お母さんとふたりきりの食卓は、昔から変わらない。変化といえば、もうひとつの席に並べられるごはんがないことだけだ。
 お父さんは、生前から帰宅が遅かった。三人で食卓を囲むのは、休日くらい。小学校低学年くらいまでは、毎日一緒にごはんをたべていたような記憶があるのに、いつからかそれはなくなっていた。

 その理由は、仕事ということしか知らなかった。
 亡くなったあとは、確かめることもしなかった。

「お母さん」

 ぽつり、と呟くと、お母さんは首を傾げてわたしを見つめる。

「お父さんが生きてたらよかった、と思う?」

 お母さんの表情が一瞬固まったのがわかったけれど、それでもお母さんの目を真っ直ぐに見つめた。

 わたしは、思ったことがない。考えたことはあるけれど、その行き着く先はいつも――憎しみだった。




 中学一年生の夏、お父さんが亡くなった。

 金曜日の夜、突然電話がかかってきてわたしとお母さんは病院にかけつけた。くも膜下出血で救急車に運ばれたらしい。そして、そのままお父さんと顔を合わせることはなく、お通夜と葬儀が行われた。

 病院には、見知らぬ女の人がいた。

 その人は、泣きながらお母さんとわたしに謝り続けていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい。本当にすみませんでした」

 お母さんは、なにも言わなかった。静かに涙を流していた。わたしは全く意味がわからず、ただ黙って女の人の謝罪を聞きながらお母さんの手を握りしめていた。

 その人の正体がわかったのは、お通夜だった。

 お通夜にやってきた女の人に、お母さんが怒りをぶちまけたことで、発覚した。

 お父さんの、不倫相手だった。

 一緒の車に乗っていた。せめてその人がお父さんの異変に気付いてすぐに救急車を呼んでくれていれば、お父さんは助かったかもしれない。どうしてすぐに連絡しなかったのか。そもそも、あなたがいなければ、車の中でなんか倒れなかったかもしれないのに。

 女の人の説明では、不倫関係ではなかったとのことだ。

 ただの知人で、仕事関係から親しくなり、たまにごはんを食べていただけだと。だけど、そんなの誰も信じない。お母さんも、親戚も、もちろんわたしも信じなかった。

 それを、お父さんに確かめるすべもない。

 お母さんを泣かせた女の人も、お父さんも、許せないと思った。もしもあのとき、お父さんが無事だったとしても……わたしは“よかった”とは思えなかっただろう。

 あの後、どんな気持ちでわたしとお母さんが過ごしてきたか。お父さんは知らない。知り得ない。

 マンションの人から好奇の目で見られる苦痛も、この先の不安も、お母さんがどんなに頑張って仕事に復帰してくれたかも、父親のいなくなったわたしが、友だちに同情される虚しさも。
 すべてをわたしたちに押し付けて、いなくなった。