きみがくれた日常を



伊織(いおり)。ごめんね」

 なにがごめんね、だ。
 俺はこの街が好きでずっとここで暮らしたいのに。

 お父さんの転勤が決まった。
 それは、仕方ないっちゃ仕方ないことだ。

 でも、いきなり今週末引っ越すって言われても心の準備とかもできてない。
 もう友だちと会える回数は数回しかないじゃないか。

 大人は親は、子どものことをなにもわかってくれない。
 なんでもごめんねって謝れば済むと思って。


 家を抜け出して夜の公園でひとりブランコに座る。


「家帰らないの?」

 声がしたほうに顔を向けると同じくらいの年の女の子がいた。
 気づかなかった。

 こんな夜に女の子がひとりで大丈夫だろうかと思う。

「ちょっと……」

 この子に話しても意味ないから。
 誤魔化して下を向く。

「そっか」

 その子はなにも()かず隣のブランコに座る。



「なにがあったか訊かないの?」

「うん。訊かないよ。
 でも、あなたが話したいんだったら聴くよ」

 優しい子だな。
 普通、こんな夜にブランコに乗ってたらなにかあったか問いただしてもおかしくないのに。

「きみはなんでここにいるの?」

 きみだって、こんな夜に公園に来るなんてなんかあったんじゃないのか?

「わたしは、時々ここに来るの。
 ここならあまりだれも来ないし、色々考えることができるから」

「そうなんだ」

 なにを考えるのだろう。
 はじめて会ったけど、不思議な子だった。



「ここね、星がたくさん見えるから星空公園って言うんだって」

 おばあちゃんが言ってたー、と得意げに話す。
 知らなかったな。ずっとこの街に住んでるのに。


 空を見てみると、いまにも降ってきそうな満天の星空が広がっていた。

 そして、あれは天の川だ。
 一年に一度だけ織姫と彦星が会うことができる橋のようなもの。

「今年は雨じゃないから織姫さんたち会えたかな」

 女の子が空を見ながら呟く。

「きっと会えたよ」

 去年は雨だったが、今年はさっぱり晴れている。

「でも、一年に一度しか会えないなんて可哀想だよな」

 夫婦の関係なのに、会えるのが一年に一回だけなんてこんな可哀想なことはないと思う。



「そうかな? わたしそう思わないよ」

「え、なんで?」

「織姫さんたちはきっと心で繋がっているから。
 お互い会えない日のほうが多いけど、だからこそその会える一日が大切になる。
 そんな特別な日になるのいいと思わない?
 近くにいすぎると気づけないこともたくさんある。
 離れていたほうがいいときだってあるんだよ」

 少し悲しそうな顔をする。

 俺にはちょっとよくわからなかった。
 離れていたほうがいいときがある、なんてどうしても思わない。
 友だちとはいつだって近くにいたい。
 そう思うのは俺だけじゃないはずだ。


「あ! 流れ星!」

 織姫と彦星の再会をまるで祝福しているかのように流れ星がいくつか降ってきた。

 キラッと輝く流れ星を見て、彼女のほうを見ると、目を瞑ってなにかをお願いしていた。


「なにお願いしたの?」

「えっとね! 
 あなたが笑顔になりますように、って」

「……っ!」

 声が出なかった。
 はじめて会った人のことを願うなんてそんな人もいるんだな、と感心する。

「だって流れ星みえたのにずっと暗い顔してるもん。
 ほら、笑ってるときっといいことあるよ」

 手をほっぺたにあてて無邪気に笑う。
 その笑顔になんだか救われた気がした。



「ごめん。わたしそろそろ帰らなきゃ」

「あ、うん」

 じゃあ、また。と手を振る。
 もう会うことはないのに、また、なんて。




 星空公園。
 最後にここに来たかった。
 あの女の子はいないかな、と辺りを見渡す。
 すると、ひとりの女の子が手を振ってこっちに駆けてくるのが見えた。

「また会えたね!」

 やっぱりあのときの女の子だ。
 今日はおばあさんと来てるみたいだ。

「お友だちかい?」

 お友だちではない。知り合いってとこかな。
 そう思ったけど、その子は明るく笑う。

「うん! お友だち!」

「そうかい。仲良く遊ぶんだよ」

 そう言ったおばあさんはベンチに座って本を読み始めていた。


「俺ら、友だちなの?」

「違うの?」

「いや、まだ全然話したことないのになって……」

「そんなの関係ない。
 わたしはあなたのこと友だちだって思ってるよ!」

 友だちか。
 そう思ってくれるのはもちろん嬉しい。
 でも、俺はもう転校するんだ。
 だから、会えないんだよ、もう。


 明日、転校してしまうことを話す。

「転校かぁ、しょうがないっていえばしょうがないことなのかもしれないけど、ちゃんと子どもの気持ちも考えてから決めてほしいよね」

 なんでわかってくれるんだろうか。
 クラスの友だちに言っても「親の仕事なら仕方ないよな」ともうはじめから諦めたように言うのに。


「わたしたちが親になにか言っても状況が変わらないことのほうが多いと思うけど、諦めないで話してみたらなにか変わるかもしれないよ。 
 わたしはあなたに決められたものに抗うことを最後まで諦めてほしくないな」

 抗うことを諦めないか。
 そんなこと思ったことなかったな。

「……ありがとう。俺、自分の気持ち言ってみる」

 その子のおかげで諦めない決心がついた。
 その結果、転校することになっても悔いはない。

 まだ2回しか会ってないのにこんなに俺のことを考えてくれるなんて。


「そろそろ帰らないと」

 名残惜しいけど、俺は"帰る"という言葉を口にする。
 まだ荷造りをできていないからもうそろそろ準備しないと。

「またね!」

 もう会うことはないはずなのに、最後までまたね、と言ってくれる。
 そんな彼女の優しさに最後の最後まで救われた。
 もっとはやく出会っていたかった。
 もっとたくさん話をしたかった。

 そんなことを思いながら、公園の外まで歩く。
 まだ聞けてないことがあった。
 だから、俺は振り返って叫んだ。

「きみ、名前は?」

 もう転校するんだから、この街を離れるんだから聴いても意味ない。
 でも、覚えておきたかった。
 俺の心を救ってくれた優しくて素敵な子の名前を。

「あおい。水原葵!」

 水原葵。
 呼ばれた名前を心の中で呼ぶ。

 葵に大きく手を振って、前を向く。
 もう振り返りはしない。

「またどこかで会えたら……」

 そうぽつりと零した一言は雲ひとつない青空に儚く消えていった。