こんな風に下の名前を誰かに呼ばれること
もう、ないと思っていた。
「あ、そうだ!」
田辺くんが急に、体ごとこちらを向いた。
「名前といえば。姫さぁ、俺のこと苗字で呼ぶのやめてくれね? 呼ばれ慣れてねぇから、なんか痒くなる」
田辺くんは自分の腕をぼりぼり掻いてアピールする。
たしかに学校でもバイト先でも、彼は下の名前でみんなに呼ばれていたっけ。
“斗馬”、って。
呼びやすくて、いい名前だと思う。
「……うん。わかった。
じゃあ田辺くんも――」
「ホラ」
「……斗馬くんも、姫って呼ぶのやめて。あれ、めちゃくちゃ恥ずかしいから」
「藍ちゃんでいい?」
「……」
「いや、やっぱり桃崎さんで」
うん、とあたしはうなずいた。