「1時間後のきみより、60分も多く、今のきみは、持っている」
「そうですね」
「この家を出て、あの邸に行き、呼び鈴を鳴らすのに、1分もかからない」
「でしょうね」
すっと窓の外を指さした伸二さんが、にこりと微笑んだ気がした。
「だがきみは、動かない」
「あとがないくらいで、変われたら、苦労しないんですよ」
自己嫌悪にさいなまれながら、肩を落とした。
「この家を出て、あの大きな家まで行って、呼び鈴を押して、顔を見ながら、さっきはごめんね、って言うなんて、死んでも無理です」
「当然、死んだら無理だ」
「生きてても無理って意味です」
「難儀だ」
「もしかして、これが後悔ってものですかね」
「ヒトらしくて好ましい」
「素直に謝るのは、人間らしくないですか」
「それもまた、ヒトらしい」
伸二さんは、妙に陽気だった。
思えばこんなふうに、彼のほうから導くような言葉を口にしたのは初めてだ。
穏やかな声は優しく、あざけりも憐憫も、そこにはない。
「あれは、なんだ」
伸二さんが、外の何かに目をやった。
近寄ってみると、だいだい色の灯りが列をなして、村の畦道を進んでいるのが見える。
「お神輿ですね、今日は朝から一日、このあたりを練り歩いてたはずです」
「あれがそうか」
「夜は夜で、風情がありますよね」
「あれだろう、デアイガシラにドンパチ、とやらをするんだろう」
浮き浮きと言う伸二さんには申し訳ないけど、喧嘩御輿の文化はこのあたりには、ない。
説明すると、そうか、と残念そうに言った。