「……ハルカ……ハル、カ……」
「……瑚春も辛かったんだろ。ひとりで真っ暗な道に立ってたんだよな。ずっと、見つけてもらうのを、待ってたんだ」
「……ハルカの名前を……ずっと、呼んでた」
「そうだな」
「見つけてほしくて、何回も、呼んだ」
「ああ。ぜんぶ、春霞には聴こえてた」
抱き締められていた腕がふっと緩む。
少し距離の開いた先に見えたのは、冬眞の、顔で。
やっぱり、すごくすごく優しく笑っているけど、長い睫の先が、少しだけ光っていた。
冬眞も泣いたのかな。
あんまり泣かないハルカの代わりに、泣いてくれたのかな。
だったらきっと、ありがとうって、ハルカは言ってる。
『俺の代わりに泣いてくれてありがとう』
笑いながら、そう言ってる。
「瑚春はいつだって、ひとりじゃないよ」
冬眞の手が、わたしに触れる。
さっきみたいに、確かめるように、髪に触れて、肩に触れて、頬に触れて。
「こんな世界に、誰も居ないなんて思わないで。
いつでも瑚春だけを想っている人が居る。瑚春のしあわせを願っている人が居る」
それから、赤い石の付いた、左耳にも、触れて。
「これまでも、今も、瑚春のことが大好きだ。
これからさきも、ずっとずっと、いつまでも、いつか、コハルが、忘れても。
ずっと側に居る」
またひとつ、ぽとりと目から滴が落ちる。
それに続いて落ちようとした粒を、冬眞の人差し指が掬い取った。
その涙は、きっと、さっきまで大声で泣き叫んでいた涙とは違うものだ。
溜め込んでいたものじゃない。
今の、わたしが、流した、涙。
「コハルはひとりじゃないんだ。もう怖くない」
ねえ、ハルカ。
やっぱりわたしはばかだよね。
ずっとひとりだなんて思ってて、くだらない意地を張って。
臆病なだけだったんだよ。
ただの強がりな。
ひとりじゃ何にもできないくせに、ひとりでできるって思い込もうとしてた。
「だから、どこまでも、まっすぐに」
なんてことはない。
きみは、ずっと。
「生きて、瑚春」
わたしの側に、居てくれてたんだね。
ありがとう。
もう一度きみに会えて、本当によかった。
わたしはまた、きっと、どこまででも行ける。
ねえ、ハルカ。
ちゃんと見ていてね。
調子に乗らないか、見張っていてね。
わたしはすぐに迷子になるから、そっちじゃないって、教えてね。
大丈夫、わたしは、大丈夫。
もう、ひとりじゃないから。
側に居るから。
だから、きみは、そこで、
うろうろするわたしの背中を見ながら、
呆れたように、いつまでも、
笑っていてね。
『どうか、元気で』
◆The last day
≫花の在る場所
地元を走るローカル電車は、今も田舎丸出しの真っ赤な車両だ。
2両しかないのに座席は空いていて、椅子の間をコーヒーの空き缶が転がっていく。
このローカル線に乗り換えた町は少なからず賑わっていたけれど、電車が駅に停まるたびに、町並みはどんどん田舎臭くなっていった。
住宅の側を通っていたはずの線路は、そのうち山に挟まれるようになって、一度また家が増えたけれど、それもぽつぽつと順調に減っていく。
景色に田んぼが急に増えたあたりからは、わたしも知っている名前の土地だった。
「瑚春の住んでた町までは、あとどれくらい?」
冬眞が、膝に置いていたバスケットからサンドウィッチを取り出して、わたしにくれた。
具は玉子だけのシンプルなものだ。
「あと30分くらい。海の方まで行くから」
「そっか。駅からは近いの?」
「ちょっと歩く。でも、そんなに遠くないよ」
サンドウィッチを食べようとしたら、電車が大きく揺れて舌を噛みかけた。
古い車両に古い線路、乗り心地は、快適とは言えない。
空き缶がまたころころと後ろの方に向かって転がっていく。
じっと目で追っていたら、一緒に乗っていたお客さんが拾って、次の駅で降りるときにそのまま持って行ってくれた。
家に帰ろうと決めたのは、わたしだった。
ずっと帰れなかったあの町へ。
もう帰ることはないと思っていたあの町へ。
怖くて、見ようとしていなかっただけなんだと気付いた。
ただの、泣き虫で意地っ張りなわたしの強がりだったんだと、知った。
ハルカと過ごしたあの町は、わたしにとってどこよりも特別な場所だったのに。
ずっとずっと、帰りたいと思っていたのに。
わたしはただ、怖くて、逃げていただけだったんだって。
でも、今なら、帰れるような気がした。
ちゃんと向き合って、いろんな“思い出”を思い出して。
ハルカにきちんと「さよなら」と「ありがとう」を、言えるような、気がした。
だけど、こんなに早くとは思っていなかった。
帰ろうと決めたわたしに、明日行こうと言ったのは、冬眞だった。
「そういうのは、時間とか準備とか、必要ないんだ」
そう言って冬眞は今日の朝、勝手に早起きをして、お弁当を作って、とんでもなく早い時間にわたしを叩き起こして、無理やり着替えさせて。
わたしはまだ眠気まなこで、何が何だかよくわからないまま、とりあえず冬眞の手に引かれて歩いて、商店街の近くの駅から朝一番の電車に乗った。
昨日降っていた雪は、夜の間に止んだみたいだ。
積もっていたら電車が動かなかっただろうから、止んだことはよかったけど、雪景色が見られないのは少し残念でもあった。