そこまで言うと、雨先輩は声を詰まらせた。

雨先輩のおじいさんは、自分の娘である雨先輩のお母さんの命を救うために、禁忌を破った。

その代償として、自分の命を失ったのだ。

当然、命を失ったら未来を見る特別な力も失うに決まってる。

つまり……雨宮家の言い伝えは、特異を失うことは、命を失うことと同じなのだとでも言いたいのだろうか。

そんな馬鹿なこと、あるはずがないのに。未来を見る特別な力なんか、その人自身の命に比べたら、大したことでもなんでもない。


「じいちゃんに、俺と同じ特異があったなんて……母さんも、ばあちゃんも、一度もそんなこと言わなかったから……じいちゃんは、ただ事故に巻き込まれて死んだんだって思って、俺は……っ」


雨先輩のお母さんが、雨先輩のおじいさんに未来を見る力があったことを知っていたかどうかはわからない。

だけど、雨先輩のおばあちゃんは……トキさんは、知っていたに違いない。

この手紙を、今日まで大切にしまい続けていたトキさんは、きっと。

残酷な真実を知っていたからこそ、トキさんは、禁忌を破った時に起こる代償の全てを雨先輩には伝えなかったんだ。……伝えられなかったんだ。

だって、こんな恐ろしいことを知ったら、それこそ雨先輩は、今以上に自分の運命を悲観してしまうかもしれない。

自分の未来に、なんの希望も持てなくなってしまうかもしれないから。


─── あなたに、何かあってからでは遅いの。

そう言ったトキさんの想いが、今更になって胸に刺さる。

トキさんは、恐れていたんだ。

雨先輩が、トキさんの旦那さんと同じように……雨先輩のおじいさんと同じように、突然、この世界から消えてしまうことを恐れてた。

 



「なんだよ、こんなの……最初から、全部話してくれたら良かったのに……。死ぬのなんか、少しも怖くないし……世界から消えるって、死ぬって言ってるのと同じようなものなんだから……」


ぽつり、と。空から雨粒が落ちてきたような声色でそう言った雨先輩の手は震えていた。

死ぬのなんか、少しも怖くない。

そう言った雨先輩の言葉に、胸が震える。

だって私は知っているから。死ぬって、とても怖いことで、とても恐ろしいことだって。

本当は、怖くて怖くて堪らない。

だけどそれを言葉にすれば、足元から崩れ落ちてしまいそうになるから、必死に強がっているだけだ。


「─── 雨宿りの、星たちへ」

「……っ、」


ゆっくりと。確かめるように、その言葉を口にすると、悲しみに濡れた雨先輩の瞳が大きく揺れた。

それと同時に、雨先輩の震える手にそっと自分の手を重ねれば、黒に滲んだ瞳に私の顔が映り込む。

ねぇ、雨先輩。もしも、この手紙に書いてあることが事実なら。

雨先輩のおじいさんが、雨先輩のお母さんの未来と一緒に見たという" 輝かしい、星たちの未来 " があるとするのなら。

それはきっと、私の勘違いでなければ───
 
 
 


「……雨先輩のおじいさんが見たのは、きっと、雨先輩と私の未来ってことですよね」

「……っ、」

「だからこれは、私たちに宛てられた手紙で、私たちの未来を示す手紙でもありますよね」


ようやく見えた、希望の光。やっぱりそれは、余りにも不確かで、曖昧なものだけど。


「この手紙には、" 最後まで、生きることを諦めないで " と、書いてありました。" 最後まで、自分たちの未来を諦めないで " と書いてありました」


過去を変えることはできないけれど、未来は自分次第で変えることができるのだと。

それが、現在(いま)を生きる私たちへ平等に与えられた希望の光なのだと、この手紙には書いてあった。


そう、それは─── まだ見ぬ未来に届く、その日まで。


「……約束、しましたよね?」

「美雨……」

「最後まで、私を見届けるって。途中で勝手にいなくなったら、死んでから呪うって、私、言いましたよね?」


死ぬのが怖くて堪らない。だから生きたいって、それだけじゃ未来を望む理由にはならないのかな。


「だから雨先輩も私と一緒に、最後まで生きることを諦めないでください!! 最後まで、自分の未来を諦めないで!!」


必死に生きた " 今 " こそが、私たちの " 明日という名の未来 " をつくるのだとしたら、私は最後の最後まで、生きることを諦めない。

それが未来を諦めないことに繋がるのなら、死ぬのを怖いと思う自分さえ誇りに思おう。


「何がなんでも、私と一緒に生きてください!!」


雨先輩の頬を伝った綺麗な涙。

繋いだ手を、強く握って。

私は、未来にきみを、連れて行く。

 








 日曜日の涙雨
 ──────────*
 
 
  




「少しだけ、寄り道して行かない?」


明日雨が降るなんて、誰もそんなことは想像できないくらいに頭上には雲ひとつない青空が広がっていた。

雨先輩の家を出て、病院に戻ろうと空を見上げていた私に、唐突にそんなことを言った先輩の綺麗な顔を、思わずキョトンとしたまま見つめてしまった。


「本当は、少しでも早く病院に戻って、ばあちゃんの傍にいてあげたいと思うけど……でも、どうしても、美雨に見せたい景色があるんだ」

「見せたい景色?」

「うん。小さい頃、こっちに遊びに来た時に、ばあちゃんに連れてってもらった場所なんだけど……」


そう言う雨先輩の言葉に、どうしてか、首を横に振る気にはなれなかった。

本当なら、すぐにでもトキさんのところに戻りたい。いつまた何があるかもわからないし、私がそう思うのだから雨先輩だって同じだろう。

だけど、誰よりもトキさんの身を案じている彼が、私に見せたいものがあると言っている。

それが、どんな景色なのか……見てみたいと思うのは、" 明日 " 死ぬかもしれない私の小さなワガママだった。


「わかりました。寄り道、しましょう」


ふわりと、風に靡いた髪。

雨先輩を見上げながらそういえば、先輩は優しく目を細めて微笑んだ。

 
 


「─── 雨先輩、どこまで上るんですか!?」


けれど、そんな自分の決断を後悔するまで、そう時間は掛からなかった。

両膝に手を置き、肩で息をしながら抗議の声を上げれば、数段先にいる雨先輩が清々しい笑顔で「もう少し」と、笑う。

ほんの数十分前、雨先輩の寄り道の誘いを二つ返事で快諾した自分を、叱りつけたい。

だけどまさか、こんなことになるとは思わなかった!

目の前には、一体どこまで続くのかと目眩さえ起こしそうな段数の階段。

実際、上り途中の私は目眩を起こしかけているし、息切れだって治まらない。

雨先輩に言われるがまま、雨先輩の家から少し離れた場所にある小高い山の登り口前まできたところで、嫌な予感はしてたんだけど。

生憎、偶然にも準備万端にスニーカーを選んで履いてきていた私を見て、「この階段を上るんだ」なんて言った雨先輩は、今と同様に笑っていた。


「美雨って、意外に体力ないんだな」

「逆に、なんで雨先輩は、そんなに元気なんですか……!」

「それは……俺も一応、男だし」


言葉と同時に、目の前に差し出された手。

一瞬その手を取ろうか躊躇すれば、そんな私の心情も知らない雨先輩に右手が攫われた。


「あと、もう少しだから。一緒に頑張ろう」


優しく引かれた手。その手の温もりに顔を上げた私は、結局最後まで、この寄り道に付き合うことになった。

 
 


「─── 着いたよ」


目的の場所には雨先輩の言うとおり、10分もしない内に辿り着いた。

永遠に終わらないと思っていた長い階段を上り終えれば、予想外の達成感に包まれる。

思わずこの場に座り込んでしまいたくなったけど、足元いっぱいに散らばる黄金色の葉を見て、やっぱり膝に手を置く形で疲れきった体を支えた。

もう、しばらくは絶対イヤ……。というか、次に雨先輩に寄り道に誘われたら、絶対に断ろう……


「ほら、美雨。こっちだよ」


けれど私が心の中で、そんな決意を固めていれば、不意に雨先輩の弾んだ声が私を呼んだ。

それに顔を上げるより先に再び手を掴まれて、脱力していた身体は言われるがままに、前に出た。


「そこからじゃ見えないんだ。だから、こっち!」

「ちょっと待って、雨先輩……! もう少しだけ、休ませてくださ─── 」


休ませてくださいと言い終えるより先に、引かれた腕に連れられるまま、ほんの少し開けた場所に出る。

そうして私は目の前に広がる光景に、今度こそ返す言葉を失った。

 
 



「ここ、俺がこの町で一番好きな場所なんだ」

「すごい……」


両脇に黄金色に輝く木を従えて、その木々の間から広がるのは、私が住む町の景色。

建ち並ぶ家々は豆粒のように小さくて、私がいつも乗っている電車は僅かに何かが動いている気配を感じさせるだけ。

ぽっかりと地面に穴が開いたように広がる田んぼや畑に、所々生い茂る木々は公園か小さな森か。

遠くには海が広がっていて、青い空と深い蒼が重なる場所だけが、白い線を引いて途切れることなくどこまでも続いていた。


「昔……俺がまだ小さい頃。ばあちゃんが、今みたいに俺をここに連れてきてくれたんだ」


ぽつり、ぽつり、と。木の葉の揺れる間で声を紡ぐ雨先輩を見上げれば、先輩の向こうに小さな鳥居が見えた。

その先には社があって、ここが小高い山の上に造られた、小さな神社であることに気付く。


「それで初めてこの景色を見て、今の美雨と同じ様に感動してる俺に、ばあちゃんが話してくれたことがあった」

「……話してくれたこと?」

「俺の、じいちゃんのこと。ここは、じいちゃんとばあちゃんが初めて出逢った場所なんだって」

「え……」

「ばあちゃんがまだ若い頃。たまたま、ここに登ってきたら、今俺たちが立っている場所で、じいちゃんは俺たちと同じようにこの町の景色を眺めてたって、ばあちゃんは言ってた」


─── 同じ、景色を。

雨先輩の言葉に再び町の景色に目を向ければ、何故か私に見えたのは、初めて出逢った二人が互いを見つめ合う場面だった。

実際は、見えたわけじゃない。見えている気がしているだけ。

二人が出逢った場面を、私は雨先輩の話を通して見ているだけだ。

 
 


「初めて逢った時は、変な人だなって思ったらしい。ただ、ぼんやりと景色を眺めてて……そこにいるのに、そこにいないみたいな、不思議な人だなって思ったんだって」


─── 雨先輩に、屋上で初めて逢った時。私も、トキさんと同じことを思った。

『きみの未来、俺には見える』

そう言った雨先輩を前に、私もトキさんがおじいさんと出逢った時と、同じことを思ったんだ。


「そこで、ばあちゃんがじいちゃんに、" 何を見てるんですか? " って聞いたら、じいちゃんは困ったように笑って、こう言ったんだって」

「え?」

「─── " 未来を、見てました " 」


未来を。


「それを聞いて、ばあちゃんは、じいちゃんのこと、やっぱり変な人だなって思ったって。関わったら、大変なことになるかもしれないって思ったんだって」


言いながら、面白そうに笑った雨先輩を見て、私は思った。

未来が見えるという、特別な力を持って生まれた二人。

もしかしたら二人は、似ているのかもしれない。

雨先輩と雨先輩のおじいさんは、きっと、とても良く似ているんだ。