買ってきたものを冷蔵庫に入れ、ダイニングの椅子に座ると、無意識のうちに、ふう、とため息を洩らしていた。

細く開いた窓から吹きこむ風にゆらゆら揺れるカーテンを、ぼんやりと見つめる。


春の夕暮れは、なんだかとても優しい色合いをしている。

空が霞んでいるからだろうか。


そんなことを思いながら、リビングに移動して、テレビの横に置いてあるピアノの蓋を開いた。


くっきりとした白と黒の鍵盤を見ると、いつだって、心がすっと凪いでいくのを感じる。


だから、悲しいことがあると私は、ピアノを弾く。

誰に聴かせるわけでもないから、好きなように弾けばいい。
ピアニッシモは小さく小さく、フォルテは遠慮なく大きな音で、気が済むまで、いつまでも弾きつづける。


演奏用の黒革の椅子に腰かけ、軽く顔を上げると、ピアノの上のお母さんと目が合った。

白いフレームの中で、いつもの優しい微笑みを浮かべて私を見下ろしている、私のお母さん。


お母さんは、私が八歳の時に亡くなっている。

まだ子供だったし、八年近く前のことだから、そのときのことはあまり覚えていない。


『お母さんは遠くに行ったから、もう会えないけど、いつでも美冬と佐絵を見守っているからね』

そうお父さんに言われて、さびしくて悲しくて、佐絵と一緒に大声で泣いたことだけは覚えている。