親友の言うとおりにしたら、冷酷皇弟の花嫁にされました




 珠緒が北の宮を訪れたのは、その五日後だった。

「紗和!」

 廊下の向こうに懐かしい姿を見つけ、紗和は足を速めた。珠緒は淡い紅色の衣をまとい、菓子折りを抱えていた。

「元気そうでよかった。お手紙を読んで安心したけれど、やっぱり顔を見るまでは心配で」
「来てくれたのね」
「もちろんよ」

 抱き合うと、いつもの香りがした。紗和は嬉しくなった。伝えたいことが、たくさんあった。書庫のこと。槙のこと。庭に来る鳥のこと。
 そして、暁臣様のこと。自室へ案内して茶を淹れると、珠緒は室内を見回した。

「よいお部屋ね」
「庭がよく見えるの。夜は少し冷えるけれど」
「あら、火鉢まで」
「殿下が、置くようにと」

 言ってから、何となく頬が熱くなった。

 珠緒の目が、紗和へ戻る。

「殿下とは、よくお話しするの?」
「お勤めのことを、少し」
「それだけ?」

 悪戯っぽく尋ねられ、紗和は茶碗を置いた。

「朝餉を、ご一緒することも」
「まあ」

 珠緒は笑った。だが、その笑みはすぐに消えた。

「あなたが寂しくならないようにしてくださっているのね」
「そう、ね」

 そうなのかもしれない。紗和は、胸が少し沈むのを感じた。珠緒は包みを開いた。故郷でよく食べた、蜜菓子が入っていた。

「覚えている? 昔、あなたが一度に三つも食べて、お祖父様に笑われたこと」
「珠緒が、私のお皿に置いたのでしょう」
「だって、欲しそうに見ていたんですもの」

 懐かしい話をしているうち、胸の沈みは消えた。やはり珠緒といると楽しい。宮中であったことも、いつか笑って話せるだろう。珠緒は机へ目を向けた。

「まだ、古い文字を読んでいるのね」
「ええ。殿下の呪いに関係があるかもしれないの」

 珠緒が茶碗を置いた。

「呪いに?」
「前に預けた祭文と、同じ言葉があって」

 紗和は机から覚え書きを取った。

「ここ。『閉じたものを、同じ道から』と読めると思うの。でも、この先が」

 珠緒が紙へ身を寄せた。

「これは、あなたが?」
「えぇ。まだ読み間違いも多くて」
「すごいわ、紗和」

 柔らかな声に、胸が温かくなった。

「前の祭文を、戻してもらってもいいかしら。並べて読めば、続きを確かめられると思うの」

 珠緒は少し黙った。

「今は、祭殿に預けてあるの。私も読み直しているところだから」

「そうなのね」

「こちらの写しを借りてもいい? あなたの考えを見ながら調べれば、私にも手伝えると思うわ」

 紗和は頷きかけ、止まった。暁臣の呪いについて書いたものを、勝手に渡してよいのだろうか。迷っていると、珠緒が小さく笑った。

「私には、見せたくない?」
「違うわ。殿下にお許しをいただいてからと思って」
「ああ、そうね。今は、殿下に何でもお尋ねするのね」

 責める声ではなかった。それでも、紗和は茶碗の縁を見つめた。

「怒った?」
「まさか」

 珠緒は手を伸ばし、紗和の指に触れた。

「ただ、心配なの。殿下は、あなたの力を必要としていらっしゃるのでしょう?」
「力?」
「触れると、お苦しみが和らぐのですってね。宮中でも噂になっているわ」

 そんなことまで、知られている。驚いていると、珠緒は痛ましそうに眉を寄せた。

「優しくされて嬉しくなるのは、分かるわ。でも、あまり期待しては駄目よ」
「何を……」
「殿下がお望みなのは、あなたの力かもしれないでしょう」

 言葉が、胸の柔らかなところへ落ちた。

「あなたを傷つけたくないから言うのよ」

 珠緒の指が、紗和の手を包む。

「昔から、優しくされるとすぐ信じてしまうでしょう。私、そこが心配なの」

 何も言えなかった。手巾を差し出してくれたこと。断っても、翌朝変わらず迎えてくれたこと。自分が部屋を出たあと、手を握ると言ってくれたこと。

 特別なのかもしれないと、思っていた。けれど、力が必要なら。自分にしかできない役目があるのなら。その日の夕方、暁臣の手を取っても、紗和は顔を上げられなかった。

「友人には、会えたか」
「はい」
「楽しかったか」
「……はい」

 返事が遅れた。暁臣は気づいたようだったが、問い詰めなかった。それが、今夜は苦しかった。

「殿下」
「何だ」
「もし、私の力が使えなくなったら」

 暁臣の目が上がる。その先を言えずにいると、彼の手がそっと離れた。

「具合が悪いのか」
「いいえ。そういうことでは」
「では、力を使うのが嫌になったか」

 紗和は息を詰めた。嫌だと言えば、この人は本当に使わせないだろう。だからこそ、言えなかった。力がなくても、そばに置いてくれるかなんて。

「何でもありません」

 笑おうとした。うまくできたかは、分からなかった。