落下星 ~キミがくれた、永遠の初恋~




『那智の瞳の底には、キレイな風景がいっぱい詰まってるんだよ』




なつかしい夢を見た。


すべてが始まったあの夜の夢。


風に運ばれてくる潮の匂いと

夜空に浮かぶ満月の光。


あたしはあの夜と同じように、那智の瞳をのぞきこむ。



だけどそこに映ったあたしは

もう、12歳の少女じゃなかった。








なぜあんな夢を見たのか。

目が覚めたあたしは、カレンダーを見て納得した。


もうすぐ6月――


お父さんたちが死んで、一年が経とうとしている。





“那智へ。

お父さんたちの一周忌のことで相談があるので、今夜はなるべく帰ってきてください。

私は21時までバイトをしてから帰ります”



法要の準備を進める前に、那智にも一応相談しておきたくて

あたしは那智の部屋の前に置手紙をして、アパートを出た。






朝の学校は、光と音であふれている。


朝日に目を細めながら教室に向かうと、聞き覚えのある話し声が聞こえてきた。


斗馬くんや湯川くんのグループだ。


ドアの近くでおしゃべりしている彼らは、あたしが教室に入ろうとしていることに気づかない。



「………おはよう」



勇気を出して声をかけると、彼らのおしゃべりがピタッと止んだ。





「あっ、おはよう!」



最初にあいさつを返してくれたのは、斗馬くん。


彼の気さくな笑顔に、あたしは安心にも似た感情を覚える。



「おーっ、姫! おはよ~!」



続いて湯川くんや、他の子たちも声をかけてくれる。


あたしはぎこちないながらも、彼らと会話を交わす。



……クラスの子たちと少しずつ関わるようになったのは、ここ最近のこと。


携帯のアドレス帳にも、新しい名前が増えた。


人づきあいが下手なあたしは、大勢の輪の中にいると緊張してしまうこともあるけれど

そんなときは、さりげなく彼がフォローしてくれるんだ。



彼――そう、斗馬くんが。





この日のバイトは、斗馬くんも一緒だった。


夕方の混雑する時間帯を終え、ホッと一息ついていると


「すみません」


お客さんに声をかけられ、あたしは不慣れな営業スマイルでふり返った。



こげ茶色のスーツに身を包んだ、中年の男性。


まっすぐ伸びた背筋と、端正な目鼻立ち。



かすかな微笑を浮かべたまま、じっと見つめてくる男性客に、あたしはとまどった。



「……あの?」



崩れかけた営業スマイルで用件をたずねると、彼は「あぁ、そうだ」と思い出したように口を開く。



そして次に続いた会話が

あたしをさらに動揺させた。



「本を探してるんだけど、タイトルがわからないんです」


「内容はご存じですか?」


「はい。たしか古い小説で…

“人間の瞳には、美しい風景が詰まってる”

そんな文章があった気がします」




あたしの営業スマイルは、完全に崩れてしまった。


うらはらに、男性客は穏やかに微笑み続けている。




――『知ってる? 人間の目ってね、それまでに見たモノを、蓄えることができるんだって』



あの夏の夜の会話。

幼い日の記憶が、フラッシュバックのようによみがえった。



――『何やねん、それ』


――『こないだ図書館で読んだ小説に、そう書いてたの。
キレイな物とか風景を見たら、それを瞳の底に残しておくことができるんだって。

那智の瞳の底にもさ、キレイな風景がいっぱい詰まってるんだよ、きっと』




「あ…あの……」


なぜ、その本を? とたずねるのは、バカげた質問だろう。

ただの偶然に決ってるのだから。


だけど突然のことに、あたしは混乱していた。



「どうかしましたか?」



様子を変だと思った斗馬くんが、さっと間に入ってくれた。



「あ…お客様が……タイトルの分からない本を……」



ろくな説明になっていないあたしの言葉を斗馬くんは理解してくれたらしく、てきぱきと対応してくれる。


結局、著者名も出版社もわからず、男性客は「あきらめます」と穏やかに微笑んで帰って行った。





「さっきの人、知り合い?」


自動ドアを出て行く男性客の背中を見ながら、斗馬くんが言った。



「え? ううん……どうして?」


「桃崎さん、ちょっと変だったから」


“変”という言葉を強調して言われ、あたしは小さく笑った。


そして、ゆっくりと口を開く。



「……実は……あの人が探してた本、あたしも子どものころに読んだことがあったの」


「へぇ」


「タイトルとか全部忘れちゃったんだけど、内容がすごく印象に残ってて……それでちょっと、ビックリしただけ」



こんなこと言わなくていいのに。

あたしは何をペラペラと……。



「じゃあ、桃崎さんの思い出の本だったんだ?」


「……うん」



ちくちく胸が痛む。


幼い日のあたしと那智の、幸せだった短い時間。


その思い出を斗馬くんに語るのは

なぜか、ズルい気がした。



あたしはそれっきり口を閉ざした。






バイトを終えて帰ると、アパートの中は真っ暗だった。


那智、まだ帰ってないのか……。


ホッとしたような、そうでもないような、複雑な気持ち。


着替えをすませ、しばらくぼんやりしていると、携帯が鳴った。


表示された名前は、斗馬くんだ。



「……もしもし」


『わかった!!』


「え?」



主語も何もない、いきなりの言葉にビックリしていると。



『さっきの本のタイトル! あのあと気になってパソコンで調べたんだ』


「え? え?」


『てか短編だから一気に読んだ』


「えっ? 読んだの?」


『うん。さっき買った』


「……」



何という行動力。


ポカンとするあたしの耳に、電話越しの、車のクラクションの音が届いた。



「斗馬くん……もしかして今、外にいる?」




少し間を置いて、「あ…うん」と答える斗馬くん。



『外、です』



なぜか急に敬語になる彼の声は、いつになく遠慮がちだった。


もしかして、と思った。


そして、胸がとつぜん
トクントクンと高鳴った。



「今……どこ?」


『……○○駅の近く』



このアパートから一番近い駅だ。



なんで? って、聞きたいけど、聞く勇気がない。


でも、もし聞いたなら

返ってくる答えは、たぶんひとつで……




『あのさ。今日、星がすげぇキレイなんだ』


「え?」



何をいきなり言いだすんだろう、と戸惑うあたしに、彼は優しい声で言った。



『つまり……桃崎さんと一緒に、星が見たくて来た』


「……」



『桃崎さんの瞳にも、この風景が残ればいいなって思って』