きみとぼくの、失われた時間



押し潰されそうな感情を抱きながら俺は帰路の途中、自分の存在について考えた。

なにもかもがちっぽけに思えたのは俺が弱いからなのだと結論。

自己嫌悪に自暴自棄、此処には俺の居場所なんてないのかも、女々しくも馬鹿馬鹿しい念を抱き、小さな自嘲を漏らして帰路から脱線。
 

家に帰ることを諦め、自分の居場所を探すために住みなれた町を右へ左へ彷徨した。 


今、考えると居場所探しという名目の自分探しだったのかもしれない。




嗚呼、俺が“俺”であるための場所は何処だろう。

 


強い気持ちに駆られた俺は暮れる空の下。

くたびれた通学鞄をお供に商店街を通り抜け、行きつけの駄菓子屋を横切り、墓地の側の沼地を眺めて、居場所を求めて、もとめた。


それこそがむしゃらに。
 

ついに辿り着いた場所、そこは住宅街から外れた神社だった。
 

性格上、まったく立ち寄らない神社は閑寂として人の気がまるでなかった。


都会から隔離された場所というべきなのか、それとも人から忘れ去られた聖域というべきなのか、なんの神様が祀(まつ)られているのか分からないけど、神社は物寂れていた。


だけど俺にはひどく心地が良くて、迷う事無く塗装の剥げかけた鳥居を潜り、石段を上って、本殿前に立つ。


見れば見るほど古びた本殿だ。

それなりに由緒ある神社なのか…?
 

両隣の苔の生えた狛犬を眺めた後、俺はおもむろに生徒手帳から十円玉を取り出す。

お守り代わりにしていた貴重なギザ十だけど、小一時間お邪魔するんだ。

それなりのことはしないと罰が当たる。


これ以上の不幸・不運はごめんだ。


俺は賽銭箱に十円玉を放って、パンパンと手を叩き合掌。
 

頭を下げて、「お邪魔させてください」俺には他に行く場所がないんです、此処の神様に事情を説明した。

傍から見れば怪しいこと極まりないけど、此処には俺と神社の神様、それから狛犬くらいしかいない。


盛大な独り言を漏らしたって大丈夫だろう。


 

神様に頭を下げた後、俺は近くのご神木らしき大木下に移動。
腰を下ろして一休みさせてもらうことにした。
 

「凄いな。でけぇ」


根本に寄りかかる俺はご神木を見上げて感嘆、ご神木は大層立派な図体をしている。

一体お幾つなのだろう、百年はゆうに過ぎてるよな。

ぱちぱち、ぱちぱち、何度も瞬きをしてご神木を見つめる。


「静かだな。すっげぇ心地が良い」


ご神木から目を放した俺は改めて神社を見渡した。

神社自体は寂れているというのに、此処の空気を吸えば吸うほど俺に安心を与えてくれる。

まるで俺を受け入れ、んにゃ、歓迎してくれているよう。

自意識過剰かもしれないけど、貴重なギザ十を賽銭に放った俺に居場所をくれているのかもしれない。


心なしかご神木から熱を与えられているような気がした。

木肌と自分の体を密着させると心身あたたかくなる。


吹き抜ける風の心地良さ、安心させる空気、誰かが側に居てくれるようなぬくもり。

すべてが悲観している俺の慰めになってくれる。


気分が落ち着くと、今度は今日一日の底知れぬ悲しみが込み上げてきた。
 
  
なんで今日はこんなに厄日なんだろう。


父さん母さん、喧嘩ばっかだし。

親友の(俺がそう思ってるだけかもしれないけど)遠藤を怒らしちまうし。

片恋を抱いている秋本にはこっ酷くフラれるし。
 

なんとなく生きている毎日の中で、俺は人生一番の厄日を迎えた気がした。



あーあ、俺の居場所、いっぺんになくなっちまった気分だ。


俺ってなんだろう。
なんでこんなにも厄日なんだろう。

前触れはなかったんだけど…、今日は金曜だけど13日だっけな?

いや違う。13日は過ぎたし。



―…もういいや、ごちゃごちゃしてきた。考えるのはやめよう。



持参していた通学鞄を地面に投げると、俺はそれを枕に地べたへと寝転んだ。
 
 
「明日は土曜…休み、か。月曜、学校に行きたくないな」


いつまでも此処にいたいかも、大きな欠伸を一つ零して俺は目を閉じた。

不思議とすぐに襲ってくる睡魔。
ゆらゆらと浮き沈みする意識の中、寝返りを打って俺はご神木と神社の与えてくれる安らぎに甘んじた。


あたたかいな、ぬくもり溢れる此処は本当にあたたかい、あたたかいよ。



俺に居場所をくれる神社の神様に感謝をしながら、ゆっくりと夢路を歩く。


ざわざわと囁く葉の声を聞きながら、頬を撫でる頬を感じながら―――…。




それから俺はどれほど眠っていたのか分からない。

射すような夕陽の眩しさ、擽ってくる風のさざめきで何度か意識が浮上することはあったけど、その夢の中のぬくもりが心地良くて沈潜。深いふかい眠りについた。

眠りに底があるとしたら、俺は眠りの奥底で身を丸めて眠っていたに違いない。
 

ゆらり、ゆらり。

ゆらり、ゆらり。
 


ゆらり、ゆらり。
 


まるで揺りかごのような、優しい揺れの時間の中で俺は眠り続けた。
ただひたすらに眠り続けた。

夢は見ていない。

真っ白な空間とでもいえる夢の中で、貪るように眠っていた。


厄日から逃避したい一心で。

 



起きる契機を掴んだのは肌寒さからだった。
 



今まであたたかかった空気に陰りが射したような、急な冷え込みを感じて俺は目が覚めた。

重たい瞼を持ち上げた先に待っていたのは、真っ暗な神社。

朦朧とする意識が覚醒するまで、暫し時間が掛かったわけだけど、此処が家ではなく神社だということを思い出して俺は飛び起きた。


その拍子に体にのっていた落ち葉が数枚、地面に滑り落ちる。


だけど些細な事を気にする余裕のない俺は、「やっべぇ」どんくらい寝ちまったんだろう、と慌てふためいた。


静まり返っている神社は本当に真っ暗で、微かに本殿や狛犬があるんだって分かる程度。

とっくに日は暮れてしまったようだ。



「一時間居座るつもりがっ、うっわぁ暗っ。今何時だろう? 早く帰らないと親にシメられる」



どんなに親同士が喧嘩をしても、門限は煩いんだよな。

急いで立ち上がった俺は制服についた土埃を払うと、通学鞄を肩に掛けて駆け出した。

「お邪魔しました!」鳥居を潜る際、神社の神様に挨拶。

平坦な石段を下って家路を走った。
 


かろうじて七時過ぎなら親も許してくれるだろうけど、八時過ぎだったら何していたんだって詰問してくるに違いない。
言い訳を考えておかないと。

こういう時、部活をしておけば良かったなぁって思うんだよな。

部活だったら先輩に誘われて…とか、ミーティングがあって…とか、色々言い訳も思いつくんだけど。

ポケベルで一応連絡入れておくかなぁ。

 

…って、あれ?

 

俺は足を止めて鼻の頭を掻いた。


いつものように家路を歩いていた筈だよな…、俺。

もうそろそろ沼地が見える筈なのに、見えてきたのは馬鹿でかいマンション。


すっげぇデカくて綺麗なマンションが俺を見下している。


やけに目立つマンションだけど、近所にマンションなんてあったっけ?
最近建ったのかな?
何階建てだろ、このマンション。

んーっ、俺、道間違えたのかな。


だな、きっとそうだ。
 

未開の神社に足を踏み入れたから帰り道を間違えたんだ。

神社なんて滅多に足を踏み入れないし、住宅街外れまで来ることもそうはない。

道を間違えたんだ。


急いでる時に俺、ナニおっちょこちょいかましてるんだろ。


踵返して俺は来た道を戻って行く。
早足で道を辿っていた足はすぐに減速し一時停止。俺は腕を組んで首を傾げた。


やっぱり道、間違っちゃないぞ。

神社まで戻って来ちまったもん。
 

じゃあ俺の見知った沼地は何処に行っちまったんだろう?
 


 
もう一度踵返してさっきのマンションまで戻った俺は、ジッと相手を見据えながら横を通り過ぎる。

少し先を歩くと見覚えのある民家が見えてきた。

秋には柿が実るその一軒家の表札を見つめて俺はこれまた首を傾げる。


此処は俺の見知った家だよな。

小学生の頃、柿を失敬していたし。


だけど隣地のマンションは俺の見知らぬ建物。

沼地があった場所には沼地がなく、その近くにあった墓地もない。



右の建物は存じ上げますが、左の建物は存じ上げません。



どうなってるんだ?



疑問が脳内で浮かんでは爆ぜ、浮かんでは爆ぜ、少しばかり俺は混乱した。


とにかく今は家に帰ろう。

此処で混乱していても時間を食うばっかりだ。俺は疑問を振り払って歩みを再開。


その後、俺はすぐに道の異変に気付いた。
 

通り道の道路が広くなっていたんだ。

俺の知る狭い道路はそこにはなく、切り拓かれたような広い道路が向こうで待ち構えている。

外灯も多くなっていたし、行きつけの駄菓子屋があった場所はアスファルトで塗り固められて道路の一部と化している。


かと思えば、俺の知る民家が数件見受けられた。


俺の知る場所と知らない場所がある。

そんな馬鹿な。
全部見知っていて当然だろ。
此処は俺の家の近所だぞ。


なんで俺の知らない土地、建物、道路が顔を出してくるんだよ。


おっかしいだろ。




ドックンドックン。
 

嫌に鼓動が鳴った。
背筋にツーッと冷たいものが走って、俺の心臓を慄かせる。

気付けば、駆け出していた。

家路から脱線して街に向かうのは俺自身、此処が俺の知る街だと確かめたかったから。


片隅で家に帰るのがやけに怖かったんだ。

今、家に帰れば俺の内側で何かが決壊してしまいそうで。



街を確かめて、安心して、家に帰ろう。


その一心で俺は近場の商店街に向かった。

俺の地元の商店街は夜九時まで営業していることが多い、活気のある商店街だ。

きっと今も退勤したOLさんやリーマン等々で賑わっているに違いない。
 




「……、今日は定休日だったか?」
 
 
商店街に辿り着いた俺は、物の見事に静まり返っている商店街に絶句せざるを得なかった。

右も左もシャッター、シャッター、シャッター。


まるでシャッター通りだ。


なんで揃いも揃って店を閉めてるんだよ、商店街の皆さん。
今日は町内で定休日を設けたんですか?
 

恐る恐る商店街に足を踏み入れる。
 

いつもは活気付いている魚屋も肉屋も八百屋もオモチャ屋も、あ、母さんの好きな雑貨屋も閉まってる。
 

それだけならまだしも、どの店もシャッターを閉めて随分時間が経っているようだ。

店周りが小汚い。
配布されたチラシや空き缶、煙草の吸殻が無情に落ちている。


雑貨店ならまだしも、不衛生だと生鮮食品関連は不味いんじゃないか?

客の反感を買うって。


風に押されて転がってくる空き缶を軽くスニーカーの爪先で小突き、俺は目を白黒。

ワケが分からなさ過ぎて頭がオーバーヒートしそうだ。

 

堪らず商店街を飛び出した俺は、もっと街の状況を把握するために駆けた。


なんでもいい。


俺の知った街並みを見たいんだ。

知っているようで知らない街並みを目の当たりにするんじゃなくて、見飽きたってほど親しみのある街並みを見たい。探したい。探し出したい。



人の行き交いが激しい大通りに差し掛かる。

  

愕然とした。

俺の知らない街がそこにはずっしり構えている。
 

外から店内がくっきり見えるコンビニ、あそこには酒屋があった筈なのに。

コンビニの隣には見たこともない塾、『難関○○大学五名合格!』とポスターが堂々と貼られている。
塾生を増やすための呼び込みだろう。


片側三車線の道路を挟んで向かい側には、昔世話になっていた小児科病院。

隣には薬局が変わらず建っている。
建っているけれど。


動揺に動揺しながら、俺は街中を彷徨する。


見知った四つ角の交差点、でも角々の店は俺の知らない店。

ガソリンスタンドに焼肉屋。

それから向こうに建っているのはビル。
生命保険会社のビルみたいだ。看板にそう表示されている。


俺の知っている郵便局前を通った。

知っている筈なのに初めましてな気分になったのは、建物が真新しいせいだからか?
 

知ってる街、でも知らない街、その中を歩く俺。


なんだよ、なんなんだよ、これ。

まだ厄日は続いてるのか?

金曜ってそんなに不吉な曜日だったっけ。



途方に暮れまくって街を彷徨う俺は余計、家に帰りたくなくなった。

街でさえこんなにも混乱しているんだ。

家に帰ったら、なんらかの変化があって俺をとことん混乱に追い詰めようとしてくるような気がする。

家には帰りたくない。


じゃあ友達の誰かに会う。


いや、それも…、だったらどうする。

この混乱、困惑、愕然、どうすれば解消するんだ。



亀並みの歩調になる俺は、「腹減ったな」腹の虫を鳴かせて現実逃避。


俺は頭が良い分類じゃない。街の変化に応対できるほどの頭なんて持ち合わせちゃいないんだ。


嗚呼、どうしよう、これから。
 

無性に叫びたい気持ちに駆られながら、俺は信号から信号、歩道から歩道に橋渡し。

考えても良い案も出ないから、とにかく歩くことにする。

俺の見知った街を探すために足をひたすら動かした。
 


トボトボ、そんな足取りで携帯ショップ前を横切ろうとした俺は、見慣れた芸能人のポスターが貼り出されていることに気付く。


足を止めてマジマジ眺めるんだけど、芸能人の顔、やけに老けている気がした。


持っている携帯もめちゃくちゃ薄っ…、『次世代のスマートフォンはこれだ』とキャッチフレーズが目に飛び込んでつい首を傾げる。
 

スマートフォン、なんだそりゃ。

新しい通信機か?
新種のポケベルか?


瞬きをして何気なくポスターを見つめていた俺だけど、下部の表記に目を削いでしまう。



柔らかいフォントで『2011年×月に新型機種発表決定!』