きみとぼくの、失われた時間


  
手を振って石段を一段いちだん軽快に上る。


染まる紅色の空、夕陽を体いっぱいに浴びて段を上っていく。

二人にはもう俺の姿が見えないのか、それとも突風のせいで視界に俺が映り難いのか、視線の焦点が定まっていない。


だから代わりに声で俺に伝える。



「帰って来い、坂本! 絶対に帰って来いよ! 15の俺達の下に!」


遠藤。

お前とはいつの時代でも、親友だ。




「坂本っ、忘れないでよ! 私はあんたのことが―――…!」


分かってるよ、秋本。

俺も同じ気持ち、気持ちなんだ。
俺は向こうの時代と、この時代で、同じ人物に二回も恋に落ちた。
 


 
遠ざかる同級生の声と強まる風、速まる足。
 

石段を上りきった俺は迷うことなく、時代の迷子を呼んでいるご神木に駆け寄った。


ご神木前で立ち止まった俺は、そいつに触れる前に今一度、その姿を熟視する。

木肌が夕陽色に染まっているご神木、太い幹に枝々に青々とした葉。


すべてにおいて長生きしているんだって思える貫禄だ。



思えば、こいつと出逢ったことですべてが始まったんだよな。
 

散々パニックになったし、不思議現象に怖じたことも多々あったけど、お前は教えてくれようとしたんだよな。


俺の居場所ってヤツを。弱音を吐いて、うじ虫になっている中学生に居場所と時間の大切さを教えてくれようとしたんだよな。


「ありがとう」


俺は相手に綻んでそっと幹に触れる。
額を合わせて、そのぬくもりある幹を撫でた。


お前のおかげで俺は大事なことを沢山学ばせてもらった。

感謝しても仕切れないくらい、感謝してる。してるよ。



足先からじんわりと暖かくなる。
 

全身に暖が回ることで俺の意識は微睡む。

じょじょに真っ白になる意識の中、俺は胸に深く誓いを立てた。

今度現れる時代が百年後だとしても、百年前だとしても、俺は何度だって努力して自分の生きていた時代に帰る、と。


俺を待ってくれている人達がいると知ってしまったんだ。


帰らないわけにはいかないじゃんか、な?
 
 

もう少しだけ待っててな、俺を探してくれた人達。



俺は戻るために何度だってなんどだって時間を彷徨う。



何度だって旅をするから―――…。



  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 












 



「―――…おっとすんません。って、秋本じゃねえか。何してるんだ、こんなところで」

 
 

夕月夜。
 

近所を歩いていた秋本は、曲がり角で偶然にも同級生にぶつかりそうになる。


危うく自転車に轢かれそうになったが、相手が咄嗟の判断でブレーキを掛けてくれたために大事には至らなかった。

「危ないじゃない」

事故を起こしそうになった同級生の遠藤に毒づく。
事故を起こしたら完全に非は自転車にある、とお小言を垂れてみせる。
 

悪びれた様子もなく、ハイハイと聞き流す遠藤は何しているのだと質問を飛ばしてきた。


その様子だと家に帰ってないんじゃないか、遠藤の指摘に秋本は決まり悪く顔を顰める。


錆が目立つハンドルに肘を置く遠藤を流し目にし、「多分あんたと一緒」素っ気無く返事した。

間を置いて、「そっか」遠藤は泣き笑いを浮かべる。


訪れる沈黙。
それが嫌で、秋本はそこまで一緒に歩かないかと誘った。


気分的に人と会話したかったのだ。
 

乗ってくれる遠藤はわざわざチャリから降りて、自分と歩調を合わせてくれた。
 

「何処に行く予定だったんだ?」「気の向くままよ」「なんじゃそりゃ」「あんたこそ予定は?」「んー気分のまま」「一緒じゃない」


簡単な会話を交わして歩道を歩く。

車道を荒々しく過ぎ去るトラックを脇目に、遠藤は苦し紛れに笑って呟いた。

「何処に行ったんだろうな」と。


それが分からないから警察も手を焼いているのだと返す秋本も、表情は彼と同じだった。


本当に何処へ行ってしまったのだろうか、今話題の生徒は。
 


近々ニュースに出るかもしれない。

遠藤の言葉に胸が重たくなる。最悪な事態になっていなければいいのだが。


二人は弾まない会話もそこそこに商店街を通り抜け、小学生に定評の駄菓子屋を横切り、墓地の側の沼地を過ぎた。

重い足取りで、住宅街から外れた神社前の石段に辿り着く。


どちらが先に上ろうと言ったわけではないが、遠藤は邪魔にならないよう石段脇に自転車を止めた。


しっかりと鍵を掛けると待っている秋本と共に石段を上る。


本当に何気ない気持ちでそこに入ったのだ。

それ以上も以下もない。



けれど石段を上り切った二人に待っていたのは、驚きの光景。



静まり返っている物寂しい神社を見渡していた二人は、ご神木に視線を向け、目を瞠ってしまう。

 
ざわざわっとご神木が葉を擦らせて手招き。

急激に失われる口内に唾を送り、顔を見合わせ、夢現をお互い問い掛ける。


ご神木下で眠っている、いや倒れている少年。


あれは夢? 現実? この際、どちらでも良い。


とにかく今、自分達がやらなければいけないのはっ。
 
 



「坂本っ、坂本―――!」
 
 

失踪事件を起こしている親友の名を口にし、遠藤は駆けながらグシャグシャと顔を皺くちゃにした。


声さえ出ない秋本も涙ぐんで、遠藤と共に駆ける。駆ける。風と共に駆ける。




1996年某月某日の木曜。


約1ヶ月前に失踪した少年・坂本健は、地元の神社で発見される。


同級生達の通報によって彼は無事に保護されたのだった。



⇒Epilogue




神様はどうして1ヶ月後という世界に戻してくれたんだろう?


どうして失踪の日に戻さなかったんだろう?
  

あの日々を、1ヶ月という月日を忘れないで欲しいって事なんだろうか?


そんなことしなくても大丈夫なのに。

だって俺は2011年で教えてもらったことは絶対に忘れない。
 

俺が戻ったことで消えてしまった未来だったとしても、アラサー達のこと、2011年の同級生のこと、あの日々のこと、絶対に忘れない。




* * *
    
  
 
「健。今日のお昼ご飯どうしようか…って、いいのに、そんなことしなくても」

 
居間でテレビを観ながら洗濯物を畳んでいた俺は、母さんに声を掛けられて作業の手を止める。
 
「いいよ」暇だったし、綻ぶ俺に微苦笑する母さん。

そっと隣に座ってきた。

手早くタオルを畳んで、次の洗濯物に手を伸ばす俺は昼食の質問に唸り声を上げる。


何が食べたいだろう、気分的にはめん類かもしれない。

だけど昨日の昼はやきそばだったしなぁ。


答えが出ない俺は何でも良いと返答する。「じゃあラーメンでいい?」母さんの問い掛けに頷いた。


さてと昼食を食べ終わったら、勉強しないとな。

うーん、今、何処を授業してるんだろう。
追いつけるかなぁ。一応受験生なんだけど。


お昼過ぎから参考書でも買いに行こうかな…。


肩を落とす俺は、母さんに本屋に行って良いかと尋ねる。

まだ駄目だと即答されてしまった。

えー、まだ駄目なのか。もう随分家に閉じこもっているんだけど。


やっぱ失踪事件ってデッカイ事件なんだな。

苦虫を噛み潰すような表情で俺は呻いた。
  


1ヶ月前に失踪事件を起こした、俺、坂本健が発見されて早2週間が経つ。
 

発見されたその日、俺の身柄は一時病院に預けられた。

そこで家族と対面したんだけど、父さん母さんから大泣きされ、兄貴から何処に行っていたんだと怒られ、家族の心配を一身に浴びた。


俺はどうしようもなくて始終流れに身を委ねていた。


気を落ち着けるために一日、病院で休養を取った後、俺は医師や警察から何処にいたんだと事情聴取を受ける。


俺はよく憶えていないと返した。

他に答えられなかったんだ。失踪した日は神社にいて、そこで時間を潰していた。


そこまでは憶えているのだけれど、後の事は…、と言葉を濁すしかなかった。


何時間も質問に対して同じ事を繰り返す、嘘偽りのない俺の態度を真摯に受け止めた医師は、大人達にこう耳打ち。

精神的ショックから一時的に記憶障害を起こしている可能性がある、と。
 

もしかしたら何か大きな恐怖、不安、衝撃に襲われたのかもしれない。

だから無闇に刺激しない方が良い。


 
そう医師が診断を下したため、俺への質問もじょじょに数が減っていった。


尤も、俺の前でそんな判断は下していない。

身内や警察にこっそりと告げていた。


じゃあ何で俺がそのことを知っているか。
病室で狸寝入りしている際、看護師の話を偶然にも聞いてしまったからだ。


おかげさまで身内も殆ど質問はしてこない。

ただ時折、目で質問をしてくるけれど俺自身答えられそうにないや。


だって言えるか?

実は2011年という未来に行っていました、なんて。
 
それこそ身内を不安に貶めるだけだろうから、俺は甘んじて医師の診断を受けることにした。