「……」
狭くて早瀬君の後ろ通れない。
「あ、悪い」
気付いた早瀬君は椅子を前にずらして隙間を作ってくれた。
カタン。
座って、私もパラリと本をめくる。
「それの犯人、主人公の恋人」
「……」
本を持つ手が一瞬止まる。
えーと……。
でも、なんか悔しくて、私は無理に読み進めようとした。
「ぶっ」
クックックッと、普段無表情な早瀬君が笑う。
私は真っ赤になってしまった。
「図書室では、し、静かに」
「ははっ。
楠原って、面白い」
「……」
楠原……。
中学から思い返しても、今、初めて名前を呼ばれた。
「すみませーん、この本返却したいんですけど」
気付くと、1年生のバッジをつけた女の子がカウンターの上に本と手を置いていた。
「あ、すみません。
……っと。
はい。
返却オッケーです」
私は慌てて返却の印鑑を押して本を預かった。
女の子は怖い顔で私をちらっと見て、図書室から出ていった。
「……」
ん?
「あれ?
彼女?
もしかして」
「いや」
「あ……、そ」
「この前告られたけど」
「……」
ふーん……。
「ふーん」
モテるんだ。
……モテるよね。
確かに整った顔しているから。
「楠原は?」
「え?」
「いるの?
彼氏」
「……。
いや。
いないよ」
「ふーん」
ふーん……。
て。
なんだそりゃ。
高校2年生。
一番楽しくて、一番はしゃげて、一番青春を謳歌する時期。
私と早瀬君は、こんなにも地味に、こんなにも静かな図書室で、もくもく、もくもく、
……読書。
変なの。
「楠原さんさー、彼氏とかいるの?」
休み時間に、牧野さんと深沢さんが私の机のところに来た。
お昼を一緒に食べ出してから、ちょくちょく絡んでくる2人。
「い、ない、けど……」
そうなんだー、ってさほど驚いていない顔で2人は頷いた。
「じゃーさ、今までに何人付き合ったことあるの?」
なんか、嫌だ。
そんなの、そこまで親しくなっていない人になんで答えなきゃいけないの?
「えー……。
いないよ。
1人も」
「ええっ!
もしかして、彼氏いない歴17年とか?」
「マジで?」
ちょっとは気を遣ったのか少し小声。
そういう質問自体気を遣ってないけれど。
「ああ。
うん。
次の誕生日で17年。
はは……」
なんで私、笑ってるんだろ。
「えー。
楠原さん可愛いのに。
元はいいのに、何でかね~」
「ね~」
下手なお世辞とかいいのに。
『元はいい』って褒め言葉として微妙だし。
ああ。
もう。
この人達、私と友達になりたいの?
なりたくないの?
何なの?
ホント、面倒くさい。
もうほっといて欲しい。
「彼氏いない歴17年?」
「聞いてたんだ」
放課後。
図書室。
早瀬君がボソッと言った。
「ふーん……」
「何?」
「何も」
パラリ。
早瀬君はいつものように本を読み出す。
いつものように下手なトロンボーンの音が聞こえてき出す。
私は今日習った数学の授業の復習をすることにした。
あまりよく分からなかったから。
シャープペンで頭を掻きながら、授業でやったのと同じ問題を解き直してみる。
「……」
あー、もう、分かんない。
パラリ。
おまけに集中もできないし。
「微積?
今日習ったとこ?」
早瀬君が首をこちらへ向ける。
「あー……。
うん」
「難しい?」
「うん……」
私にとってはね。
「ふーん……」
パラリ。
早瀬君は本に視線を戻す。
「……」
何?
教えてくれる流れじゃなかったの?今。
「……」
早瀬君は頭がいい。
学年でいつもトップ5には入っている。
私も悪い方じゃないけれど、せいぜい20位くらいを行ったり来たり。
「お、教えて欲しいんだけど……」
思い切って言ってみる。
早瀬君はチラリと私を見て、
「いいよ」
と、答えた。
心なしか笑いながら言ったように見えた。
座っている私の横で、半腰で身を乗り出した早瀬君が人差し指で説明する。
早瀬君が作った影の中にすっぽり収まった私は、説明を聞きながらも、早瀬君のシャツの柔軟剤のいい匂いと、時々上下する喉仏と、筋張って大きな手と指が気になって仕方なかった。
変な汗をかいた。
聞かなきゃよかった。
あんまり頭に入ってこなかったし。
「じゃ、解いてみて」
ふいに早瀬君の視線が教科書から私の目に移る。
ドキリ、とした。
見てたこと、気付かれたかな。
「……」
解いてみるが、やはりちゃんと理解が出来ていなかった私の指は途中で止まった。
「……。
ここは、さっき言ったようにこうして……」
そんな私を別段咎めることもなく、早瀬君は丁寧にまた説明を繰り返した。
動く指先。
少し深爪だけど綺麗だな、と思った。