「大丈夫だよ……江里乃には、言わない、から。っていうか言えない、し」
声が震えて、どうしようもない。
瀬戸山は目をそらしたまま、「そう、か」と小さな声でつぶやく。
言わないよこんなこと。言えないよ。言いたくもないよ。
ばさばさっと机の上の教科書を適当に鞄の中に放り込んで、「ごめん、帰るね」と言って踵を返した。
もちろん、瀬戸山はなにも言わなくて、それがなおさら涙を誘う。
追いかけてくるはずもない。
——なんで、キスなんてしたの。
つい、なんて……馬鹿にしてる。目をそらして気まずそうにするなら、しないでほしい。
江里乃のことが好きなくせに、なんでキスなんてするの。私のことを、好きでもないのに、“つい”キスするような、いい加減な人だったなんて。
バス停につくと、ちょうどいいタイミングでバスがやってきて、逃げるように駆け込んだ。
まっすぐ私を見る、瀬戸山の目。
優しい微笑みに、嬉しい言葉。
そして、触れた唇。
なんで、なんで、なんで。
悔しくて、自分の唇をゴシゴシとこすった。
こんな感覚、消えてなくなればいい。なんとなく、キスするような人だなんて思わなかった。
最低最悪の人だ。
江里乃のことを純粋に好きな人だと思っていたのに。あの手紙のように、嘘偽りなく、素直に、まっすぐに、江里乃を想っていると思っていたのに。
好きでもない私なんかに、成り行きでキスするような人。
きっと他の女の子にもこんなことしてるんだ。だから、その気にさせるようなことばかりをするんだ。