食後は珈琲を飲みながら駄弁り。
コンポを持って来て俺と遠藤の好きなアーティストの曲を聴きながら、ただただお喋りに花を咲かせていた。
もっぱら中学時代の話題を口ずさむ二人は、遠藤が持ってきた中学の卒業アルバムを開いて、この子とこの子が結婚しただの、付き合っていただの、色んな情報を教えてくれる。
「こいつ等、デキ婚でさ。子供が6人いるんだってよ。頑張りすぎだろ」
「6人?! それは凄いわね」
「へぇ。この二人、デキ婚で結ばれるんだ」
一つひとつに相槌を打ち、こいつはどうなっただの、あいつは今何しているだの、質問を飛ばす俺は二人と居る時間を存分に堪能。
今日のことを思うと不安がない、といえば嘘になる。
だけどその不安さえ忘れさせてくれるのは、二人がこうしていつもの調子で話し掛け、傍にいてくれるからに違いない。
おかげで俺は今日という日を比較的穏やかに過ごせている。
2011年に飛ばされた1996年の迷子に居場所を提供してくれた、二人が傍にいてくれる。
だから俺は恐いけど怖くない。そう、こわくないんだ。
そうして日曜の昼下がりを三人で賑やかに過ごしていた俺達だったけど、ふっと俺が顔を上げたことにより、その時間は裂かれた。
ガタガタと窓ガラスを揺らしてくる風の呼び声に気付いた俺は、窓辺に立って鍵を解除。窓を開ける。
ぶわっと風が真っ向から吹いた。
吹き抜けるその風の囁きで、俺はタイムリミットをある程度把握する。
静かに明滅する俺の体は、風がやむことで止まった。
嗚呼、行かなきゃ。
あそこに戻らなきゃ。
あいつが俺を呼んでいる。
「外、歩きたいな。2011年の街、もっかい歩き回りたい」
訪れる沈黙を裂いて、俺は外に行こうと二人を誘う。
戸惑いを浮かべている二人に、「歩くとボケ防止になるみたいだぜ」小生意気を口にした。
先に悪ノリをかましてくれたのは遠藤で、「まだ29だっつーの」ボケるかよ、腰を上げて支度を始める。遅れて秋本も腰を上げた。
いつもの勝気で俺の頭を小突いてくる。
二人の優しさと気遣いをヒシヒシと感じた。
だけど、その気遣いにちょっと哀愁が漂っている。
申し訳なさで一杯になった俺は、二人を驚かせることで気持ちを紛らわしてもらうことにした。
「なあ遠藤。姿見あるか?」
ジャケットを着る遠藤に質問。
「姿見?」寝室にあるけど、そう答えてくれる親友に借りるからと断りを入れた。
キョトン顔を作っている親友と同級生を置いて寝室に向かった俺は、姿見を持ってリビングに戻る。
姿が映らないよう気を遣いながら壁に立てかけ、二人にはこの姿見に全身が映るよう、肩を並べて立ってくれと頼んだ。
何をする気だと訝しげな眼を飛ばすアラサー組に、いいからいいからと笑顔を作る。
仕方が無しに肩を並べてくれる二人、更にしゃがんでくれるよう頼んだ。
ますます訝しげな表情を作る二人はゆっくりとした動きでしゃがんでくれた。
「これでいいか?」
遠藤の問いにOKだと返事し、俺は急いで移動する。
そしてイソイソ、学ランの上衣を脱いでカッターシャツ姿になると二人の後ろに回って勢いよく突撃。
アラサー組の首に腕を回した。
「ちょ、何するのよ。坂本」
「何の悪ふざけだよ、これ」
前のりになる二人に一笑して、「俺。二人に逢えて良かった」感謝の言葉を綴る。
急にどうしたのだと空気を壊そうとする遠藤と秋本を無視し(別れの瞬間だと思ったのかもしれない)、俺は二人にありがとうを伝える。
この2011年でアラサーになったお前等に逢えて良かった。再会できて本当に良かった。
おかげで居場所を見失っていた俺は、自分が1996年にとってどういう存在かが分かった。
怒らせて、喧嘩して、一蹴されても、窮屈な世界だと思っていても、俺には各々居場所があった。
自分なんてちっぽけだと思い込み、へそ曲がりのイジけ虫になって俺だけど、俺自身が気付いていないだけでこんなにも沢山の居場所があった。
俺は感謝したい。居場所を作ってくれた人達に。
失踪していた俺を最後まで諦めず、探し続けてくれた人達に。
そして今度は俺の番だ。
傷付けた人達に、支えてくれた二人に、恩返しをしないと。
「俺さ。絶対に戻るから…、自分の生きていた時代に。
そしてお前等と大人になる。約束する。お前等とアラサーになるから…、こんな風に三人でアラサーになろうな」
姿見を指差して俺はニッと頬を崩した。
前方を見た二人は目を真ん丸お月さんに見開き、んでもってどっか泣きそうな、仕方無さそうな笑みを浮かべて頷いてくれる。
向こうの鏡面に映っているのは反転した遠藤と秋本、んでもって俺。
中学生はそこにはいない。
大人になった半透明の俺がそこにはいる。
顔立ちも骨格も背丈も成長した、未来の俺。
背丈は遠藤と比べて高いのか低いのか分からないけど、パッと見秋本よりかは高そう。安心だ。
それにしても案外普通だな。
もっと格好良くなるんじゃないかって期待していたけど、現実は甘くないみたい。
だけど俺はこの姿が、顔が、自身が好きだよ。
「やっとお前等に追いつけた気分」おどけると、「これが本当の光景だろ」遠藤が苦し紛れに笑う。
「秋本。良かったな、坂本の成長が見られて。気分は?」
「煩いわね。最高に決まってるじゃない。私はこいつのこと、ずっと好きだったんだから」
「わぁお素直」遠藤の茶化しを右から左に受け流す秋本は、軽く目元を指で押さえて小さく綻んだ。
「約束だからね坂本。私達と大人になるのよ」
うん、約束だ。俺は秋本や遠藤と大人になる。なるよ。
同級生達と大人になる、同じ時間を過ごす、同じ場所で生きる大切さを俺は学んだから。
遠藤の住むアパートを後にした俺達は、自分達の足で住み慣れた街を歩く。
大通りに出て駅前を通り過ぎたり、真新しい横断歩道を渡ったり、高層ビルを見上げたり。
知っているようで知らない街を三人で歩く。
ちょっとした冒険みたいで楽しかった。
もっと時間があれば、三人で街を散策したかったけどな。
残念な事に時間は押している。あんまりウロウロもできない。
日が傾くにつれて俺の体も明滅する回数が増えたから。
アーケードを潜り、廃れた商店街を通って小道へ。住宅街に入った俺達は通っていた中学校を目指した。
そこで15年後の校舎を瞼の裏に焼き付けた後(大して学校に変化はないけど、まあ一応な)、今度はお気に入りの公園へと向かう。
平日は静まり返っている公園だけど、日曜の公園は賑やかだった。
学生らしき集団がいるせいだろう。
グラウンドでサッカーをしている集団を見物している学生を見つけ、俺は二人にちょっと待ってもらうように告げるとそいつ等に向かって声を掛ける。
ベンチに腰掛けて駄弁っている中坊は二人。
名を呼ばれて、弾かれたように顔を上げた。
まだ俺の声は届いているようだ。良かった。
「健っ」瞠目してベンチから下りる島津と、驚愕している永戸に大きく手を振る。
明滅を繰り返す俺の体に島津は顔を顰めた。
永戸はきっと島津から事情を聞いているんだろう、表情がそう物語っている。
そんな二人になんて声を掛ければいいか分からないけど、有りの儘の俺の気持ちを伝えようと思う。
「島津、永戸、サンキュな。チョー楽しかった。また遊ぼうぜ」
・・
またの言葉に反応した島津は、「絶対だからな!」声音を張る。
「お前にはまだ奢ってもらってねぇんだからな!
っ…、ちゃんと約束は守れよ。俺、墓に行くまで約束の事を覚えておくつもりだからな!」
「僕なんて二千円分、徹也に奢らされたんだからね! 君もそれくらい奢ってよ!
それから今度は三人旅だからっ、忘れないでよ!」
おう、忘れないよ。
忘れたらお前等に祟れそうだもんな。
絶対に忘れない。
お前等が俺に教えてくれたこと、仲間に入れてくれたこと、何気ない励ましに会話。サッカーをしたことも、旅も全部忘れない。
もう一度手を振って踵返す。
「健―!」
叫ぶ島津によって、俺は再び足を止めた。
首を捻ると、彼が顔を歪めて質問を飛ばしてくる。
「お前は消えないよな?! 幽霊じゃないんだろっ、人間なんだろっ、成仏なんてしないんだよな!」
間髪容れず、俺は破顔する。
「―――…島津、永戸、15年後にまた会おうな」
2011年という世界でお前等と出逢えた。これも何かの縁なんだと思う。
だから15年後、2011年の世界できっと俺達はまた出逢える。
もしも偶然が出逢わせてくれないなら、努力して自分から縁を手繰り寄せるから。
お前等とは縁があればまた会いたい、じゃなく、もう一度また会う。
断言しておく。
また会おうな、二人とも。
寄り道を終えると、俺はアラサー二人と肩を並べて坂を上る。
内側から順に秋本、俺、遠藤。傍から見ればきっと親子のような光景だろう。
まさか俺達が全員同級生だとは思われまい。
―…まあ、他者からは中坊の姿は見えないから、傍から見れば恋人が肩を並べて歩いているようにしか見えないだろうけど。
弾む会話もなく俺達は目的地に向かう。
車だったらとっくに着いているであろう、その場所を敢えて徒歩で向かう。少しでも長く居るために。
俺は歩道と車道の境界線を歩いた。白線になぞって歩き、マンホールが現れると飛び越える。
一部始終を見守っていた遠藤が「ガキくせぇ」っと毒づく。
いいじゃねえかよ、面白いんだから。
反論して、俺はまたマンホールを飛び越えた。
そうして白線を歩いていると、手を握られたような気がした。
気がしたっていう表現は誤植じゃない。
もう触覚が殆ど機能していないんだ。
顔を上げる俺は、自分の腕を目で追い、手元に視線を留めた。
「透けてるね」握っている手を見つめ微苦笑を零す彼女に、「だな」俺は明るく笑って返す。
「あんたの手、やっぱり冷たいわよ。幽霊みたい」
「んー。俺は何も感じねぇや。触ってるのかどうかも分かねぇけど、得してるってことは分かってる。こうしてるとさ、俺達、姉弟みたいだな」
「馬鹿、あんたって空気読めなさ過ぎ」
わざとですよわざと。ちゃーんと空気は読んでいます。
舌を出す俺に秋本はやや不機嫌な面持ちを見る。
「やっぱガキだ」横目で見てくる遠藤は、俺等のやり取りに余所でやれと舌を鳴らした。
バツイチには辛い光景なのか?
余計な一言を言ったせいで、遠藤に頬を抓まれた。
そのまま引っ張られる。
痛くはないけど、なんとなく痛い気分になるのは視覚の問題か?!
「おひょなげひゃいひょ。えひょう(大人気ないぞ。遠藤)」
上手く喋れない俺はこのアラサー、バツイチ、ノッポっと悪口(あっこう)を吐きまくる。
「こいつ…、一々バツイチだのアラサーだのを出しやがって。マージどうしてくれよう、この馬鹿息子」
「あら、ついに坂本のパパになったわけ? 遠藤」
「俺がパパならお前はママに指名だからな。結婚しちまうか」
「ヤーよ。あんた、整理整頓もできないズボラ男だもの。しかもこんなクソ生意気な子供はいらない」
ホンットアラサーは失礼な奴等ばっかだな。
俺をなんだと思ってるんだよ。遠藤はいつまでも頬を抓ってくれているし…、傍から見たらパントマイムをしている不思議お兄さんだぜ!
いっそのこと不審者に見られて来い!
心中で毒づきつつも、俺は残り僅かとなった二人との会話を存分に楽しむ。
俺の中の砂時計はもう殆ど残されていない。
タイムリミットは目と鼻の先だ。
長く伸びた両脇の二つの影を見つめて俺は、切な交じりに吐息をついた。
傾く日によって茜空がぽっかりと顔を出す。
紅に化粧されていく空に連動して俺の体も断続的に明滅した。
一定の間隔で明滅する俺の体は、目的地前の石段で激しさを増した。
ダンマリになって石段を見上げる遠藤と秋本。
どんなことがあっても最後まで見送ってくれる同級生達を交互に見やり、俺自身も石段を見上げた。
そして目を細める。
彼等が見送れるのは此処までのようだ。
纏う空気がそう俺に教えてくれる。
まったく会話が飛び交わない。
なんとなく重々しい空気が嫌で俺は二人に声を掛けた。
けれど二人は石段を見上げるばかり。
俺の声に反応を示さない。
嗚呼、もう声が届かなくなったんだ。
せめてもう一度だけ、もう一度だけ。
俺は秋本と繋いでいた手を解き、両手で二人の服を引っ張る。ようやく視線を俺に向けてくれる。
屈めと両者にジェスチャーするんだけど、なっかなか伝わらない。
「なんだって?」「なに?」口で伝えろという二人に焦れた俺は、無理やり二人の腕を引っ張って屈ませる。
んでもって各々の首に腕を回し、軽く抱擁。
ありがとうの声がもう通じないけど、精一杯のありがとうが伝われば良い。
完全に体が透けてしまう。
俺は二人に触れられなくなり、前のりになって転びそうになった。
どうにか足を踏ん張って体勢を立て直す。
ゆっくりと顔を上げ、笑顔を作ってみせた。バイバイの時間だ。もう行かなきゃ。
と、今度は秋本から抱擁された。
もう感触も実体もないだろうに、キツク抱擁してくる彼女は「坂本」、俺の名前を紡いで声音を震わせる。
頬を寄せ、ポンポンッと彼女の背中を叩いた。
何度か手は背中を通り抜けたけど、気持ち的には慰めているつもり。
明滅を繰り返す現実を受け入れてくれない彼女はやっぱり無理かもしれない、と弱々しく吐露した。
「坂本に此処にいて欲しいって…思う自分がいる」
秋本…。
「折角再会できたのに、またいなくなるなんて」
「幽霊でも」傍にいてくれるだけで、楽しかったのに、と彼女。
項垂れてはらはら感情の雨粒を落とす。
身を切られるほど辛いその台詞に尻込みする俺がいるけど、此処は15の俺がいるべき世界じゃない。
2011年の世界はアラサーの俺がいるべき世界だ。
俺は此処にいちゃいけないんだ。
俺の居場所は此処にあるけれど、この時代にはない。
分かって欲しい意味を込めて、俺は彼女を抱擁を返す。
すり抜けるばかりの手は無視することにした。
「秋本」彼女の肩に手を置き、「行かせてやろうぜ」俺の気持ちを酌んでくれる親友は教師に優しく言葉を掛けた。
「こいつは戻りたいんだよ、1996年に。15の俺達と一緒にいたいんだ。俺達と一緒にアラサーになりたいんだよ。俺達と約束だってしてくれたじゃねえか。そうだろ、坂本」
うんっと俺は頷いた。
2011年の二人は大好きだけど、15の俺は望んでいる。15の同級生達と一緒に過ごしたいって。
同じ教室で授業を受けたいし、卒業式にも出たい。
別々の道に進もうと同じ時間を過ごし生きていきたい。
俺はいつまでも15のままじゃ駄目なんだ。