駆け出すように足を踏み出して、落ちるように階段を駆け下りた。バタバタと大きな音が家の中に響く。

そのまま洗面所の前に立って、鏡の中のわたしに手をついた。

 耳が半分隠れるくらいのショートカットに、上手に整えきれていない眉。寝起きの肌は乾燥もしていなくて、化粧で荒れている様子は全くない。体つきも幼く、手先の爪はありのままの薄いピンク色。

 これは、わたしだ。
 けれど、二十歳の、今のわたしじゃない。


 わたしは昨日紗耶香に会って飲んで帰ってきたはず。大学生で、彼氏と同棲していて、バイトをして過ごしていたはずのに。

 髪の毛にそっと触れてみると、まだ傷んでいないさらりとした感触があり、やっぱりに短い。鏡に映っている姿は正しいのだろう。

両手を目の前に広げては握ってみる。意識と体の動きは一致していて感覚もしっかりと伝わってくる。水をすくうと真冬の凍るような冷たさに手先が悴んで、顔を洗えば頭はしっかりと冴える。

 けれど、姿形はさっきまでと変わらない。
 戸惑いを含んだ目が、わたしを見つめている。

 夢かと思った。今、見えているものは眠っている間に脳が見せているものなのかもしれない、と。けれどこんなにもリアルな夢なんてあるんだろうか。

 まさか、二十歳までの数年こそが夢、だったとか?


「なにしてんの、千夏」
「へ……?」


 にゅっと鏡に映り込んだのは、姉の姿だった。姉も寝起きなのだろう。黄色に近い髪の毛が櫛も通らないのではないかと思うほどもつれ合っていた。やたら細く薄い眉は、ぱっと見ではあるのかないのかよくわからない。

 四つ年上の姉は、二年前から東大阪の方で一人暮らしをしている。銀行の受付をしているから、今は黒に近い茶色の髪の毛に、眉も自然な形に整えられていた。今、隣にいる姉はわたしの記憶の中の姉よりも幾分か若い。まるで、短大生のときのように。

 幼いわたしと、若い姉。

「ほら、さっさとどいてよ、髪の毛セットするんだから」

 しっし、と犬を追いやるかのように手で払う仕草をされて「ごめん」と素直に謝りながら洗面所をあとにする。

ちらりと最後に自分の姿を見やる。毛先だけが揺れる短い髪の毛は、この髪型に切った、というよりベリーショートから必死に伸ばそうとしている途中経過のように見えた。

 この中途半端なヘアスタイルだったのは、今までで、一瞬だけだった。

「おはよう」

 声をかけると父は「ん」と適当な返事をして母は「ほら早く」とわたしを急かす。

 ダイニングテーブルで新聞を読んでいる父の髪の毛は黒くつやがあった。新聞を読むのにまだ老眼鏡は必要としてない。よく見れば母も皺が減っていて体も細くなっている。白髪は全く見当たらない。