後ろ姿を見つめると、涙が溢れてしまうだろう。
勝手すぎる修弥に、悔しさと惨めさで。
そう思って、遠くなる足音の方を見ずに勢いよく背を向けた。
その瞬間。
――――キイィ…!ドン!
今まで、聞いたことのない音が雨の音の中響き渡った。
ブレーキの音。何かに、ぶつかる音。そして人の叫び声。それは雨音さえもかき消して世界中に響いたんじゃないかと思う。
それは――…私の背中から。
それは――…修弥が歩いて行った方向から。
人々が音のする方に走っていくのが視界に入って、私もゆっくりと振り返った。
まるでスローモーションのように。
私一人だけ世界に置いて行かれたみたいに、ゆっくりと。
「おい…!男の子が轢かれたぞ…!」
「救急車…!」
私の目の前で、周りにいた人が次々と叫び集まる。
大きなトラックの周りに集まる人たちを、ただ私は眺めていた。近くに寄ることもできず、ただ立っていた。
動けないまま。
頭が働かないまま。
何も理解出来ないまま。
ただ目の前を見つめていた。
――何が…?
雨が降り注ぐ。
雨音が、私の耳に響き渡る。
まさか、そう思いながら脚を無理矢理動かした。それはまるで引きずるように。
自分の体はこんなにも重かっただろうか。
「とお、して」
集まる人たちの中、消えるくらいの声を出して入っていく。傘は重たすぎてもっていることもできなかった。
雨だとか濡れるとか、そんなものはもうどうでもいい。
雨の音がうるさいのか、私の心臓がうるさいのかどっちだろう。がんがんと響き渡る。
「しゅう、や?」
血だらけの修弥の姿、周りの人が私に何かを話しかけてるように感じたけれど、それは私の耳には入らなかった。
ただ見えるのは、ただ感じるのは目の前の修弥。真っ赤になった修弥。
目を閉じて――…私が来たことにも気づかない修弥。
「しゅう・・・や」
呼びかけて、そっと体に触れるけれど…動くことはない。
――最後の会話は…なんだっただろうか。
雨が、私を刺す。
それは、強く。強く。
ああ、ほら。
今日はやっぱり――――…
■
「実結!いつまで寝てるの!」
大声で呼ばれ、はっと我に返った。
目の前には真っ白な見覚えのある天井と――…柔らかい暖かい布団。
ここは――…私の、部屋?
「え…?」
私の部屋だ。
どう見ても私の部屋。
だけど――なんでここにいるんだろう。さっきまで私は――…そう思ってまだ脈の速い自分の胸をぎゅっと服の上から掴んだ。
夢?
でもここに今、私がいるって言う事は――夢?
あんなにもリアルな、あんなにも痛い夢?
「実結!」
まだ把握できないでベッドから動けない私に、一階から私に向かって叫ぶ母の声に慌てて「はい!」と返事をした。
さっきのが――現実だとしたら?そう考えてはみたものの、それはさすがに無理があるだろう。
あれから何があったのか私は何も知らないし。
でも――…夢にしてはなんてリアルな…縁起でもない…
階段をゆっくりと下りながら頭の中をとりあえず整理した。何となく夢でも納得がいかない気がするけれど。
でも夢としか思えないのも事実だ。
「ほら、遅刻するわよ!早くご飯食べなさい!」
のろのろとリビングに降りた私を見て、母は少し怒り気味にそういって、机の上に朝ご飯を置いた。
それは、昨日の残りの――…カレーライス。
「なに、これ」
声が震える。
何で震えてるんだろうかと思いながら。
「何って、朝ご飯よ」
そんなもの見れば分かる。
なんで――夢と同じご飯なのかを聞いているんだけど…そんなこと聞いても分かるはずない。
「さっさと食べなさい」
母の声に、のろのろとカレーから視線を移すことなく席に座った。
昨日の晩ご飯がカレーだったから、だから無意識に夢で見たんだろうか。
別におかしな事じゃない。
だって夢だ。
たまたま同じような夢を見たって…普通の事じゃないけど。だけどまあ…あるかもしれない。
ある…のかな。
「今日って何曜日だっけ?」
目の前のスプーンに手を伸ばしながら、慌ただしく動き回る母に声を掛けた。
「カレンダー見なさいよ」
それどころではないと言うように投げられた言葉。電話横のカレンダーに目を移すけれど…
私だって今日が何曜日か、そんなことは分かってる。
ただ――私の感覚が合っているのか知りたかっただけだ。
カレーをじっと見て、食欲はないけれど一口含んだ。
一晩寝かせた、といえば聞こえは良いけれど、ただの昨日の残りのカレーだ。
「夢では――食べたっけ?」
良く覚えてないや。
ケンカしてたんだっけ?
覚えてないから――やっぱり夢かな。
そう思いながら半分くらい食べて外を見ると、ぱらぱらと落ちてくる雨が見えた。
まあ、雨の音を聞いて雨の夢を見るなんて、大したことじゃないか。
まだ、ふわふわと浮いているような違和感の残る体。
――夢ならいい。
むしろ、夢であってくれた方が良い。
直前の血だらけの光景を思いだし、夢とは思えないほど鮮明に残る記憶に血の気が引くのを感じた。
――縁起でもない…
今でも思い出せるブレーキ音と、ぶつかった鈍い音。
目を開けない修弥の姿。
赤い、修弥。
やむことのない、雨。
そのままカチャンとスプーンを置いて席を立った。
「何?もういらないの?」
「…もういい」
悪いけどそんな気分じゃない。
朝からご飯食べる気分でもないし、あんな夢を見たんだからなおさらだ。
「もう!せっかく作ったのに!」
「昨日の残り温めただけでしょーうるさいなあ」
朝は機嫌が悪いんだってば。
何度言えば分かるの。
むすっとしたまままだ下で文句を言っている母を残して二階に上がってベッドにダイブした。
いつもなら二度寝するけど――さすがに今日はもう目がばっちり覚めてしまって寝られる状態ではない。
――ったく、ついてない
朝からあんな夢を見て、お母さんは相変わらず朝から口うるさいし…
夢と同じ、ついてない一日――…
何かが引っかかる始まりだけど――気にしたって仕方ない。だって夢なんだから。
「まさか、ね」
そう呟いて勢いよくベッドから体を起こした。
■
「おはよ!」
のろのろと電車から降りる私に佐喜子から呼びかけられて振り向いた。
朝から綺麗にセットされた髪型の佐喜子の隣にいるとなんだか私のぼさぼさの髪が目立つ見たいに思える。
ちゃんと一応セットはしてるのに――
化粧をちゃんとしている佐喜子に比べたらノーメイクの私は子供みたいだな。化粧してないのは朝にそんな時間がないだけだけど。
「なに?朝から不機嫌ね」
「いつもだよ」
朝は決まってこんなテンションだ。雨ならなおさら。
改札を出て雨の中傘を差すと、周りの人も一気に傘を広げ始める。この様子を上から見るのは色とりどりで面白いんだけどなあ。
あの夢のせいで、雨がなおさら今日はイライラする。
「今日テストがあるから不機嫌なんだと思った」
「…え?」
ふと、足が止まる。
テスト…って…
「小テスト?」
「そうそう、勉強してないんでしょ?」
勉強してないどころか、今思い出した、の方が正しいけど――…それよりも。