「おい…男の子が轢かれたぞ!!」


バイトって何?

何で、バイト?
そんなの知らない。


修弥の、もう姿の見えない修弥の走っていってしまった方向を見つめながら立っていた。


涙はもう出ない。

ねえ、修弥なんて言ったの?聞き間違い?

ふらふらと修弥の方向に歩く。

周りにいた人が一箇所に集まっていく、その中心に向かって。


傘を途中でばさっと投げ出し雨を浴びながら歩いた。



「修弥?」

「君、知り合い?」

人の中に割り込み、何度も名前を呟きながら近づく。

傍にいた人たちが私に気づいて道を空けてくれて、その先に横たわる修弥にそっと、触れた。


「修弥?」


ねえ教えてよ。何の事だったの?

触れても名前を呼んでも反応してくれない修弥に、止まったはずの涙がまた流れた。


目を明けて
笑って
声を掛けて



――…何でも良いから!



早く戻って!今日の朝に。

何度も何度も繰り返したんだから、お願いだから戻って。

聞きたいことがまだまだあるんだ。
言いたいこともあるんだよ。

きっとまだまだたくさんあるんだ。


もう逃げないから。
ちゃんと聞くから。



「修弥!」



もう一度笑って欲しいから。

何で戻らないの、何で目を覚まさないの。

もう嫌だった、もう繰り返したくなかった、だけどお願い。

目をつむって、修弥の手を握って何度も何度も祈った。

お願いだから、お願いだから戻って。いつもの様に繰り返して!!





――こんなのは、嫌だ!!



















   







「――…!」

ばっと目が開いて、そこは、私の部屋の、いつもの天井が私を見下ろしていた。

声が出ない。
まるで今まで息を止めていたかのように息苦しさが残って、乱れたままの呼吸。

体は汗でべっとりとしていた。


――くり、かえした?

ベッドに横たわったまま、目だけで部屋中を見渡して確認をした。

いつもの私の部屋。
窓から見える空は、いつものように、雨。


そしてやっと、大きく息を吐き出した。


怖かった。
もう、戻らないんじゃないかと、そう思った。

あんな風に終わるのは、嫌だ。

ゆっくりと目をつむって、深く深呼吸をして体を起こす。まだ不思議な感覚だ。


ベッドの上に三角に座って顔を埋めて何度も何度も深呼吸を繰り返す。

心臓の音も未だ乱れて落ち着かない。


少しずつ少しずつ落ち着き始める体を抱きかかえながら「――よかった」そう呟いた。


本当に――…良かった。

まだ現実味のない体を確かめるように、手を何度も握ったり開いたりして今、ここにいる自分を感じた。

大丈夫。まだ、繰り返せるんだ。

だけど――…もう終わりが近いんじゃないかという思いが頭をよぎった。

その終わりがどうなるものなのか、私にはわからない。

望む物は一つだけだけれど――…それが――…


「実結!」

動けないままの私に、母がいつものように声を掛けた。

「はぁい」

返事をするほどの元気はなかったけれど、母の声に出来るだけいつも通りに返事をして少し目をつむった。


――よし

自分に気合いを入れて立ち上がって、きゅっと、唇を噛んだ。

今日はちゃんとカレーを食べよう。出来るだけ笑って。いつものように。いつも以上に。


取りあえずは、それからだ。

外に一歩踏み出して、傘をばんっと勢いよく開いた。

雨は今日も相変わらず降り続いている。雲に覆われた空が、色んな物を隠しているようなそんな空。


今日を繰り返す。
雨の中毎日を繰り返す。


変わらない天気の中、変わらない日をぐるぐると。


今日が始まる。

今日は今日で終わるかもしれないし、今日は明日も続くかもしれない、そんな今日。


取りあえず今日を、過ごすしかない。



――修弥と、向かい合って。

修弥と話をしなきゃいけないんだ。






「みーゆ」

ぽんっと肩を軽く叩かれて振り返ると、佐喜子が機嫌が良いのかにこにこと笑って私の傍にいた。

「おはよ」

「何?今日は機嫌が良いの?さてはテスト勉強ちゃんとしてるとか?」

機嫌が良いわけではないし、どうみたって佐喜子の方だと思うけど…余りにもにこにこと笑う佐喜子に私まで釣られて笑った。

「テストかー」

何もしてないのはいつものことで、点数が散々だろう事は毎回同じ。

今回くらいは…勉強でもしてみようかな。何が出たのかは殆ど覚えてないけれど…


でも、その前に…

「学校ついたらそのまま修弥のクラスに行ってくるから先に行ってて」

学校の姿が見えてきた頃に、佐喜子に告げると佐喜子は少し驚いてから、笑った。

聞きたいことがある。
修弥に。




「――佐喜子」

「ん?」

隣に並んで歩きながら名前を呼んでふと気づく。

昨日の話は、昨日の事で、今日の話で、佐喜子はまだ私が知らないと思ってるんだ。

付き合った時のことを…

「あー…」

本当は昨日の事で詳しく修弥のことを聞こうかと思ったのだけれど、うまく言えない事に気づいて言葉を濁らせた。



「修弥は…私のこと…好きなのかな?」



私の言葉に、佐喜子は目を丸くして、その後で「ふっ」と吹き出すように笑う。

…自分で聞いといて何だけど、自分でもこのタイミングで聞くのはちょっと馬鹿みたいだと思った…


「実結はどうなの?」


――…え?


そう言ってくすくすと私の返事を聞くことなく歩いて行く佐喜子に言葉が出ない。


「どーしたの?」

答えも言葉も出ないまま、佐喜子の声に呼ばれて先を歩いた。