歳のとき――。
そうだ、わたしたち家族は今のマンションに引っ越すことになり、ペットが飼えないために、犬のノアを泣く泣く手離したんだ。
たしか、東京よりずっと寒い地方の家に引き取られたのだと覚えている。
わたしたちは離ればなれになり、それ以来、ノアには会えなくなった。
わたしはもう一度ノアと暮らしたくて、いつまでも未練がましく引きずっていると、ある日、親が言ったんだ。
――『環。ノアはね、病気で死んでしまったんだって。だからもう、会えないの』
あれは、親がわたしのためについた苦しまぎれの嘘だったのかもしれない。
だけど幼いわたしは、犬のノアが本当に死んだのだと信じきっていたのだ。