「瑚春」
わたしを呼ぶ声がした。
顔を上げると、坂道の一番上から冬眞がわたしを見下ろしていた。
「冬眞……なにしてんの」
「いや、それこっちのセリフでしょ。そんなとこ突っ立って何してんの。おまわりさん呼ばれるよ」
「……あんたに言われたくない」
口の中だけで呟いて、上げた視線をつま先に戻した。
まだ突っ立ったままで、足は棒のように動かなくて。
そういえば、小さい頃もこんなことがあったなと思い出す。
近所のガキ大将にケンカを挑んで、負けて池にぶん投げられたときのことだ。
負けたのが悔しくて、だけど絶対泣きたくなくて、何もできないまま池のど真ん中にひとりで突っ立っていたんだ。
あのときは、確か、なんでか知らないけど、そのうち、気付けば、ハルカが居て。
「瑚春」
呼んだのは、冬眞の声だった。
狭い視界に、わたしのつま先と、冬眞の靴のつま先も見える。
「帰るぞ」
ちょっと温かい冬眞の手が、すっかり冷えたわたしの手を掴んだ。
引っ張られる手。
少しずつ移ってくる、別の体温。
一歩一歩、また足が進んでいく。
どこかへ向かっている。
目の前には、誰かの背中がある。
きみじゃない、誰かの背中。
きみじゃないのに、そのうしろを、わたしは、目印みたいにして歩いている。