「美雨……」

「う……、うぅー……っ、」

「……美雨」

「あぁ……っ、う……っ」


涙が次から次へと溢れ出し、あっという間に乾いた頬を濡らしていった。

堪えきれなかった嗚咽まで零れて、ついには何も見えなくなる。

どうしよう、私……お母さん。ごめんなさい……!!

頭の中で、何度も何度も声を張り上げれば、今の今まで心の奥に押し込めていたものが、風船のように破裂した。

同時に、意図も簡単に溢れ出す。言葉となって、声となって私の本音を暴き出す。


「─── っ、死にたくないっ!!」


その悲痛な叫びは、嫌味なくらいに青く澄み渡る空に木霊した。


「私は……っ、まだ、死にたくないっ!! 大好きなお母さんを独りぼっちになんて、したくない!!」


それは、雨先輩に死ぬことを告げられてから、私の心の中心に深く根を張っていた叫びだった。


「死んだら、何もできなくなる!! ユリと遊ぶことも、カズくんと話すことも、美味しいご飯を食べることも綺麗な景色を見ることも寝ることも……っもう、何にもできなくなる……!!」


─── 死にたくない。

死ぬのは怖い、だから死にたくない、私だって、みんなと一緒に生きていたい。


「嫌だ……っ! 明日までなんて、明日死ぬなんて、絶対ヤダっ。夢だって……看護師になりたいって、私、小さい頃から思ってたのに……っ。なんで、死ぬのが私なの!? 私が、なんでこんなっ、なんで……私っ、」

「─── 美雨」

「嫌だ……ぁっ、死にたくないぃ……っ」

「美雨、こっち見て」

「嫌っ、イヤだ……!!」

「……大丈夫。大丈夫だから」

「う、うぅ……っ、」

「美雨は……美雨だけは、絶対に死なせない」

「……っ、」


「俺は……絶対に、未来に美雨を連れて行く」


 
 


その言葉と同時に、強く、強く抱き締められた。

パニックになっていた私の意識は現実へと引き戻されて、押し付けられた胸の鼓動がドクドクと頭の中で時を刻んだ。

ああ、私、今─── 今、何を言った?

今、私は、何を言われたの?

今……私は、どうして雨先輩に抱き締められているんだろう?


「美雨の未来を変えるって、言っただろ?」


私が息を吐いたのを確認してから、ゆっくりと腕の力が緩められた。

その腕の中で、誘われるように顔を上げれば、目の前には私を見て優しく微笑む雨先輩。

ああ、変だな。

ついさっきまで、先輩の方が泣きそうになっていたのに。

おじいさんの手紙を読んで、雨先輩の方が泣きそうだったのに、いつの間にか私の方が先輩の腕の中で泣いている。

 
 


「あ、雨先輩……私は、」

「……大丈夫」

「え……」

「美雨の手は、最後の最後まで離さない」

「雨先輩……」

「どんな雨も、いつかはきっと止むはずだって信じてる」


その言葉と同時に、私たちは互いの存在を確かめ合うように、繋いだ手を、強く、強く握り締めた。

再び吹いた風に揺られて、私の頬を一筋の涙が伝い落ちる。


明日がどうなるかなんて、わからない。

未来がどうなるかなんて、わからない。


だけど、今─── どうか、私たちの明日が、1日でも長く続くようにと願ってる。

今、ここにあるものが、どうか手のひらをすり抜けていかないように、私は空に強く願った。

 








 月曜日の星雨
 ──────────*
 
 
  



「─── ホント、天気予報って当てにならないわね」


月曜日の朝。お母さんは玄関を開けて空を見上げると、憂鬱そうに溜め息を吐き出した。

外は、雨先輩の予報通りの雨。

テレビの天気予報が予報していた青空は見る影もなく、空には一面に黒雲が広がっていた。


「それじゃあ、お母さん行くね。いつも通り、出る時は戸締まりお願いね!」


傘立てに立ててあった青い傘を手に取り、お母さんがドアノブに手を掛けた。

その姿を真っ直ぐに見つめながら、私は高鳴る鼓動を抑えこむように、強く拳を握った。


「お母さん! 私……っ、」

「うん? どうしたの?」

「……っ、」


言いかけて、言葉に詰まる。自分でも何を言いかけたのかもわからないけれど、少しでも長くお母さんの顔を見ていたかった。


「ミウ、どうしたの?」

「う、ううんっ、なんでもない! お母さん、いってらっしゃい!」

「何よー、変な子ねぇ。ミウも、学校、気を付けて行きなさいよ! それじゃあ、いってきます」


パタン、と。呆気無く閉じたドア。いつも通りの光景に、私は唇を噛み締めて涙を堪えた。

 
 


「お母さん……」


『いってらっしゃい』『いってきます』そんな、当たり前のように交わしていた挨拶も、もしかしたら今のが最後になるかもしれない。

お母さんと顔を合せるのも、これで最後かもしれない。

だけど、そうなってほしくないから。そうはなりたくないから、お母さんには「さよなら」も「ありがとう」も伝えなかった。

いつも通り。いつも通り、今日もまた仕事から帰ってきたお母さんに、私は笑顔で「おかえりなさい」と言いたい。

ううん、絶対に「おかえりなさい」と言ってみせる。今ので最後になんて、絶対にさせないんだ。


「学校に……今日は休むこと、連絡しなきゃ」


このあとの自分のやるべきことを声に出し、携帯電話片手にリビングへと歩を進めた。

パジャマのままリビングのソファーの上で膝を抱えて蹲ると、昨日の帰り道に雨先輩と交わした言葉を頭の中に並べた。

 
 


『とにかく明日、美雨は一歩も外に出るな。学校も、来なくていい。絶対に休むんだ』

『それで……未来を変えられるんですか?』

『……わからない。だけど、出来る限り、俺が見た未来に近付かないようにしよう』


そう言って、私の手を強く握った雨先輩。

一週間前、先輩が見た未来の私は、制服を着て雨の中を必死に走っていた。

だから、雨先輩は今日は家から一歩も出るなと私に言ったんだ。

そうすることで、少しでも先輩が見た未来から私を遠ざけることができるかもしれないから。

雨先輩が見た私の未来を、変えることができるかもしれないから。


「でも……」


……でも。以前、雨先輩は私に、こうも言ったんだ。

『未来に起こる出来事は、どんなに避けようと思っても、必ず起きてしまう』……って。

『無理矢理避けようとしても、最悪の未来を起こすために美雨を家の外に引きずり出す " 何か " が起きる』……と、雨先輩は言っていた。


 
 


ドクドクと、心臓が不穏な音を立て続ける。

だけど先輩だって、それはわかっていたことだろう。昨日は敢えて、口にしなかっただけだ。

私を、これ以上不安にさせないように。これ以上、悪いことばかりを私が考えないように、そのことには触れないでいてくれただけ。

ぼんやりと、薄暗い家の中から外を見た。

雨は昨日の夜更けから突然降り出して、今朝になってからうるさいくらいに窓を叩いている。

それがまるで、外に出ない私をどうにかして家から出そうとしているみたいで怖くなった。

まるで、未来を変えようとしている私を責めているようで。

まるで、逃げ道はないのだと言われているようで、怖くて怖くて堪らない。


「電話……しなきゃ」


ぽつり、と。零してから、私は携帯電話を手に持った。

そのまま学校の電話番号を表示させると、電話口に出た先生にクラス名と名前と「今日は体調不良で休む」ことを伝えた。

電話を切ったと同時に、再び部屋の中には雨の音が響き渡る。

私は近くにあった毛布を頭から被ると、聞こえる音と不安を、必死に頭の中で掻き消した。


 
 

 * * *


「…………ん、」


どれくらい、時間が経っただろう。

目を閉じていた私は、毛布に包まったままいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

昨日は緊張していてほとんど眠れなかったから、身体が眠ることを優先したんだ。

それにしても、こんな時でも眠れるなんて、私も随分と逞しい奴だ。

もしかして、案外、このまま何事もなかったように、今日という一日を終えることができるのかもしれない。

未だに、ぼんやりとした頭を連れて、私はふと窓の外に目をやった。

相変わらず外は雨が降っていて、景色を灰色に染めている。

というか、今は一体何時なんだろう?

もしかして、結構長い時間寝ちゃってた?

そんなことを考えながら、私はテーブルの上に置きっぱなしにしていた携帯電話を手に取った。

チカチカとランプの灯る携帯電話を確認してから真っ黒な画面をタップする。

そうすれば、時刻は午前11時を指していて、わかっていても肩を落とさずにはいられなかった。


「あ…… ユリからメールきてる。あとは……メルマガと、あれ……?」


けれど、携帯電話を指でなぞって通知を一つ一つ確認した時。

思いもよらない場所から電話が掛かってきていることに気が付いて、私は滑らせていた指と目を、画面の中央でピタリと止めた。