突然の言葉に弾けるように顔を上げれば、そこには柔らかな笑みを浮かべて私を見つめる樹生先輩がいた。
「……浴衣、似合ってる」
─── 二重なのに切れ長で、バランスの取れた目元に、吸い込まれるような黒い瞳。
通った鼻筋に、形の良い薄い唇、シャープな輪郭に、シミ一つない肌。
色気たっぷりな、艶のある甘い声。
黒いロングTシャツの袖は肘下辺りまで捲くり上げられ、ブイネック部分からは鎖骨が覗く。
淡い色の細めのジーンズに、紺と白のデザインのデッキシューズ。
本当に本当にシンプルな服装なのに、その全てが先輩のスタイルの良さと端正な顔立ちを最大限に引き立てている。
今日も隙がない程に完璧な先輩を見上げ、返す言葉も忘れて頬を染めれば「へぇ……」と、先輩は何故か感心したような声を漏らした。
「撫子柄の浴衣、か。栞のおばあさんの、栞への愛情が伝わってくるね」
「……っ、」
容姿だけじゃない。聡明な先輩は、人の気持ちを読む超能力でもあるんじゃないかと、時々本気で思うことがある。
撫子柄の、この浴衣の意味も先輩はお見通しだなんて。
「とりあえず、行こうか」
(え?)
先輩を見上げたまま固まっている私に、そっと先輩の綺麗な手が差し出された。
それに思わず先輩の顔と手を交互に見れば、考える間もなく空いていた方の手を掴まれた。
「こうやって、手、繋いでれば迷子にもならないでしょ?」
「……っ、」
「迷子になんて、絶対、しないけど」
そう言うと、一瞬だけ笑みを零した先輩は、何故か私に背を向ける。
突然向けられた背中につい戸惑って、慌てて先輩の隣に並べば、そんな私を先輩は視線だけで制した。
「……自分で言っといて、なんだけど」
「……?」
「俺も結構、照れる」
「……っ、」
言いながら、フイ、と、前を向いた先輩の耳が赤く染まる。
それに全ての意味を漸く理解した私も再び顔を赤くすれば、先輩はもう何も言わずに私の手を引き、改札へと歩き出した。
*
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『Pink(ナデシコ)』
純粋な愛・思慕
(わ……、凄い人……)
お祭りが開催されている場所の最寄り駅は、すでにたくさんの人で溢れていた。
それだけで、つい不安に押し潰されそうになったけれど、下を向きそうになる度に固く握られる手。
顔を上げれば私を見て優しく微笑む先輩がいて、繋がれたままの手と先輩の存在が、湧き上がる不安をすぐに払拭してくれた。
「……あ、」
と。
改札を抜けてお祭り会場のメイン通りに向かう途中で、それまで歩みを止めなかった先輩が、突然足を止めた。
(どうしたんだろう?)
不思議に思いつつ先輩を見れば、何故か驚いたような表情を携えている先輩。
その視線の先を追うと、そこには先輩同様、驚いたような表情でこちらを見ている人達がいた。
「そ、相馬くん!?」
一番に声を上げたのは、浴衣を着た可愛らしい女の人だった。
余程驚いたのか、人混みでも通る声に思わず身体がビクリと揺れる。
そして、隣にいる男の人と一言二言何かを話すと、今度は満面の笑みを浮かべて私達の方へと歩いてくる。
(え、え……?先輩?)
それにどうすることも出来ずに先輩を見上げれば、視線の先の先輩もまた困惑したような表情を浮かべていて。
助けを求めるかのごとく、繋いでいる手に力を込めれば、先輩の肩が小さく揺れた。
「……っ、」
と。私を見て、漸く我に返った先輩が強張っていた表情を緩める。
柔らかな雰囲気を取り戻した先輩に安堵して、ゆっくりと口を開こうとすると、
「(せ、先輩……あの、)」
「樹生、偶然過ぎだろ!」
言葉は、既に私達の目の前まで来ていた二人に止められてしまった。
「相馬くん、ホントに偶然だね!それに、初めまして〜!凄い可愛い子だね!!」
キラキラと、ヒマワリのように眩しい笑顔を私に向ける女の人の手は、隣の爽やかイケメンさんの手と固く繋がれていて。
2人の雰囲気から、カップルさんなんだろうな、というのは容易に想像が出来る。
「アキ……それに、マリちゃん」
(え……、)
樹生先輩の口から零れた名前に、思わず目を見開く。
それというのも“アキ”という名前が、先輩の口から耳にタコができるくらいに聞いたことのある名前で、更にはそれが先輩の大切な親友の名前と同じだったから。
というか、もしかして……もしかしなくても、この人が、先輩の親友の、“アキ”さん?
「初めまして。樹生とは友達で、大分仲良くさせてもらってるアキです。それで、こっちは……えと、俺の彼女のマリ。キミは、栞ちゃん、だよね?」
丁寧に紡がれた言葉と、眩しいくらいの爽やかな笑顔に、思わず何度も頷いて慌てて頭を下げた。
「……栞、そんなに緊張しなくて大丈夫。所詮アキと、マリちゃんだから」
「そ、相馬くん、いつになく毒舌……」
「そうかな。いつも、こんな感じだけど?」
「……樹生、デート現場見られて照れてるんでしょ?」
「……、」
和気あいあいと、言葉を交わし始めた3人に、忙しく視線を動かした。
アキさんと樹生先輩は同じ学校で仲良しで、更にはアキさんの彼女のマリさんと樹生先輩はバイト先が一緒で友達なのだと言っていた。
……と、いうか。
樹生先輩の親友であるアキさんは、樹生先輩とはまた違ったタイプのイケメンさんで、世界の違いについ戸惑ってしまう。
「……栞、ちゃん?」
「(は、は、は……はいっ!!)」
一人で瞑想していたところに突然話し掛けられ、つい口をパクパクと動かしてアキさんを見つめた。
そんな私に、アキさんは優しい笑顔を向けると、コソコソ話をするように私の耳に唇を近付けた。
「……樹生のこと、よろしくね」
(え?)
言われた言葉に思わず目を見開けば、突然グイッと引かれた腕。
勢い良くアキさんから身体が離れ、一瞬ふわりと軽くなった身体は、先輩の身体に抱き留められた。
「……近づき過ぎ、」
「(え、え……!?)」
あまりに唐突な出来事に、言葉を失ったまま先輩を見上げれば、そこにはアキさんへと鋭い視線を向ける樹生先輩。
そんな先輩を前に、アキさんとマリさんは何故か嬉しそうな笑みを浮かべていて、一人、何もかもについていけない私はただただ困惑で目を泳がせるしかなかった。
* * *
アキとマリちゃんと別れたあと、お祭りのメイン通りへ向かった。
屋台の灯りと人で賑わったそこは、お世辞にも綺麗だなんて言えないのに、人々の笑顔で溢れている。
(……最低限のマナーとか、無視か)
足元には、かき氷の入っていたであろうカップや割り箸など、無造作に散らばったゴミ達。
浴衣には欠かせない下駄を履いている栞がそのゴミを踏んだりしてケガでもしないかと心配になった。
栞はどうせ、ケガしたって心配掛けたくないからって黙ってそうだし。
そもそも、お祭りっていうのは子供も楽しむ場所であって、こういう場でこそ見本とならなければいけないはずなのに。
最低限のマナーくらい守れよ、なんて、まるで教育者みたいなことを思ってしまい、つい気分が憂鬱に苛まれる。