きみとぼくの、失われた時間



なあ永戸、お前、島津とタイプがまったく違うって言ってたけど、それでもお前等…、仲良いじゃん。


島津がそうやって怒ってくれるってことは、すっげぇお前のことを気に掛けていたって証拠。

お前にはしっかりとした居場所、あるじゃんかよ。


タイプはチガウだろうけど、学校では諍いがあるかもしれないけど、でも島津にとっても、お前にとっても結局は関係のないことだろ。なあ?


―――…お前等はそうやって何年も何年も、幼馴染みをしていくよ。


時が経っても変わらない関係でいるんだ、きっと。





嗚呼、俺も、おれも。

 



ギャンギャンヤンヤン喚いている二人のやり取りを遠巻きに見ていた俺は、ふっと風に背中を押されて目を見開く。

 
心地良い風が鼓膜を振動。俺を吹き抜けて向こうへと流れてしまう風は、忙しなく1996年の人間を手招きしているような気がした。


鼓動が高鳴る。


本能的に揺すられた俺は、二人に背を向けて転がるように駆け出した。


「あ。坂本」「ちょ、おい待てよ!」二人の呼び止めを無視して、俺は足を動かす。
  


風が呼んでいる、行かなきゃ。
 

時が呼んでいる、行かなきゃ。



俺を呼んでいる、行かなきゃ。





途中転倒したけど、すぐに起き上がって俺は俺を呼ぶあの場所に向かう。
 

上がった息も、苦しい呼吸も、流れる汗も全部無視。

石段を駆け上がって、例の場所に到着した俺は縺れる足もそのままにご神木前に立つ。


ざわざわ、葉と葉を揺らして俺を出迎えてくれるご神木は、妙に落ち着きがないような気がした。

どうしたんだ、そんなに落ち着きがないなんてお前らしくない。


俺を呼んだのはお前だろ。

落ち着けって。


息を弾ませながらそっとご神木の肌に触れる。


あったかい木肌はいつものように俺を癒してくれるような気がしたけれど、やっぱり落ち着きがなくって。



よしよし、どうどう、馬を宥めるような手つきで木肌を擦ってやる。
 


何度も何度もそれを繰り返しているうちに、俺の手の動きが鈍くなっていく。


そして手を止めてしまった。


「まさか」


息を詰めて、俺は木肌から手を離し、そっと自分の両手の平を見つめる。

乾き始める口内に唾を送って、「まさか」俺は力なくご神木を見上げた。


打って変わって頼りなく、葉を揺らしているご神木は項垂れるように何度もザワザワと音を奏でている。

泣き笑いする俺は、「そっか」肩を落として、軽くご神木とタッチ。


気にするなと伝え、根元に座り込んで背を預ける。
  

ご神木が訴えたいことを理解してしまった。俺は理解してしまった。



「時間が廻り始めたんだ。俺にはそう、時間がない」

 
ふわっと俺を慰めるに風が頬を撫でてくれる。

微苦笑を零して、俺は紫に染まる2011年の空を仰いだ。
 

俺の中の時間が廻り出した。此処に留まれる時間が廻り出してしまったんだ。


今まではきっと、俺の中で止まっていたに違いない。

だけど、今、俺の中ではっきりと感じる。時間が廻り出したことを。


少しずつ分かる時の流れに俺は微苦笑を漏らす。

なんでそんなことが分かるか、ンなの俺でも説明がつかない。でも廻っていることには違いないんだ。
 

じゃあ廻り出した契機はなんだろう。
 

そんなの俺自身が分かっている。

俺がどうして此処に来たのか、なんで此処にいるのか、此処で呼吸をしているのか、それが今なら分かるように、廻り出したきっかけも分かる。


俺の中で拒絶を始めているんだ、2011年の世界を。


秋本や遠藤、それから島津、永戸が俺に仲良くしてくれている。俺はそれが嬉しい。


だけど、俺自身、じょじょに理解し始めている。


此処は俺のいるべき世界じゃないって。



―…そう、15の俺がいていい世界じゃないんだ、此処は。
 

 
「俺は探さないといけないんだ。残した居場所探しを」
 


永戸には偉そうなことを言ったけど、俺もまた旅人。2011年にやって来た1996年人。


死んでいるのか、生きているのか、それはまだ分からないけど、俺は時間の許す限り、行動を起こさないといけない。


だってもう、俺には時間がないんだから。
 

このままじゃ俺は確実に後悔して消えてしまう。


時がリバウンドしてアラサーになる説はない。本能とご神木が教えてくれるんだ。


嗚呼、俺は数日も経たないうちに2011年から消える。


これだけは確信を持って言えることだ。
  


今しばらくご神木と時を過ごした俺は、暮れた空から目を放して腰を上げる。
 

随分長く神社で時間を過ごしていたような気がするけれど、実際、そんなに時間は経っていない。

五分程度、そこに腰掛けていただけだ。

日が暮れてしまうだけで見える世界がまるで違うんだから、太陽の存在の大きさを痛感する。


「もう少しだけ、な」


俺はご神木にもう少しだけ時間をくれるよう頼む。
木肌を優しく撫でて、軽く抱き、その場を後にした。

冷たい石段を下って左折。秋本の部屋があるマンションに向かって足を動かす。外灯が点き始めた。

2011年の夜が到来したんだ。


俺は今日も2011年の夜空の下で生きている。


ふーっと息をついていた俺だけど、「あ。やべ」永戸と島津の存在を思い出して、あっちゃーっと鼻の頭を掻いた。
 

あいつ等を置いて此処まで来ちまったぜ。

どうしよう、あいつ等、俺がいきなり走り出したもんだから戸惑ったんじゃ…、あーあ、やっちまった。

戻って詫びの一つでもするべきだろうか。


だけどあいつ等、まだあのアパート前にいるかどうか、一応付近まで行ってみるか。


決意して十分後のこと、俺はあいつ等と無事再会することができた。イキナリ走り出した俺を探してくれていたみたい。曲がり角で鉢合わせになった。
 

「坂本」急に走らないでよね、永戸が開口一番に文句垂れてくる。


びっくりしたじゃないか、不機嫌になる永戸に悪い悪いと片手を出す。

隣で仁王立ちしているドドド不機嫌の島津はナニを偉そうに、と鼻を鳴らしていた。


どうやら俺と永戸の二人旅を耳にしたよう。

除け者にされたと不貞腐れている。


俺は力なく笑みを返した。大丈夫だって、島津。

今度はお前と永戸で旅すりゃいい。


学校をサボって、勉強よりも大事な事を探せばいいさ。


お前等は同じ時の時間を生きている。何度だって旅が出来る。


「ったく。俺だけ仲間はずれとか論外だろ。腹が立ったから、これからファミレスで奢らせる予定なんだ。お前も入ってるんだからな、健」

「ははっ。勘弁しろって」

「僕だけ奢らせるなんて酷くない? 坂本も行こうよ」


「いやこれからはちょっと」


俺は今日はもう無理だと遠慮した。


だって俺にはもう時間がない。
行きたいし、できることなら三人で駄弁りたいけど…、嗚呼…、こうして会話をしている間にも感じる、タイムリミットの砂時計。


もうのんびり2011年見学をしていることも儘ならない。

そろそろ行かなきゃ。


遠慮する俺に、永戸は共犯でしょっとぶう垂れた。

島津も俺に詫びろって煩い。
マジで勘弁しろって、苦笑いでその場を凌ぐ。



「そこにいるのは永戸に島津?」



此処で第三者が到来。
 
俺の背後に立つ第三者はどうやら二人の同級生らしい。

「久野じゃねえか」名前を聞いて、あの久野サンねっと俺は納得。


振り返れば、まさしくスポーツマンらしい短髪の髪を持った中坊が立っていた。

部活の帰りらしく、通学鞄の他に体操着らしき荷物を持っている。


あの鞄の中身はユニフォームかもしれない。

 
訝しげな眼で二人を見据える久野は何しているんだと肩を竦める。

お前には関係ないだろ、フンと鼻を鳴らす島津は腕を組んだ。


互いに火花を散らし合っている。

こりゃちょっとやそっとじゃ仲直りしそうになさそうだな。

永戸が決まり悪くするのも分かる気がする。


だけど大丈夫、お前等には時間がある。きっと仲直りできるさ。だから永戸、そんな顔するなって。

 
「永戸、今日欠席してただろう? なんで此処にいるんだよ」

「えー…、まあ、そこの友達と」
 

「友達?」眉をつり上げる久野に、「うっぜぇ」島津は行こうぜと永戸、そして俺に声を掛けてくる。

いや、マジで俺は行けないんだって。




久野はますます訝しげな顔を作った。


で、島津に言うんだ。誰と誰を誘ってるんだ、と。


「はあ?」ナニを馬鹿なことを言ってるんだ、島津は忌々しそうに返した。


一方で俺は目を見開く。

そういえばこいつ、さっきから俺に視線がいっていない。


まさか、こいつ、まさか。
 

馬鹿呼ばわりされた久野は、だってそうじゃんかよっと鼻を鳴らした。


「永戸は分かるけど、坂本って誰? お前、誰、呼んでるの?」

「へ、ナニ言ってるの? 坂本、君の目の前にいるじゃん」

「ああ? 俺の前? お前等、俺をからかってるのか? 俺の前にはお前等しかいねぇよ」
 

茶化しても俺は騙されないぞ、久野は素っ気無く返した。


途端に永戸も島津も驚愕の二文字を顔に貼り付かせる。

俺はやっぱりと顔を顰めた。

時間が無いと俺が自覚した分、環境も変化している。


世界は異質な理を排除しようとしている。

自覚した途端にこれだもんな、いつだって不思議事象は俺に優しくない。


消えるのが先か、それとも、俺の行動の方が先か、これはもう時間の問題だ。


「嘘だろ。見えねえのかよ。健のこと。おい健!」


すべての事情を知っている島津が俺を見つめてきた。

その視線を受け止め、静かに笑みを返す。

自分の両手を見つめた瞬間、体が二、三度明滅した。

永戸が目を細めてきたけど、大袈裟に驚くことはない。肝が据わっているな、こいつ。
 

「悪い島津。ファミレスに付き合ってやりたいけど、俺にはもう時間が無さそうだ」

「健、お前。もう成仏するのか?」


「え゛」今、まったく知らない声が聞こえた、久野の顔が強張る。

どうやら声だけはまだ万人に聞こえるみたいだな。多分だけど。


試しに「久野さん久野さん、俺が見えますか」声を掛けてみれば、久野は挙動不審になって周囲をキョロキョロ。

うん、声だけはまだ万人に届くみたいだ。


じゃあなんでこいつ等には見えてるんだろ。

俺と関わったからか?



おもむろに久野に歩み寄って腕を掴んでみる。 

奇声を上げて、五歩六歩後ずさる久野はなんか俺の腕を掴んだ、と顔面蒼白。

島津や永戸からして見れば、単に俺が腕を掴んだだけの光景だけど、相手にはこれっぽっちも見えていないようだ。

うん、実体を掴めることもできるみたいだな。 
 

「坂本」永戸が説明を求めてくるけど、ごめん、俺には時間が無いんだ。両手を合わせて、俺は行かなきゃと二人に謝罪。


「行くって何処に?」


島津の質問に俺は一旦、家に帰るもしくは公衆電話を探すと告げた。

連絡を取りたい相手がいるのだと微笑。

俺に携帯があればいいんだけど、生憎そんな便利機具持ってないから。


ポケベルはこっちじゃ使い物にならないし。


すると永戸は番号は分かるかと質問を飛ばしてきた。良ければ、自分のを貸すと申し出てくる。

マジで? それは助かる。
番号は常にメモとして持ってるんだ。緊急用のために。

早速携帯を俺に差し出す永戸。
 
俺は快く受け取るんだけど、向こうで昇天しそうな少年に気付いて、「あいつ大丈夫?」久野を指差した。

土色の表情をして、「携帯が消えた」意味不明、ああ意味不明、久野はよろっと足元をふらつかせている。

なるほど、俺が物を持つと消えて見えるのか。


それから…、ああ…、もしかしてオカルトとかホラーとか駄目な子か? あいつ。
 

「大丈夫?」永戸が倒れそうな久野の体を支えた。

「眩暈どころじゃねえ」俺は悪夢を見ているんだ、そうだ、きっとそう。久野はうわ言をブツブツ。


しっかりしろって、島津が微苦笑を零して相手の背中を叩いた。


ははっ、俺、本格的な幽霊になった気分だな。あんま実感はないのは、島津や永戸には俺の姿が見えているから。


メモ紙を取り出し、俺は早速電話を掛ける。
 

相手は俺の一番の親友。

秋本に電話を掛けるには、どうしても気が引けた。


コールが鳴り響く。

だけどああくそっ、出ねぇ。
なんでだ? 仕事中だってのは分かってるんだけど、頼む、出てくれ。遠藤。

苛立つ俺の様子に島津はこう助言してくる。
 
 

「普通、知らない電話番号から着信あったら出ねぇからな。まあ掛かっただけでも儲けだと思うぜ? 携帯設定の中に、非通知や電話帳に入っている番号以外の電話番号は着信拒否できるから。
向こうが留守電機能を設定しているなら、それにメッセージを入れたらいいかもな」


幸いな事に遠藤は留守電機能を設定しているようだ。

俺はメッセージに自分の名前と『今からお前に会いたい。無理言ってるのは分かってる。無理そうなら、夜中にでも家に行くから』とだけメッセージを残して電話を切る。

よし、これでいい。

此処から遠藤の家まで、結構距離があるけど歩けない距離じゃない。

今から遠藤の家に行こう。
秋本にはその後、会おう。

勝手に消えて、また二人を傷付けるのはもうやめにしたいから。


だから…、だから…。


手の中にある携帯が振動した。

飛び跳ねて大袈裟に驚く俺に、着信だと永戸が教えてくれる。


携帯を開いてみれば確かに着信、ディスプレイ表記は電話番号のみで名前が記されていない。

だけど、この番号はたった今、俺が掛けた番号。

慌ててボタンを押して電話に出る。

『坂本か?』

向こうから聞こえる声は遠藤のもの。どうやら島津の言うとおり、知らない電話番号には出なかっただけのようだ。


でも留守電を聞いて、掛け直してくれたんだろう。仕事中だってのにごめんな、遠藤。
 

「遠藤。急に悪いな。メッセージの件、どう? 無理そうか」

『今は18時か…、すぐには無理そうだな。どうデータ処理を急いだとしても、二時間は掛かりそうなんだ』
 

『火急か』遠藤の問い掛けに、俺は躊躇した。機具越しから聞こえてくるキーボードの叩く音。聞くだけで忙しそうだ。



そうだよな、お前にはお前の生活があるんだよな。

分かってる、俺という親友ばかりに気を向けておけないんだな。


―――…嗚呼、できることなら、15年間探し続けてくれたお前を傷付けたくない。

この現実を告げたくない。

だけどきっと隠す方が後々相手を傷付ける。


「あのさ」要件を告げようとした時、向こうから電話のベル音が聞こえた。 
『悪い』ちょっと切る、遠藤は慌てた様子で電話を切っちまいやがった。


仕事が立て込んでいるんだな。

社会人さんも暇じゃねえよな。


だから俺はもっぺん電話を掛けて留守電機能になるまで待つ。


んでもって、留守電メッセージにこうメッセージを籠めた。




「遠藤、あのさ。俺、お前の親友で良かった。本当に良かった―――…」