どうして記憶をなくしていたのだろう。

すべてを思い出した今では、それが不思議でしかたない。


わたしは叔父から受けた行為をまったく覚えていなかった。


小学校に入って、それまでのように頻繁に泊まりに行くことがなくなったとはいえ、
何度も顔は合わせていたはずなのに。



閉ざした記憶が再びよみがえったのは、高校2年のお正月。


それは不器用に縫った裁縫の糸がぶちぶちと音をたてて千切れていくような、

恐ろしい痛みの始まりだった。






大晦日から親戚がうちに集まって年を越す、
というのがいつの間にか定番になっていた。


集まるのは父方の親戚ばかりで、母の方はほとんどいない。

こんなにぎやかな年末年始が過ごせるのはお父さんと再婚したおかげだ、といつも喜んでいた母を覚えている。


コタツを囲んで紅白歌合戦を見ながら、その年最後の食事をした。

大人たちはかなり酒が入り、その中のひとりがわたしにも日本酒を勧めてきた。