春となりを待つきみへ


「どんな、ところ……って」

「この街じゃないんだろ、育ったの」


冬眞が首を傾げる。

生まれはここじゃないって言った覚えはないけれど、ひとりで暮らしているし、なんとなくそう思ったんだろう。


でも、だからって生まれた土地のことを訊いてどうするのか。

そもそも、そんなこと教えてやる義理すらない。


「どうでもいいじゃん、そんなこと」

「どうでもよくないよ。瑚春が生まれ育った町のことだ」

「それよりもあんたが誰だか教えてよ。そっちの方が重要だよ」

「俺のことはいいよ。俺は、瑚春のことが知りたいんだ」


いいわけない。

わたしのことなんかより、あんたのことをはっきりさせる方がよっぽど大事なことだろうに。


だけど、冬眞は、それでも、じっとわたしのことを見つめて。

そのせいでどんな文句だって、言ってやることが出来なくて。


でも、だめだ。


他の言葉すら、わたしの口からは出て来ない。

生まれた町がどんな場所だったのか。

どんな風に、わたしがあの町で過ごしてきたのか。


きっと冬眞が知りたいと思っているそのいろいろな記憶は、もう、口で語るにはあまりにも深いところに在り過ぎて。


どうしたって、何も、言えることはないんだ。

黙り込むわたしにしびれを切らしたのか、冬眞は浅く溜め息を吐いた。

拗ねたように唇を尖らして、軽く眉を寄せる。


「教えてくれないのか、ケチだな」

「もう1回言ってみろそれ、追い出すぞ」

「そしたらまた拾ってもらうよ、瑚春に」


ごちそうさま、わたしが言い返すのを避けるみたいに冬眞は言って、お皿を持って立ち上がった。

わたしはムッとしながら、だけど確かにタイミングを逃したわけで、もう黙って睨むことしかできない。

仕方がないから残りのコロッケを一口で平らげて、残ったコーヒーで流し込んだ。


そうだ、こんな風に、見えない部分に流し込んでしまったから。

もう簡単には浮かび上がっては来ない。

そういう風に、わたしが沈めた。


もう、その心に寄り添うことも、失くしてしまうことも、ないようにと。




ごくん、と最後の一口を飲み込む。

ちょうどそのときに、お皿を洗いに行ったと思った冬眞が戻ってきて、わたしのお皿を片付けながらどこかをついと指差した。


「教えてくれないなら、代わりに、あれを見てもいい?」


指したのは、たった2段しかない小さな本棚。

適当に少ない本が積まれていたはずのそこは、気付かなかったけれどいつの間にか綺麗に整頓されている。


「あれって、どれ?」


訊くと、冬眞は立ち上がって、本棚から1冊の分厚い本を持ってきた。

いや、それは、本じゃない。


1冊の、分厚い、アルバムだ。


「これ、見せて」


片付けられたテーブルに、今度はそのアルバムが乗る。

元は真っ赤だったはずの表紙は、随分色あせて薄く変わってしまっていた。


「昨日掃除してたら見つけたんだ」

「……勝手に、見ないでよ」

「見てないよ。だから今、こうして頼んでるんだろ」


ぽん、と色あせた赤の上に冬眞の手のひらが乗る。

もうずっと長い間、開いていなかったアルバム。


二度と見ることなんてないと思っていて、だけどなぜか、ここに持ってきてしまったもの。



「……勝手にすれば」


口の中で呟いて、布団の中に潜り込んだ。

「瑚春はすぐ布団に潜るなあ」なんてのんきな声が遠くで聞こえて、アルバムの表紙が捲られるのが、音でわかった。




あのアルバムには、生まれた頃からのわたしの写真が挟まれている。

成長するごとに、いつか大人になったら見ようって、その時その時で一番いい写真を選んでそこに入れた。


笑っていたり、ときには泣いていたり。

どんな感情でもいいから、大切だと思えた瞬間を、いつまでも残しておくために。


きっといろんな記憶はいつかは忘れてしまうけど、それでもちゃんと思い出せれば問題ない。

本当に大切なものは心に仕舞って、忘れそうなくらいにどうでもいいけどなるべく覚えていたいものは、ここに仕舞うことにした。


それは“わたしたち”の、大事な記憶の宝箱。

長い間、静かな時間が続いた。

冬眞はじっと、写真の1枚1枚に見入っていたのかもしれない。


だけど、しばらくして。



「瑚春、この人は、だれ」



問い掛ける声がした。


それにわざわざ答えるのは億劫で、潜った布団から出るのも面倒で。

だけど。


「赤ちゃんの時からいつも一緒に写ってる。ひとりだけの写真なんて、ほとんどないくらいに」


それだけで、誰のことを訊いているのかわかったから。

わたしは布団の隙間から顔を出して、眩しい光の下にいる冬眞を見た。

冬眞は、わたしを見ないまま、アルバムの中の1枚の写真を見ている。



一番最後のページ。


高校の卒業式の写真。

制服を着て、卒業証書の筒を持って、同じ顔で笑っている、わたしたち。




「……春霞」




まるで、自分の細胞のひとつのように、沁み込んだ、その名前。



何度も何度も呼んだ、大切な、きみの、名前。




もう、居ない、きみの、名前。






「わたしの、弟」











◇ 追憶Ⅰ











わたしと春霞は、同じときに、この世に生まれた。







お互いに違う細胞から誕生しながらも、この世に存在した瞬間から寄り添って生きる、二卵性双生児。


わたしと春霞はまさにそれで、まだろくに人の形すらしていなかったときから、お互いの側で生きてきた。



一卵性みたいに、血以外の繋がりがあるわけじゃなかった。


でも、違う人間なのに、生まれる前から一緒に居る。



その方がよっぽど、わたしにとっては、特別な繋がりだった。




常に潮の香りが漂う海辺の小さな田舎町。

そこでわたしたちは、とても“春”とは言い難い、真冬の季節に生まれた。

だけどそれが1月だったことから「正月も、春って言うだろ」という両親の半ば無理やりなこじつけにより、わたしたちの季節はずれな名前は誕生の数か月前から決められていた。


春どころか、雪がびゅうびゅうと降り続く絶好調な冬時の、雪景色のなか束の間現れた晴れ模様。


それを待っていたかのように、わたしたちはお医者さんが切った母のお腹の中からおぎゃあと元気に誕生した。


双子はお腹の中ですくすくと双方順調に育っていたけれど、その病院じゃもうずっと、多胎妊娠の場合は帝王切開を行うことになっていたらしい。

母は、赤ちゃんが元気に生まれてくれれば方法なんてどうでもいいわと思っていた人なので、予定通り、入院して、陣痛が来て、わたしたちがぬろんと産道を通ってしまう前に、お腹を切った。



そのときに、たまたま、本当に、たまたま。

取りやすい方に居たのか、お医者さんがわたしを先に取り上げてくれたおかげで、わたしは“姉”という生涯優位に立てる絶好の立ち位置をゲットしたわけだ。

そして、そのたまたまのおかげで生涯不利な位置に立たされる“弟”というポジションに付かされてしまった片割れが、なぜ、“春霞”なんてまるで女の子みたいな名前を付けられてしまったかというと。

それはそのまま、春霞が生まれるまでずっと女の子だと思われていたからで。

そう、春霞はお腹にいる間、なぜだか頑なに自分の大事なところを隠し続けていたのだ。


お医者さんさえ欺くその技量はすさまじいもので、わたしたちを取り上げたお医者さんは両親に謝ったそうだけど、子どもの性別がどっちであろうと気にしない両親は、いたって気楽なものだった。

むしろひとりは女の子なわけだから、もうひとりが男の子だったことは逆によかったんじゃないのか。

そんなことを言い合って笑って、母は何度も切ったお腹を余計に痛めていたそうだ。


だけどひとつ、問題が。

それは子どもの名前のことだ。


気の早い両親はかなり前から双子の名前を決めていた。


生まれの1月にちなんで、“春”の付いた名前。



“瑚春”と“春霞”。



けれど、それは二人ともが女の子であると想定しての名前だった。

男の子なら、きちんと男の子らしい名前を考え直さなければならない。


だけどそこで、気の早さが仇になる。

数か月も前からお腹に向かって「瑚春、春霞ー」と何度も何度も呼びかけてしまっていたせいで、もうすっかりその名前がふたりに馴染んでしまっていた。


今さら変えられない。

だったらどうする。


まあいっか、このまま付けちゃえ。


そして弟は、“春霞”というかわいらしい名前を手に入れた。

二卵性ではあっても、さすがに血の繋がった姉弟だけあって、顔はそこそこ似通っていた。

特に小さい頃は一卵性と間違われるくらいにそっくりで、母はわたしと春霞の服を入れ替えて、おむつ替えをしようとした父を驚かせるといういたずらをよくやっていたらしい。


「ちんちんが無い!」


もしくは「ちんちんが生えてる!」という叫び声がよくわたしの家からしていたと、小学生のときに近所のおばさんから聞いた。

そんなわけで父親すら騙せるほどにそっくりだったわたしたちは、けれど幼稚園に入園したあたりからはさすがに顔つきの違いも出始め、おまけにまったく違う性格の持ち主へと成長しつつあった。



よく言われたことがある。


「春霞くんのほうが、お兄ちゃんだと思ってた」


姉のわたしとしては甚だ不愉快な勘違いではあるけども、言い返すことを一度としてしなかったのは、言い返せないだけの事実がそこにあったからだ。

甘えん坊で怒りっぽくてわがままで泣き虫で人見知りなわたしと違い、春霞は大層お行儀よくて礼儀正しくて愛想の良いしっかり者であった。


正反対のわたしたち。


だけどわたしたちは、決してお互いを羨んだり妬んだり蔑んだりすることはなかった。


だってわたしたちはふたりでひとつ。

半分ずつのわたしたちが、ふたり集まればようやくひとつ。


ふたりは違って当たり前。

わたしはわたしで春霞は春霞。

わたしは春霞、春霞はわたし。


わたしたちは、ふたりでひとつだったんだ。