おそらくここまでの会話を廊下で聞いていたのだろう。彼女は遠慮がちに、だけど凛とした佇まいで医師を見据えると、
「行かせてあげてください、先生。お願いします」
そう告げて深く頭を下げた。
「いや、でも花江さん、本当にいいんですか? せっかく蒼くんの治療がここまできたのに」
「きっと蒼自身も今、ホタルと同じことを望んでいると思うんです」
そうでしょう? と確認するように、ゆっくり頭を上げた彼女がこちらを向く。
真正面から見つめられた。包みこむような微笑に、僕はたじろいで固まってしまう。
「はじめまして、ホタル」
「………」
「ずっと、あなたにお礼が言いたかったの」
ずっと、を強調して彼女は言った。感謝される理由なんか、僕にはないのに。
絶望しか知らなかった。
復讐だけが自分の存在意義だった。
だけどこんな僕に、ずっと感謝してくれている人がいた――。
「長い間、蒼を守ってくれて本当にありがとう」
ふわりと背中にそえられた手が、やさしく僕を押し出した。
「行ってらっしゃい。ホタル」
向かう先は言わなくても、きっと彼女にはわかっていたのだろう。