わたしは、伸ばした手を掴むことはしなかった。
冷たい池に突っ立って、コイに足を突かれたまま、顔を歪めて春霞を見上げる。
「何、笑ってんだ」
「笑うしかないよ。まさか池の真ん中に突っ立ってるとは思わなかったから」
「……負けた」
「知ってる。もう、かたき討ちなんてしなくていいのに。ほら、たくさんケガしてる」
伸ばしたままだった春霞の小さな手が、わたしのほっぺたに触れた。
そこはちょうどガキ大将にグーで殴られた場所で、さっきからずくずくと痛んでいたところだった。
「絶対ケンカ売りに行くと思ったから、コハルには何も言わなかったのに」
「ケンカ売ったんじゃない。ハルカのかたきを取りに行ったの」
「だからしなくていいって言ったでしょ」
春霞の手がわたしの腕を掴んで、無理やり池から引きずり出す。
服は汚い水を吸って驚くほどに重たくなってて、わたしは池の外の石畳に、そのままべしゃりと座りこんだ。
春霞が、わたしの前に一緒になって座る。
「どっか痛いところはある?」
「全部。全部殴られて蹴られた」
「そっか。じゃあ早く家帰って病院行かなきゃ」
「病院はやだ。きらい」
「じゃあお風呂入って消毒してばんそうこう貼ろう。歩ける?」
「……」
返事をしなかったのは、歩けないからじゃない。
ただ、今口を開いたら、出してはいけないものが溢れてしまいそうな気がした。