きみとぼくの、失われた時間



「秋本、サンキュな」
  

沢山の感謝を彼女にぶつける。

言いたいことは山のようにあるけれど、今は飾りっ気のない素直な気持ちを彼女に伝えたかった。

だって彼女がいなかったら今頃、俺は本当の意味で自暴自棄になっていたに違いないんだから。

視線を前に戻して、「俺さ」お前のこと好きになって良かった、目尻を下げる。

これも本当の気持ちだ。
 

「俺、お前のそういうところ好きでさ。惚れたんだよな。暴力的なところは頂けなかったけど」

 
「馬鹿ね」髪を乾かす手がちょっと荒っぽくなった。

照れてるのか、呆れてるのか、今の俺には分からない。

 
「あんたってホンット昔から、そうやって馬鹿の一つ覚えのように自分の気持ちを投げてくるのよね。素直なんだか、純粋なんだか、何なんだか。
本当に女を口説きたいのか、疑問に思うほど場所問わず、尚且つ下心なしに自分の気持ちを伝えてきてたわよね。
―…あんたほど熱心に好きって言う奴いなかったわよ」


「馬鹿でごめんって。自覚はあるから。
でもさ、有りの儘に気持ち、知っておいて欲しかったんだ。着飾っても気持ち、伝わらないと思って」
 
  
その暴力的なところも、ひっくるめて俺はお前のことを好きになったんだぞ。カッコ失恋しちまったけどカッコ閉じる。
 

なーんてカッコつけてみる。
勿論、カッコの部分は心中で呟いたけどな。


「ほんとばか」秋本に毒づかれて、なんだか妙にくすぐったいお気持ちに駆られる。俺、結構恥ずかしい奴なのかもな。


「良い思い出にはなりそうだよ。好きな女の家で世話焼いてもらえるんだから。…まあ、相手はアラサーだけッ、イデデデデ!」
  


「あんたも本当はアラサーよっ」

グリグリと肘で脳天を押し潰してくる。
やっぱその暴力だけは15年経った今も、変わってないんだな!

「俺は15だぜっ!」

まだまだピチピチだと反論。
お肌もまだ若々しい、余計な反論を加えたせいで痛い拳を頂いた。

何かヤな発言があるとそれなんだからもう。

頭を擦って肩を竦めた俺だけど、相手が30だってことにまだ驚きを隠せないと吐露。


まだ言うか、向こうの怒気を無視して一笑した。

 
「だってお前、綺麗だもん。お世辞にも中学生には見えなかったけど、初めて見た時、二十代だと思った。大人になったお前、美人さんだな」
 

いいよねぇ、そんな美人さんの彼氏さんになる人は。羨ましい。

あ、もしや秋本、彼氏がいるんじゃ…。
 

皮肉って気付く。


俺の気持ちはさておいて(どーせ失恋の身だよ!)、ヤだぜ俺、彼氏さんが遊びに来て、俺と遭遇。

「なんだこいつ」と、険悪ムードになって昼ドラ展開勃発とか絶対にヤダ。

15年後の世界で修羅場を迎えるとか、究極にヤダ!


まあ相手は中坊だから、そういう対象には見えないかもしれないけど、秋本は教師だしさ。


もしかしたらもしかすると…、うへっ、彼氏さんが訪問して来たら俺は浴室に隠れておくぞ。
 

「んー、そう考えると俺、いつまでもお前のところにお邪魔するのもアレだよな。弱ったな。数日間で決着がついたらいいけど」


ずっとこのままだったらどうしよう。

暗い方向に思考が回る。
ゾッとした俺はブルッと身震い。早くどうにかしないと、なんで此処に来たか、どうやって此処に来たのか、原因を探って。

んでもって15年前に帰らないと。



……帰っても俺に居場所って居場所、ないんだけどさ。




 

「坂本。あんたさ、此処にずっといてもいいのよ」

「いや、それは悪いし」


ドライヤーの電源が落とされる。

静まり返るリビングにはテレビの音しか聞こえない。

櫛で髪を梳いてくれる秋本は、「いいのよ」やけにしおらしく繰り返した。
 

「あんたみたいな馬鹿を世話できるの、私くらいでしょ。いいわよ、一人くらい養えるし」

「ヒモみたいな言い方するなよな。現実を見てみろって。そうなったら俺、確実なヒモだぞ。失踪事件を起こしてるなら、働けるわけでもない」


「―――…いいんじゃない。それも」


よくないだろ、それ。
 

俺のツッコミは喉元で止まった。
だって振り返った先にいる秋本、やけに子供っぽく笑うんだぜ。


お前は本当にそれでいいのかよ、ヒモだぜ、ヒモ。意味分かってる?


唖然とする俺を余所に、

「さ。行きましょう」

ドライヤーを片付ける秋本は、ちゃっちゃかと支度を始める。


キャップ帽を投げ渡して早く行動しろと急かされたから、俺は重い腰を上げらざるを得なかった。
 

15年後の秋本は、びっくりするくらい面倒見が良い。

教師だからだろうか?



*
 

1996年から2011年の日本、俺の住む地元、俺の住む街、たった15年で街ってこんなにも変わるのか。
 

道路を走っている秋本の車から外を眺めている俺は飽きもせず見慣れた、でも見慣れない街を眺めていた。

白昼の街は昨晩歩いた街とはまた別の顔を見せてくれる。

燦々と降り注ぐ日の光を街が体いっぽいに受けているからだろう。


暗くて見えなかった街の一部分も、今日は綺麗に光に照らし出されている。
 

全開にしている窓から身を乗り出すように街を眺めていると、「危ないでしょ」秋本に注意を促された。
 

浮いた腰を座席に落とすけど、目は完全に街に釘付け。

目新しい街を見ているようで、ついつい新鮮味を噛み締めてしまう。


「なあ秋本」


発進してから幾度と質問を飛ばす俺は、運転手にあそこのたこ焼き屋はなくなったのかと右歩道の向こうを指差す。

たこ焼き屋があった場所にクリーニング屋ができちまってる。
俺の行きつけの店だったんだけど。

飽きれもせず相手をしてくれる秋本は、「移転したのよ」ハンドルを切りながら答えてくれた。


「すっごく評判が良かったから、駅前に店が移転してるの。あそこは人通りが悪いから、客足が取れなかったらしいの。10年前に移転したんじゃないかな」
 
「じゃあ俺が成人するくらいに移転したのか? 潰れてないなら良かった。あそこのおっちゃん気前が良くて好きだったんだよ」
 

いっつもオマケしてくれるんだよな。

タコもデカイし、味も文句なし。

俺はあそこのたこ焼き屋が大好きだ。
 


「それにしてもビル多くなったよな」


目に飛び込む景色に、ちらほら高層ビルが見受けられる。

高いマンション、高いビル、高い建物、今の日本は高さを競争しているんだろうか?

やけに高い建物が目立つ。


あと思うのは停車している間、右から左、左から右に横断する人間の手に持っている道具。

携帯を弄ってる奴等がやたら目立つ。


耳から垂れ下がっているのはイヤホンかな?

皆、CDウォークマン(もしくカセットウォークマン)を聴いてるのか?


「坂本、CDもカセットも古いわよ。CDはともかく、カセットテープなんてもう廃れてるんだから」

「はあ?! マジで?!」

「今の子達に、A面とかB面とか言っても通じないわよ」


自分も授業でカセットテープの話題を出したとき、ジェネレーションギャップを感じたのだと秋本。

嘘だろ。
カセットテープ廃れちまってるのかよ。

殆ど使われていないって秋本は教えてくれるけど、じゃあ何で録音してるんだ。


秋本が持っているスマートフォンってやつか?

15年の月日って怖いな。





秋本が連れ出してくれたのは、大型のショッピングモール。

人の密集度・行き交いが多い尚且つ、あまり人目を気にしなくて良い大型モールなら俺を連れて来ても大丈夫だと思ったんだって。


俺的には人が多いほど危険度は増すと思うんだけど、「今の現代人は冷たいのよ」なにせ自分さえ良ければどうでもいいって人が多いから、と秋本。

人が密集しているほどその傾向は強いらしい。


秋本が大丈夫と言うのなら、多分大丈夫だろう。
俺は人知れず胸を撫で下ろした。
   
 

平日でもショッピングモール内は客で賑わっていた。
 
人の多さに流されそうになりながら、俺は秋本の隣を歩く。

だけどすぐに興味が店々いっちまうもんだから、その度にはぐれそうになった。

よってその都度、少しは落ち着きなさいと秋本に叱られた。

教師らしく叱ってくるもんだから、なんだか教師と二人で買い物に来てる気分になった(実際そうなるんだよな)。


ごめんごめん、片手を出す俺に微苦笑を零す秋本は仕方が無さそうに許してくれる。
 

「うわ、あそこにゲーセンがある。今のゲーセンってどんな…、え、ちょ、秋本?」


でも、あんまり俺が落ち着きがないもんだから、強硬手段を取ってきた。


「買い物しに来たんでしょ」


しっかりと俺の手を握って、そのまま歩き出す彼女。

長い足で早く歩くもんだから、俺は駆け足になる。


「な、なあ。秋本、ちゃんとついて来るから…、手、放してくれないか?」

「嫌よ。あんたを放っておくと日が暮れる。リード代わりとして、しっかり握っとくわ」


んなこと言われても、これじゃあ…、なあ。

空いた手でぽりぽりと鼻の頭を掻く俺は彼女と肩を並べて、視線を床に落とす。

一応、お前に好意を寄せていた男なんだから、こういうことされると、あれだあれ。


期待しちまうというかなんというか…、いや、ないってことはハナッから分かってるんだけどさ。

なにせ今の俺とお前じゃ15の歳の差があるんだから。



「こうしてるとさ」


俺は視線を逸らした。
 
「なによ」秋本が意味深に視線を飛ばしてきた。

恋人に見える、とお世辞でも言えないよな。

俺は気まずい気持ちを抱きながら、

「親子に思われるだろ」

苦し紛れの言い逃れをしたせいで、右手を握り潰されそうになった。


……こんの、暴力女!

 
「イテェッて秋本っ、ちょっとは加減しろって。アラサーって現実は変えられないわけなんだしさ!」

「あんたにデリカシーってものを教えたいわよ。誰が親で、誰が子よ。百歩譲って姉弟ならまだしも、親子って」

「恋人だって言ったら怒るだろうから、親子って言ったのに」


「数百倍そっちの方がマシよ!」


全然分かってないんだから、食い下がる秋本はフンと鼻を鳴らして前を歩く。

なんだっていうんだよもう、お前の方が意味分かねぇよ。

俺のこと嫌いだったろうから、親子にしたっていうのにさ。


軽く吐息をつき、俺は秋本に引き摺られる形で足を動かした。

 

ご機嫌ナナメの秋本と一緒に来たのは服屋。
 
そこでまず下着を調達した。

服はどうにかなっても下着だけはどうにもならないから(借りるとかノットセンキューだろ!)、取り敢えず二日分調達。

服は秋本の古着を頂戴することにしたから購入を遠慮。

でも秋本自身は何か一着あった方が良いと言って、メンズ用のシャツを二着買ってくれた。


試着室で着て来いって言われたから、そこに入って着たんだけど…、ちょっと落ち込んだ。



だって試着室に備え付けられている鏡に俺が映っていなかったから。


だけど秋本に心配を掛けたくなかったから、この事実は伏せておくことにする。


これからは極力鏡に気を付けないといけないってことも学んだ。
 

服を買ってもらった後は、日用品売り場へ。

そこで歯ブラシやら共有できなさそう物を買ってもらって、夕飯の買い物を残し、一先ず予定の買い物は終了した。


「折角だし。キャップ帽、いかすの買ってあげるわ」
 

なーんて秋本が仰ってくれたから予定外の買い物開始、帽子を売っている雑貨屋に足を運んでメンズ用のキャップ帽を買ってもらった。
 
借りたキャップ帽よりも、なるべくつばの広いものを購入したのは勿論顔を隠すためだ。


何度も言うけど俺は失踪事件を起こしている。


顔が割られるだけでも不味いってのに、こんな身形だ。

15年前、失踪した少年がそのままの姿で街に戻って来たなんて、世界の仰天にニュースになったっておかしくない。
 

予定外の買い物は飲食にうつった。
 

店自体には入れないけど(だって店に入れば帽子を取らないといけないだろ?)、ちょっとした軽食なら買って備え付けのベンチ・スペースで食べられる。

秋本は俺に奢ってくれた。

その場でフルーツをジュースにしてくれるジュース店でイチゴジュースを、その後は回転饅頭を、シメはアイスときた。


食べ盛りだからなんてことのない量だったけど、秋本には悪いなぁっと思ったり。

だって全部あいつ持ちだから。



費用の話といえば、俺は秋本がお会計を済ませる時にちょっち興奮した。

その時、秋本には興奮の意味が伝わってなかったんだけど(訝しげな眼で見られた)、ベンチで饅頭を食いながら彼女にお札を見せてくれるよう頼んだから、なんで興奮したのか理解。

俺は初めて見る千円札の絵に興奮した。


「野口英世さんじゃんかよ。夏目漱石さんじゃねえ。五千円札は新渡戸稲造さんじゃねえし。一万円は変わってないけど」


百円や十円や五円、一円玉も変わってないみたいだな。

デザインをしっかり覚えているわけじゃないから、はっきりとは断言出来ないけど。


あ、五百円玉が金ぴかだ。銀色の五百円玉じゃない。


物珍しい顔でお金と向き合っていた俺だけど、不意に視線を感じて隣に視線を流した。

そこには回転饅頭を食べ終わって、微笑ましそうに俺を見つめてくる秋本の姿。


ちょっと、嘘、かなり美人に見えたのは俺がどっかでまだ秋本を思っているからだろう。



「もしかしてガキっぽかった?」



俺の問いに、「ガキでしょ」あんたは15なんだから、とお答えを頂戴した。

いや、そりゃそうなんだけどさ。



「懐かしいと思っただけよ、あんたのその姿に。そうやって物事に一喜一憂してたわね」



懐古する秋本。

俺は昨日も秋本(中学生版)に会ったんだけど、こっちの秋本(アラサー版)は15年ぶりの再会。

時間の感覚にずれが生じている。


鼻の頭をぽりぽりと掻いて、

「懐かしい言われてもなぁ」

その場凌ぎの台詞を漏らせば、隙ありだと食べかけの回転饅頭を奪われた。


「あー!」


声を上げる俺を無視して、残り少ない回転饅頭を平らげてしまう秋本。

嘘だろ、自分全部食ってたじゃんかよ!