ぼくは目に入ったパン屋の軒下まで走った。
【CLOSE】と札が下がっている店のガラス扉に背中を預け、上がった息を整える。
「仲井さん。真面目だから、学校に携帯は持ってこないんだよな」
スマホで連絡を取るという手は使えない、か。
頭を左右に動かし、前髪から垂れてくる水滴を振り落とす。
それでも滴は切れることなく、重力に従ってぽたぽたと制服や地面に落ちていく。
今のぼくは文字通り、びしょ濡れなんだろう。
大きく息を吐いて、前髪をかきあげる。右の手に持っていたスケッチブックに視線を流すと、雨に濡れてしまったページを確認する。
夢中で仲井さんを追い駆けていたせいで、これを庇う余裕がなかった。
最初はページを濡らさないようにしないと、と注意を払っていたんだけど。
よりにもよって、仲井さんの納得したヒマワリのデッサンが濡れるなんて。
まじまじと絵を見つめる。
まるで、仲井さんの心情を表すように、そのヒマワリはぼんやりと輪郭を失い、悲しそうに線がにじみ浮いていた。
「乾かせば、色……ぬれないかな」
ぼくは通学鞄からタオルを取り出し、それで軽く水気を取る。
拭いたら線が伸びそうだから、軽く叩くように水気を取ることにした。
このまま放置するよりは、ずっとマシだろう。
水気を取っている間、じくじくと胸が痛んでしかたがない。
火傷を負ったような鋭い痛みが襲っている。これは仲井さんの心の声なんだろう。
お父さんから放たれた言葉によって、仲井さんは深く傷付いている。
幸いなのはその痛みが彼女ではなく、ぼくが感じている、という点だ。
これも気持ちが入れ替わったおかげなんだろう。
今回ばかりは、ぼくが仲井さんの気持ちを持っていて良かったと思える。
イラストレーターを本気で夢見ている彼女に、この痛みはつらすぎる。