「そこで何、してるの?」


 話しかけるか話しかけるまいか、考える前に言葉が飛び出した。教室以外での不意打ちの出会いに、わたしは驚いていた。文乃がめくれ気味の分厚い唇をもごもごと動かす。


「待ち合わせ」

「こんなとこで? 誰と?」

「んー、友だち?」


 もっと驚いた。文乃に友だちなんて一人もいないと思ってた。


「そっか。一緒に帰るんだね?」


 好奇心からその場を立ち去りがたくて、会話を続けた。さっさとボールを取りにいかないでここで待っていたら、文乃の友だちに会えるかもしれない。文乃がわたしの言葉に小さく頭を動かした。冷たい夕方の風が吹いて、つやのないごわごわしてそうな髪が揺れる。


「わたしは、ボール取りにいくところなの」


 文乃は反応しなかった。蹲ったまま、視線を足元の、なんにもないアスファルトの上にさまよわせている。


「間違えて、外にやっちゃって」


 文乃はやっぱり反応しない。


 いじめの被害者と傍観者に分かれ、疎遠になってしまったわたしたちは、しゃべろうとしてもいつもこんな感じで会話が全然続かない。昔はもちろん、そうじゃなかった。わたしはまだ、文乃と交わしたいろんな言葉を覚えている。


「ねぇねぇ、きえちゃんって大人になったらファッションデザイナーになるの?」


 小二の図工の時間、文乃はそう言った。画用紙に「大人になったらなりたいもの」って題で絵を描く課題で、隣の席の文乃が短い首を伸ばしてわたしの画用紙を覗き込んでいた。三月の初めのあったかい日で、窓からやわらかい金色の日差しが差し込み、文乃が着ていたたんぽぽ色のセーターがところどころ金色に光る。このわずか数か月後、わたしと文乃は大きく隔たってしまうんだけど、文乃もわたしも、この時はまだそんな運命は知らない。


「違うよ。ファッションデザイナーじゃなくて、洋服屋さん」


 画用紙の中の大人になったわたしの背景には、いっぱい服が描いてあった。赤い花柄のブラウス、ピンクのドット柄のスカート、緑のストライプの帽子。カラフルな服たちはそのまま、小さいわたしが無邪気に想像していた幸せいっぱいの未来そのものだった。


「洋服屋さん? この前はお菓子屋さんって言ってなかった?」

「それは、今のなりたいものランキング三位。今のきえのなりたいものランキングは、三位がお菓子屋さん、二位がパン屋さん、一位が洋服屋さん」


 週ごとになりたいものが変わってたあの頃、今よりずっと広い世界を持っていた。今は自分が何になりたいのかよくわからない。お母さんとそういう話をするといつも「仕事をするって大変なのよ。どんな道を選ぶにしたって覚悟がいるんだから」なんてことを言われる。つまり今どきの甘ったれたお子さまなわたしにとって、実社会とは想像以上に厳しい牢獄のようなところらしい。


厳しいことが苦手なわたしは、圧倒的な現実を前に夢をふくらますことが出来なくなっていた。情報化社会の二十一世紀、テレビも新聞も盛んに大人社会の暗さや厳しさを訴えていて、子どもだってそこから目を逸らせない。結局、「楽しいのは今だけで大人になったら大変なことばっかり待っている」っていう大人の言葉を鵜呑みにして、霧の中にあるようなぼんやりとした将来を思って、暗くなるだけだ。


 小二の文乃はにんまり笑って、嬉しそうに言った。


「そっかぁ。じゃあフミは、ファッションデザイナーになろっ」

「えーなんで? フミ、この前はふじんけいかんさんになりたいって言ってたよ」

「それは、今のなりたいものランキング二位。一位はファッションデザイナー。フミがファッションデザイナーになって、きえちゃんがフミがデザインした服を売るの。そしたら大人になってもずっと一緒だよ、うちら」