きみとぼくの、失われた時間



「凄かったよ。聡さんのあの時の怒り狂った様子」
 
お前の両親の態度に、椅子を倒して『それでも親かよ!』聡さんは大喝破。

場所人目関係なくテーブルを叩いて、実親に信じられねぇって激怒したんだ。

憤怒する聡さんに警察の人が落ち着くよう宥めに入ったけど、聡さんは全然勢いが止まらなかった。

  
『なんで揃いも揃って健の心配しねぇんだよ!
あいつが家出? ああ、家出かもしんねぇな! つくづく嫌気が差しただろうさっ、自分達の都合で喧嘩ばっかする親なんざな!

あいつは親父やお袋が仲良くしてくれるようっ…、してくれるよう、いつも気遣ってたのに、それさえ気付かないで息子等に八つ当たりばっかしやがって!

あいつがどんだけ悩んでたか知ることもせず、好き勝手怒れてくれるんじゃねえよ! 健がいなくなったのっ、親父とお袋のせいだ―――ッ!』

 
手に負えないほど怒れた聡さんは、感極まって目に涙を滲ましてさ。事情聴取途中にも関わらず飛び出しちゃったんだ。

事情聴取後、俺は聡さんと接触することができたんだけど、聡さんはすっごくお前の身を案じていたよ。そして後悔していた。


『あいつが悩んでるの知ってたのに』


なんでもっと親身に聞いてやらなかったんだろうって。


聡さんとの一件で、お前の両親、大切な事に気付いたのか、目が覚めたみたいに次男の身を心配し始めたんだけど。
 
最初からそんな態度を見せてくれなかったもんだから、聡さん、両親に不信感を抱いたみたいなんだ。

聡さんは信じていたらしいんだ。


どんなに馬鹿な喧嘩して、離婚危機、仮に離婚をしたとしても子供に何かあったら、それなりの態度を見せてくれるだろうって。


だけど、お前の両親はそれなりの態度を取らなかった。

それが聡さん自身の心を傷付けたみたいなんだ。


自分の親はその程度だって見定めちまったっていうか。
 

お前の両親が卒業式に出るって知った時は、『偽善行為だ』って、こっそり毒づいてたし。

今、聡さんは、実家を出て県外で働いてるんだけど、度々会って話を聞く限り、仲は相当悪いみたいだ。

一方的に聡さんが親を突っぱねているともいうんだろうけど。


15年経った今も親心を信用していないんだろうな。


「年内に一、二度会うか会わないかって言ってたよ。一応親を思う気持ちはあるみたいだから、顔は出してるみたいだけど。
ちなみに聡さん、結婚して家庭を持ってるんだ。子供も二人いる」

「兄貴、結婚してるんだ。子供もいるって…、なんか信じられないな。パパしてるのか…。そっか、親と仲が悪くなってるのか」
 

居た堪れない罪悪感が襲ってくる。

家族が心配してくれているのは嬉しい、けど家庭内の仲が決壊しているなんて。

夫婦の次は親子か、しかも原因が次男。

元凶である俺は非常に居た堪れない気分になる。


俺がいなくならなければ親子関係は良好、とまではいかないけど、それなりの仲だったに違いないだろうに。


だけど俺がいなくなったから、父さんと母さんが離婚せずに済んだらしいし、スンゲェ複雑な気持ちだ。
 

決まり悪く鼻の頭を掻いて、吐息をつく。

2011年も良いことバッカじゃないな。
 

「聡さんには会ったらどうだ?」

遠藤の言葉に、

「いや驚かれるだろ」

15の俺が現れたら腰を抜かすって、俺は肩を竦めた。


幾ら血を分けた兄弟でも、ファンタジックに失踪した弟が、しかも15のままの弟が前触れもなく現れたら失神しかねない。


そりゃあ会いたくないって言ったら嘘になるけどさ。

いつまで此処にいられるかどうかも分かんないわけだし。


うんっと伸びをして小さな欠伸を零す。

やっべ、ホットミルク効果で眠くなってきたかも、俺。


元々俺の家は早寝だったしな。徹夜とかできないタチだよ。


子供の様子に一笑する遠藤は寝ていいと、大人らしい一言を放った。

「お前は?」「寝れないっつーの」だからこのまま夜を明かして会社に行くとか。どんだけタフだよ、お前。
 

なんとなく悔しかったから、俺も起きてると意思表明。





だけどそれも、30分以内ですぐに打ち砕かれてしまう。

遠藤とテレビを見ていた筈なのに、いつの間にかテーブルに伏してうたた寝を始める俺。


「お子様には無理なんだって」


寝室で寝て来いよ、親友に揶揄されて、瞼を持ち上げる。

唸り声を上げながら、俺は絶対此処にいると笑ってみせた。


折角仲直りしたんだ、何かと一緒にいたい気分になるのって自然なことだろ?


相手にそう伝えれば、「恥ずかしい奴」悪態を付かれた。


んで勝手にしろ、風邪ひいても知らないぞと一蹴された。

照れ隠しなのは分かってる。


「大丈夫だって。俺、幽霊のようなもんだし、風邪なんかひかないよ。多分だけど」

「こんなにも健康そうな幽霊、見たことも聞いたことねぇよ。……坂本、なんかあったら言えよ。頼むからさ、消えそうになったら俺等に言えよ。突然消えられるの、もう嫌なんだ」


「ん。約束な」俺は目尻を下げて頷いた。

「絶対だからな」約束破ったらひでぇぞ、脅してくる遠藤に、どんなことをするんだって聞けば、


「お清めの塩と御札を用意する」

「完璧に幽霊扱いじゃねえかよ。坂本健を成仏させる気か、遠藤」


冗談もほどほどに、うつらうつらと夢路を歩く中、俺は遠藤と夜が明けるのを待った。



いつか夜は明ける、どっかの流行曲で歌われそうなフレーズに今なら共感を持てる。



そう、いつかは夜が明ける。


15年間、俺のことを探し、待ち続けてくれた親友と俺の間に、今が夜が明けた。



俺は今日という日を、遠藤という親友の思いを、決して忘れやしない。



⇒4章


【4】
  
 

  かたちない、恋 
 
 





なあ秋本。
 
  

あの頃、1996年当時の俺は“好き”を軽く見ていたのかもしれない。


単純に好きと言えば相手に伝わるものだと思っていた、その好意は。


なかなか相手に伝わらなくてやきもきしていた、その好意は。
  

子供ながら発していた好きは、

子供ながら伝えていた好きは、



子供ながら抱いていた好きは、



本当の意味で重みがあったんだな。


 
―――…1996年のお前を好きになった俺は、2011年のお前にもきっと好意を寄せている。


だからお前に好きとは、もう言えない。



* * *
 
 

「秋本先生。学習ってお言葉、ご存知ですか? 毎度痛い目に遭ってる筈なのに…、いい加減学習して下さい」
 
 
朝、俺は亀布団になっている教師に声を掛ける。


「あんまり大きな声出さないでよ」


布団の中でうんうん唸っている秋本から苦情を飛ばされたけど、俺は普通のボリュームで喋ってるっつーの。

憮然と溜息をつく俺は傍らに置いているお盆に目を向けて、二日酔いの薬は飲めそうかと質問。


うっぷ、返事の代わりに聞こえてきた呻きに俺はすかさず洗面器を準備。

吐くなら布団の上じゃなく、此処にお頼み申したい。

片付けが大変になるから。


プライドが勝ったのか、彼女は土色の表情ながらも見事に嘔吐を堪え、

「飲み過ぎたぁ」

寝返りを打ってぐったりと枕に沈む。
 

普段から酒を飲んでは二日酔いを起こす常習犯は、昨晩いつになく酒を煽ってきたらしい。
 

なんで“らしい”と言っているか、それは俺がその現場を見ていないからだ。


彼女は昨晩、女子会(女子だけで集まる会なのか?)ってのに行って、日頃のストレスを発散する如く存分に酒を飲んできたらしい。

酒がまったく飲めない友達にマンション下まで車で送ってもらって帰宅したんだけど、秋本の奴、超べろんべろんだったよ。


絡みが鬱陶しいのなんのって、もはや凄まじいの一言に限るね。帰って来て早々スヤスヤと眠る良い子を叩き起こしやがったんだから(秋本の帰宅した刻は午前2時半)。
 

ハメを外した、彼女は苦虫を噛み潰したような顔を作る。
 

だけど楽しかったんだからしょうがない、と聞いてもいないのに、つらつらと俺に弁解する秋本。


その女子会の集まりは大学時代の同輩らしく、久々にはっちゃけたとか。飲みついでにカラオケオールに誘われたけど、それはちゃんと断った。えらいでしょ。

なーんて俺に伝えてくる。
 


「カラオケに行っても良かったんだぞ」

俺は秋本に苦笑する。

秋本のことだからきっと俺に気を遣って帰宅にしたに違いない。


俺に構うことなく楽しんできてもらった方が、此方としても気が楽なんだけど。俺は居候の身分なわけだし。

寧ろ、叩き起こしてくれるならカラオケで発散してきてくれた方が俺も有り難かった。
 

「申し訳ないじゃない…、あんた…、外出できないのに」
 

自分だけ遊びに出掛けるなんて、申し訳なさ過ぎると彼女はポツリ。

それは仕方が無いと割り切ってるから大丈夫、そう口癖のように言ってるのになぁ。

秋本は仕事をしている身の上、外では沢山ストレスを感じてるだろうから、是非とも仕事や俺のことを忘れて楽しんできて欲しかったんだけど。
 

今度女子会があったら気兼ねなく行って来てくれよ、俺の言葉に却下と彼女。
 

「ヤなもんはヤなのよぉ」


蚊の鳴くような声で呟く秋本は、それにしてもハメを外したと呻く。

これもそれも昨日、教頭がまた見合いの話を持ってきたからだと愚痴った。

「見合い?」

パチクリと目を丸くする俺は秋本に見合いをするのかと質問を重ねた。

まさか、大袈裟に声を出して嘔吐感を思い出す秋本は見合いなんて絶対にしないと、嘔吐に堪えつつ不貞腐れ面を作った。


教頭がなにかと見合い話を自分に持ってくるのだとブツブツ。

なんとなく面白くないと思いつつも秋本もアラサー、身を固める時期に差し掛かっているんだろうな…、と納得した。
 

「見合いかー。秋本も結婚しろってことなんじゃね?」

「嫌よ。私は結婚なんてしないわ。したがって見合いもしない。するもんですか」
 
  
おいおい、お前、一生独身でいるつもりかよ。

俺のツッコミに、それも嫌だと秋本。

ゴロゴロと布団の中で二日酔いと格闘している。我が儘な奴だな、結局どっちなんだよ。
秋本曰く、彼氏もいないそうだし…、今は仕事一筋なのか?
 


「大体坂本」あんた私が恋愛していいわけ、意味深に聞かれて、俺は微苦笑を零した。

したらしたでしょうがないと割り切るしかない、せいぜい邪魔にならないよう遠藤の家にでも居候させてもらうさ。

あいつが恋愛しちまったら、これからどうするか考えることにしよう。


「俺はこの時代の人間じゃないからな。あんま、この時代に生きる人間の生活に支障をきたしたくはないんだよ。
幾らお前と同級生とはいえ俺、15のまま2011年を彷徨っている人間だしな」


「……、やっぱり恋愛なんてしない。あんたがいるから恋愛しない」


秋本はこれ以上聞きたくないとばかりに、ガバッと布団を被ってしまう。


だから俺がいるからどうとか、そんなことを考えて欲しくないんだけど。


鼻の頭を掻いて彼女の名前を紡ぐ。

すると某教師、「恋愛しなかったら」あんたずっと此処にいるんでしょ、とクエッションしてきた。

まさかそんな質問が飛んでくるとは思わず、「え?」間の抜けた声を出してしまう。


「いるんでしょ?」再度質問されて、俺はどう答えて良いか分からず、「そりゃ…」他に行くところないしな…、と生返事。


「じゃあ恋愛しない」


きっぱり告げてくる秋本先生だけど、ちょ、お前意味分かんねぇよ。俺、馬鹿だから期待しちまうぞコラ。

とか冗談を思ってる場合じゃなく、秋本、今のなんだよ。


目を丸くする俺は、亀布団になる相手に恐る恐る声を掛ける。

毛布に包まって丸くなるだけの秋本は、吐き捨てた台詞の意味を一向に教えてくれない。

その態度、まんまガキなんだけど…、15の俺よりガキになってどうするよ秋本。

見合いの話、そんなに嫌だったのか…、それともお前は遠藤の言うように。


15年間、遠藤と共に探し続けてくれていたっていうお前は、俺のこと。
 

と、秋本が布団を跳ね除けた。

 
どうしたんだってビビる俺は、次の言葉にもっとビビることになる。

「嘔吐しそう」

秋本がそんなことをのたまってきたんだ。
そりゃあビビるよな。

急いで洗面器を渡す俺だったけど、便所で吐けると彼女は寝巻き姿で寝室を飛び出す。

布団を被ったから空気が蒸されて嘔吐感を呼んでしまったんだろう。


あいつは飲む加減を知らないのかよ、今日が休みだからって飲む分量は考えて欲しいもんだぜ。

額に手を当てた俺はやれやれと肩を竦めた。そうすることで気持ちを紛らわす。
 


「大学の飲み会、か」
 

あいつ、大学に進学したんだな。

大学ってどんな感じだろう? 中学とは全然違うのか? 高校にさえ進学していない俺には未知な領域だ。


何故だろう、酷く1996年が恋しくなった。

1996年以降の時間を過ごしている秋本に羨望を抱いたから、なのかな。


ゆっくりと立ち上がった俺は寝室の窓を開けてベランダに出る。

劣化しているサンダルを履き、ガラスには映らない窓を閉めた。

手摺に寄りかかり、生あたたかい微風を頬で受け止める。


秋本の部屋は四階、だからそれなりに景色が見渡せることができた。