不器用だし運動音痴だからテニスは好きじゃないけど、部活は好き。休憩時間に部活の友だちと騒ぐのも、終わった後みんなでクレープを食べに行くのも、帰るとお母さんが疲れたでしょ、よく頑張ったねって氷いっぱいのポカリを出してくれるのも好き。つまり不器用で運動音痴でテニスが好きじゃないからこそ、部活を好きでいられるんだと思う。


 女子テニス部用のコートは大きいのとひとまわり小さいのとがあって、二・三年生は二手に分かれて練習する。大会でレギュラーに選ばれる上手い人たちが大きいほうで、そうでない人たちが小さいほう。


一年生はコートの外側に追いやられ、素振りとか腕立てとか基礎トレを義務づけられている。ついこの間まで小学生だった幼い顔たちが苦しそうに息をしていて、わたしも一年前はそうだったなぁとかぼんやり思っていると、大きいコートから先生の怒鳴り声が飛んでくる。


「上原! ちゃんとボール見る! あとフォーム乱れてるぞ!」


 怒鳴られてるのは郁子だった。叱られてビビったり、ふてくされた顔をしないで、ハイッと自衛官か警察官みたいな返事をして、ラケット片手にボールを追いかける。先生は容赦なく、次から次へと球を放つ。飛んでくる球をひとつひとつ、無駄のない動きで打ち返す郁子。その目は獲物を狙うハンターを思わせる真剣さで、真っ黒に焼けたかりんとうみたいな足は日焼け止めを塗り直す暇もないぐらい、テニスへの情熱が漲っている証拠だ。


 毎日、先生にコーチとしてつきっきりで練習を見てもらえるのはレギュラーの特権。厳しい代わりに、みんな着実に上達していく。一方、レギュラー以外の部員は小さいコートに集まって打ち合いしたり、一年生の指導。同じテニス部なのに、やってることはまったく違う。大きいコートと小さいコート、きつい練習とゆるい練習。


 レギュラーの人たちを羨ましいとは思わない。あんなに厳しく怒鳴られるぐらいならレギュラーになんてならなくていい、別に上手くなくていい。そう考えちゃうわたしは、典型的な今どきの甘ったれたお子さまだ。


 そんな今どきのお子さまの目にも、大きいコートの上でボールを追いかける郁子は眩しい。わたしや潮美たちと話してる時は能天気に笑う顔は、今はきゅっと引き締まって、顎のラインも部活の時だけはシャープに、大人っぽく見える。いくら厳しくされても怒鳴られても負けない、郁子には全力で打ち込めるものがある。だから郁子はたぶん、わたしなんかより広い世界を生きている。小さいコートと大きいコート、狭い世界と少し広い世界。


「ごめん、取ってくるね」


 郁子のほうを気にしてたらコントロールがおろそかになって、放ったボールはとんちんかんな方向に飛んでしまい、コートも校庭をぐるりと囲む桜並木も飛び越えて、グラウンドの外に落ちてしまった。打ち合いをやってるとたまに、こんなことがある。


相手の子はいいよ別に、とにっこり言ってくれて一緒にボールを取りに行こうと申し出てくれたけど、断った。テニスコートがある校庭の隅っこからグラウンドの外に行くには裏門から出るのが一番の近道で、ここから裏門までは結構な距離がある。


 陸上部が陣取っていて放課後も賑やかな正門とは対照的に、裏門は日も当たらないし植物の手入れなんかもあまりされていなくて、ひっそりしている。日陰の空気のじめっとした臭いと放置された土の臭いが鼻を突いた。門構えも、学校の名前が掘ってあるどっしりした石柱が建っている正門と違って、裏門は何かの蔦が絡み付いた錆びついた黒いフェンスだ。外に出る時、膝が錆びたフェンスの一部に当たって、きしっと嫌な音がした。


 裏門の横に生えている桜の根元に、文乃が蹲っていた。さっきの嫌な音に反応したかのように顔を上げ、いつものどんよりした目でわたしを見ている。唐突な出会いにちょっとびっくりした。夏にはさんざん毛虫に食われた桜の木は茶色く乾いた葉っぱを既にほとんど落としてしまっていて、蹲った文乃の足もとには穴だらけの落ち葉が積もっていた。