「─── っ!!」

「……え?」



けれど昨日と違うのは、雨先輩の反応だった。

真っ直ぐに私の目を見つめていた雨先輩は、突然、慄いたように一歩後ろへ足を引いた。

目を見開いたまま固まっている彼を前に、思わず困惑の声が零れ落ちる。

そんな私にも気付いているのかいないのか……雨先輩は視線を左右へ彷徨わせると、何かを躊躇っているように俯いた。



「雨先輩、あの……?」

「……見えなかった、けど、見えた」

「え?」

「見えた、けど……見えなかった」



何を、言ってるの?

まるで、言葉遊びをしているように視線を動かす雨先輩は、覚束ない口ぶりで相変わらず視線を彷徨わせたままだ。

けれど次の瞬間、ゆっくりと。

ゆっくりと顔を上げたかと思えば、思いもよらないことを口にする。


 
 



「─── 酷く必死な顔をした制服姿のきみが、雨の中を走ってた」



ぽつり、ぽつり。

まるで小雨が降るように話す雨先輩は、やっぱり何かを躊躇している。



「そこに大きな、黒い塊が、きみに向かって突進してきて─── それに驚いた顔をしたきみが見えたあと、突然世界が暗闇に包まれて……そこから先の、きみの未来が見えなくなった」

「そ、それって……」



ねぇ、それって。

それって、まさか。


 
 



「榊 美雨は…… 一週間後に死ぬだろう」



吹き抜ける風は、やっぱり冷たく頬をなぶって、心に深く、傷を付ける。



「美雨には、未来がない」



強く、強く、風が吹く。

突きつけられた現実は、確かに未来へと続いているはずなのに。

その未来が残り僅かだと言われたら……私は今から、どうやって歩いていけばいいんだろう。

 








 火曜日の雨音
 ──────────*
 
 
  




「ねぇ、もしも、自分が一週間後に死ぬって言われたら、どうする?」

「は……?ミウ、何言ってんの?」



まるで、空から突然落ちてきた拳で、頭のテッペンを殴られたみたいな衝撃だった。

私の質問に、当然のように目を丸くするユリの返事も反応も、どれもが普通のことだろう。



『ちょうど、一週間後。来週の月曜日』

『ハッキリと見えたのは、今伝えたことだから……これ以上、言えることはないんだけど』

『もし美雨が望むなら、それまでの未来も見てみようか?』



普通じゃないのは、雨先輩だ。

あのあと、私に死の宣告をした雨先輩は、当然のようにそう言うと、先にしたように私の目の奥を覗き込んできた。

否(いな)、覗き込もうとしてきたから───



『結構ですっ!!』



全力で、そう突っぱねると、私は逃げるように屋上をあとにした。
 
 


その時に、雨先輩がどんな顔をしていたかはわからない。

けれど、少なくともそれまでの雨先輩は、何もかもが現実で、当然のことなのだと言わんばかりに真剣だった。



「ミウ……?もしかして、どっか悪いの……?」



突然わけのわからない質問をして黙りこんでしまった私を前に、至極心配そうな声を出したユリ。

彼女に現実へと引き戻された私は、慌てて無責任な質問をしてしまったことを謝った。



「ごめん、そういうんじゃなくて。なんとなく、どうなのかなぁって思っただけ。えぇと……最近読んだ小説で、そんな話があって……」

「なぁんだ。それなら良かった、突然変なこと言うから心配しちゃったよ」



胸に手を当て、ホッと息を吐いたユリを見て、やっぱりそれが普通の反応だよねと自分の感覚を取り戻す。

普通じゃないのは、雨先輩だ。

変なことを当然のことのように、本当のことのように……真剣に、言われた。

それを、鵜呑みにしてしまいそうになっている私は、雨先輩に感化されてしまっているだけに違いない。

何もかも、どこか現実離れした彼と、現実離れした話をしてしまったせい。

 
 


「でもさぁ、実際、あと一週間後に死ぬって言われたらビックリするし、ショックだよね」

「……だよね」



ふわり、と。迷い込んだ風が、教室を彩るモスグリーンのカーテンを揺らす。

11月の風は、肌を乾かすくらいに冷たく、時に心地よさを感じる程には気持ちが良い。

ユリの言葉通り、雨先輩に『一週間後に死ぬ』と言われた時には驚いたし……すごく、ショックだった。

だって、一週間後に死ぬなんて。

私はただ、一週間後の自分が進路表に何と書いて提出したのかを知りたかっただけなのに、まさか死ぬと言われるなんて思うわけがない。



「私だったら、どうするかなぁ。お小遣い使い切るために、食べたいもの全部食べて……ミウや友達と遊びまわって、プリクラもたくさん撮ってー。それで最後に……好きな人に、告白するかなぁ」

「え……」

「だって、死ぬ前に、やりたいこと全部やっちゃいたいじゃん。そうしないと、悔いが残りそうだし」



あっけらかんと、笑いながら言うユリの言葉に、思わず目を見開いた。

死ぬ前に、したいこと。

確かに、自分がもう少しで死ぬとわかっていたら、やりたいことや今まで我慢していたこと、全部やってしまいたいと思うのかもしれないけど。
 
 


「ねぇ、ミウは?ミウが、もしも一週間後に死ぬってなったら、どうする?」

「え……私は、」



─── 私は。

ユリの言葉に、思わず声を詰まらせて、頬杖をついていた顔を手のひらから離した。

窓から迷い込んできた風が、机の上に開かれたままのノートのページをパラパラと送る。

もしも、私が一週間後に死ぬとしたら。

雨先輩の言う通り……もしも一週間後から先の未来が、私にはないのだとしたら。

私は───



「……わかんない」

「えー!」

「だって……、一週間後に死ぬとか、想像できないもん」



苦笑いを零せば、ユリは「まぁ、それはそうかもしれないけど」と、唇を尖らせた。

何もかもが空想で、馬鹿げた話。

心ではそう思っているはずなのに、どうしてか、雨先輩に渡された言葉は、鮮明に私の心を揺らしたままだった。

 
 


 * * *



「なんで……?」



放課後になる頃には、風は冷たさを増していた。

その風が頬を撫でては通り過ぎる中、声を漏らした先にいる人物は、ポケットに手を入れて校門の壁に寄りかかったまま、どこか遠くの空を眺めている。

会いたくない人に、会ってしまった。

寄りにも寄って、今から帰るというタイミングで、その通り道に雨先輩が立っているなんて。

本当に、ツイてないにも程がある。

心の中で、深く溜め息を吐き出して。私は、先輩に気付かれないように、視線を下に落としながら校門を通り過ぎた。

通り過ぎた─── と、思った。



「やっと来た」



私の身体を覆う影。思わずギクリと肩を揺らして恐る恐る顔を上げれば、私を真っ直ぐに見下ろす雨先輩と目が合った。