あたしはふらりと立ち上がり、泣きじゃくる野田さんを置いて店に戻った。





中では、店の真ん中に加藤さんが立って、大きな声で語っている最中だった。






「我々はとうとう明日、出撃する。

明日の今頃には、我々は鬼神となって突撃し、憎き敵艦もろとも木っ端微塵になっていることだろう。


………戦局はいよいよ切迫している。

我らが征かねば日本は負けてしまう。

存亡の危機にある帝国を、我らが祖国を、我らはこの身をもって救うのだ。


精鋭なる皇軍の一員として、またとなき男の死に場所を得たこの喜び………なんと言葉にしようか?


我らは、散ってこそ甲斐のある若桜だ。

桜花のように潔く、立派に、そして美しく散ろう!

そして、靖国神社の桜となって、再び共に咲こう!


俺たちは死ぬのではない。

俺たちは悠久の大義に生きるのだ!


天皇陛下万歳!」






みんなが加藤さんに拍手喝采を送り、「そうだ、共に散ろう!」、「悠久の大義に生きよう!」と声を合わせる。





ーーー『悠久の大義』。



軍人たちが好んで使う言葉だ。




戦場に行って死ぬことを、「大義」だと言っているのだ。





死ぬことのどこが正義なの?



死ぬことで果たされる忠義なんて、正しいものだとは思えない。