あのときの話を持ち出されると分が悪い。
ただ、誰かにたくさんの心配や不安を与えてでも、あのときは、行かなきゃならなかったんだ。
「で、用はなんだった? まさか今さら俺にお説教しようと思ってたわけじゃないよね」
『ああ、そうでしたね。実は『花のある場所』が今度女性ファッション誌で紹介されることになりまして。それのご報告です』
「ほんとに? すっごい嬉しいけど……ファッション誌、なんだ?」
『ええ。最近フユ先生の作品、大人の女性にもとても人気が出始めていますから。子どもにも大人にも愛される作品というのは、とても素晴らしいものだと思います』
「へえ……そっか。うん、そうだね」
机の上に立ててある、綺麗な背表紙を引っ張り出す。
先月出たばかりの新作だ。『花のある場所』というタイトルで、何も持たないからっぽの少女が、大切なものを探して、ひとり一本道を旅する物語。
道はいつも暗く、寒く、ときに岩肌が行く手を阻み、先は高く険しい。
けれどそこを傷付きながら立ち止まりながら行く途中途中で、少女は、ずっと見守ってくれている空の星や、温かく包む気ままな風と出会いながら、考えていくのだ。
自分自身を。世界を。この道の先を。自分は、何に向かっていたのかを。
『近頃のフユ先生の作品、少し変わりましたよね』
ぼうっとしていたところだったので、少し驚きつつ訊き返した。
「何が?」
『文章も、絵も。人の心の内に問いかけるような、深い物語を書かれるようになりましたし、絵のタッチも柔らかくて、より温かみのある雰囲気になったと思います』
「そう、かな。自分じゃよくわかんないけど。思うままに書いてるだけだし」
『思うままに書いているからこそ、の変化ですかね。何があったかは知りませんが……これも、あの3年前の“失踪”が何か関係しているのでしょうか』
「失踪って。大袈裟な」
『大袈裟なものですか。携帯も財布も何もかもを置いて、突然姿を消したのですから』
「まあまあ、その話はさ、また今度で。今日はおめでたい話題を届けにきたんでしょう」
本の表紙を撫でながらくすりと笑う。
ハードカバーの表紙。得意の水彩で描いた女の子は、髪の長い、少しむっつりした顔の、誰より愛らしい女の子だった。