「美雨……ごめん、大丈夫……?」



大丈夫なわけないでしょ、この無神経!!

とは、唇が震えているせいで、声にすることはできなかった。


─── 今日も、空は青い。今の私には、眩し過ぎるくらいに青く澄み渡っている。

そっと、鉄の柵を掴んでいた手の力を緩めて、視線を上げた。

目の前に広がる、真っ更なグラウンド。その上でサッカーや野球をやっている生徒たち、風に揺れる木々や花壇の花。

教室の匂いや、大嫌いな数学の授業、通い慣れた通学路、履き慣れたローファー。

そんな当たり前の景色が、あと一週間後には見れなくなるのかと思ったら、何故だが全てが輝いて見えた。

今目の前にある全てが特別なものに思えて、手放すのが惜しくて堪らない。

ああ……私、なんだかんだ、毎日楽しかったんだな。なんだかんだ、幸せだったんだ。

自分が死ぬということを知ってから、そのことに気が付くなんて、バカみたい。

もっと早く気付いていたら、その全てを大切にできたのに。

掛け替えのない時間を、ずっと大切に過ごすことができたかもしれない。


─── 自分の未来を、もっと大切にできたかもしれないのに。

 
 


「─── っ、」



再び、強く手摺りを握って。深く、深く、息を吸った。

ゆっくりと顔を上げて、空を眺める。どこまでも続く、広く、尊い青── 蒼。

そのまま視線を横に滑らせると、相変わらず心配そうに私を見ている雨先輩と目が合った。

そんな顔で私を見るくらいなら、最初から私の未来なんて見なければ良かったのに。

関わらなければ良かったのに。

そう考えると雨先輩は、優しい人なのかもしれない。未来のない私の未来を見てしまって、そんな私を放っておけずに、ここにいる。

無関係な私のために、何かできることはないかと考えてくれている。



「本当は……こんなことになるなら、未来なんて知りたくなかったです」



苦笑いを零しながらも、あっけらかんと、そう言えば、雨先輩の顔が辛そうに歪んだ。



「でも……知れて良かったとも思ってます。だって、そのお陰で私は残りの一週間を大切にできるから」

「え……」

「雨先輩の、お陰です。先輩が未来を教えてくれたから、私は残された毎日を、悔いのないように必死に生きられる……かもしれません」



えへへ、と、小さく笑えば雨先輩が驚いたように目を見開いた。

足元を風が駆け抜けて、スカートの裾をふわりと揺らす。

これからの一週間。たった一週間で、私に何ができるかなんてわからないけど、それでも。

 
 



「私は今、残された毎日を大切にしたいと思ってます」

「美雨、」

「だから私は、この一週間、大切な人が悲しむ姿を見たくない……」



強く、強く手を握って、精一杯顔を上げた。

さっきまで眩し過ぎると思っていた空には、私たちを見守るように太陽が輝いていて、その力強さに笑みが零れる。



「大切な人に、笑っていてほしいんです」



そう言えば、どうしてか雨先輩は、今にも泣きだしそうな顔をしてから俯いた。

遠くで、お昼休みの終わりを告げるチャイムの音がする。

始まった、最後の一週間。

私に残された、最後の時間。

掛け替えのない日々に、私はこれから何を残すことができるだろう。

 








 水曜日の甘雨
 ──────────*
 
 
  



「ねぇ、ミウ、急にどうしたの……!?」



放課後、ハヤテくんとの待ち合わせ場所に向かおうとしたユリを捕まえて、私は部室棟近くの水飲み場に向かった。

『とにかく、ついて来て欲しいの』

それだけ言うと、困惑するユリを半ば無理矢理、雨先輩との待ち合わせ場所へと連れていく。

途中、『おい、ミウ、何やってんだよ!』なんて、幼馴染みに声を掛けられたけど、それに応えている余裕もなかった。



「ミウ、私これからハヤテくんのところに─── って、アメ先輩……!?」

「……はじめまして」



部活時間前。少し離れた部室棟では、これから部活に向かおうとする生徒たちの賑々しい声がする。

銀杏の木が立ち並ぶこの場所は人気(ひとけ)がなくて、私とユリ、そして雨先輩だけが足元に広がる木々の影を踏んでいた。

 
 


11月、ハラハラと落ちる葉、銀杏の木の下に立つ雨先輩は、まるで一枚の絵画のよう。



「ごめん、ユリ……急に、こんなところに連れてきて。でも、どうしても先に、雨先輩に会ってほしかったの……」



先輩を前にして、あからさまに固まっているユリは、私の言葉に困惑したように瞳を揺らした。

それは、そうだろう。そもそも、私と雨先輩が関わりを持っていることすらユリは知らなかったのだ。

その上、ユリは雨先輩に対して良い印象は持ってない。

" 雨先輩とは関わらない方がいい " と、私に忠告したくらいだ。

もちろん、その忠告を受けた時にはすでに関わってしまっていたから、どうしようもなかったんだけど……



「ミウ……?ねぇ、先にアメ先輩に会ってほしかったって、どうして─── 」

「あ、あのね!実は、雨先輩って占いがすごく得意なの!!」



ユリの言葉を遮って、慌てて顔に笑顔を貼り付ける。

背後に立つ雨先輩の視線を痛いほど感じるけれど、今は先輩のことまで気遣っている余裕はない。



「占い……?」

「う、うん。ちょっと前に、偶然、私も雨先輩に占ってもらう機会があって……それで、その占いが良く当たってたからユリにもどうかな、と思って……」



ほんの少し、震えた声。我ながら、強引な説明だと頭が痛くなる。

だけどもう、これ以上に誤魔化す術が見つからなくて。

そもそも、ユリに嘘を吐くのは心苦しいけれど、仕方がない。

『未来が見える』なんて、そんなの言ったところで信じてもらえるわけもないから。

もちろん、今の話だって信じてもらえるかどうかは、わからないけど……

 
 


「─── きみ、」

「え?」



けれど、そんな私の不安を他所に、唐突に放たれた声。

もちろん声の主は雨先輩で、弾かれたように振り向けば、彼は真っ直ぐにユリのことを見つめていた。



「きみは、今から好きな人に、告白しに行くつもり?」

「え……っ」

「ずっと好きだったけど、その人には彼女がいて……それでも諦めきれないくらい、きみは彼のことが好き」

「……っ!」

「当たってる?」



突然、何を言い出すかと思えば。雨先輩は、なんのこともない、昼休みに私が話したことをユリ本人へと伝えた。

それをまるで、自分が今、占ったかのように。

雨先輩の言葉に目を見開いたユリが、今度は弾かれたように私を見た。



「ミウ……アメ先輩に、言ったの……?」

「い、言ってないよ……!」



慌てて両手を前に突き出して嘘を吐けば、ユリはやっぱり困惑しながら雨先輩へと視線を戻す。

ごめん、ユリ……

 
 


胸に押し寄せるのは、罪悪感の波。けれど今更、嘘を覆すわけにもいかない。

何かを考えるように、ユリは黙り込んでしまった。

そして眉根を寄せ、一瞬だけ視線を彷徨わせたかと思えば、今度は恐る恐るといったように、口を開く。



「どうしてわかったんですか……?私……アメ先輩と話したこともないのに……」

「……それは今、美雨が言ったとおり。俺……占いみたいなことが、できるから」

「占いで、こんなことまでわかるんですか……?」

「…… " 顔相占い " ってやつ。人の顔を見て、その人自身のことを " 視る(みる) " 」

「嘘…………」

「嘘じゃないよ。現に、今言ったこと、当たってたんじゃない?」



『この詐欺師!!』とは、私の立場で言えるわけもなかった。

雨先輩の言葉に、困惑しながらも小さく頷いて見せたユリ。

その仕草を確認しながら雨先輩へと目をやれば、先輩は曖昧な笑みを浮かべて彼女を見ていた。

多分、雨先輩もユリに嘘を吐いたことに罪悪感を感じてるんだろう。

初めに私がユリに嘘を吐いたせいで、その嘘に、雨先輩を付き合わせてしまった。

だとしても、ちょっと嘘を吐くのが巧すぎる気がするんだけど……

 
 


「……見えた、よ」

「えっ」

「今話した、きみの恋の行方。見えた」



と。ここから先の話をどうしようかと頭を抱えていた私を置き去りに、ユリの目を真っ直ぐに見つめていた雨先輩が、唐突にそんなことを言った。

言葉の通り、いつの間にかユリの未来を見終えてしまったらしい雨先輩。

彼の言葉に目を丸くするユリと、あまりに性急過ぎる先輩に、「もっと、丁寧に話を進めてください!」と、私は思わず声を上げてしまった。



「こ、恋の行方が見えたって、あの……」

「うん。きみの予想通り、叶わない」

「え……」

「あ、雨先輩……!?」

「 " ごめん、俺、大切な彼女がいるから " ─── そう言って、きみは彼にフラれる」

「……っ」



足元に広がる影が大きく揺れて、一瞬、世界が深い海の底に沈んだように音を無くした。

風に揺れた銀杏の木から、力をなくした葉が落ちる。

予告のなかった残酷な宣告に、ユリの大きな瞳には、あっという間に涙が滲んだ。

呆然としながら雨先輩を見れば、先輩は黄金色に輝く銀杏の木を背景に、未だに真っ直ぐにユリの瞳を見つめていた。



「それが、きみの未来だよ」



─── どうして。


グッ、と握った拳に怒りが篭もった。

どうして、雨先輩は勝手に、そんなこと。

私が求めていたことはそうじゃなくて、ユリを悲しませないための選択をするために、未来を見てほしいとお願いしたのに……!