〇 花月堂・厨房脇(朝・初舞台の翌日)
ふみが、焼き上がったパンを籠へ移している。
小夜が前掛けを手に入ってくる。
目元が、少し腫れている。
ふみ「今日は休みじゃなかったかい」
小夜が紙を差し出す。
「銀鈴館の稽古は、お休みです。こちらは働けます」
ふみが読み、小夜を見る。
ふみ「声を休めろと言われたんだね」
小夜がうなずく。
ふみ「昨夜は眠った?」
小夜が、もう一度うなずく。
ふみ「それなら、今朝は座って食べな」
小夜は前掛けを広げかける。
ふみが、その手から受け取る。
ふみ「働けることを、今ここで証明しなくていいよ」
小夜の手が止まる。
ふみは椅子を引き、パンと温かい飲み物を置く。
小夜が座る。
紙へ、ためらいながら書く。
「途中で、代わっていただきました」
ふみが隣へ座る。
小夜は、続けて書く。
「皆様に、迷惑をかけました」
ふみは紙を読み、すぐには答えない。
ふみ「悔しかったね」
小夜の目に涙が浮かぶ。
小夜がうなずく。
ふみ「それでも、ここへ帰ってきた。次の稽古にも、行くんだろう?」
小夜は少し考え、うなずく。
ふみ「じゃあ、今日は次へ行けるように食べよう」
小夜がパンを手に取る。
一口食べ、ゆっくり飲み込む。
ふみは何も言わず、隣で自分の朝食を食べ始める。
〇 銀鈴館・事務室(昼・数日後)
小夜が大迫の机の前に立っている。
大迫は書類から顔を上げる。
小夜「初舞台の際は、ご迷惑をおかけしました」
声は、まだ少し慎重。
大迫「喉は?」
小夜「戻りました。清玄先生にも、確認していただきます」
大迫がうなずく。
小夜は紙を差し出す。
小夜「次の稽古で、直したいことを書いてまいりました」
大迫が受け取る。
「映像を見落とした」
「客の反応を怖がって、説明を足した」
「声の不調を知らせなかった」
大迫の視線が、最後の一行で止まる。
大迫「これを、清玄さんと水野にも?」
小夜「はい」
大迫「なら、こちらは預からなくてよい。二人と確認してください」
紙を返す。
小夜「それから、客席のお掃除を手伝ってもよろしいでしょうか」
大迫「なぜ」
小夜「少しでも、お返しを――」
大迫「掃除をする者には、掃除をする仕事があります」
小夜が口を閉じる。
大迫「あなたの仕事を増やして、あの者たちの仕事を軽く扱ってはいけません」
小夜が顔を上げる。
大迫「まず、稽古をしてください。決めた時間に来て、必要なことを知らせる。それを守ってもらえればよい」
小夜「……はい」
大迫が紙の端を指す。
大迫「できるようになったことも、書いておくといい」
小夜が、その空白を見る。
大迫「できないことだけ並べられては、こちらも判断できません」
小夜「分かりました」
小夜が頭を下げ、退出する。
大迫は閉じた扉を見てから、予定表へ目を戻す。
小夜の稽古時間の横に、映写の準備時間を書き込む。
〇 銀鈴館・舞台脇(午後)
清玄、水野、小夜。
小夜が、二人へ紙を見せる。
小夜「映像を、もう一度ゆっくり確かめたいです。手紙を隠す場面だけではなく、その前後も」
水野「分かりました」
小夜「準備に、どのくらいかかりますか」
水野が少し驚いて小夜を見る。
水野「今なら、すぐに」
清玄は紙を読み、返す。
清玄「今日は、まず語らずに見ましょう」
小夜「黙って、ですか」
清玄「ええ。語ることを考えずに」
上映が始まる。
小夜は台本を開きかけるが、閉じる。
男が手紙を読む。
戸口を見る。
手紙を隠す。
女が入ってくる。
小夜が、画面の女へ目を凝らす。
小夜「……笑っています」
清玄「誰が」
小夜「女の人です。入ってきたときは、まだ疑っていません」
清玄がうなずく。
小夜「私は、初めから怒った声で語っていました」
清玄「何が見えましたか」
小夜「会いたくて来たのに、隠し事をされて……そこで、気持ちが変わるのですね」
清玄「では、次はその変わり目を」
小夜が、台本を開く。
余白に書く。
「最初は、会えて嬉しい」
水野が映像を戻す。
〇 銀鈴館・舞台脇(午後・少し後)
小夜が語っている。
小夜〈女の声〉「お邪魔でした?」
明るい声。
画面の男が、不自然に上着を押さえる。
小夜が一拍待つ。
小夜〈女の声〉「……何を、隠したのです?」
清玄が止めずに聞いている。
男が、女を煙に巻こうとする。
小夜〈男の声〉「返事が遅いと怒るくせに、自分は半年も書いてこない」
水野が小さく笑う。
小夜が水野を見かけ、すぐに画面へ視線を戻す。
説明を足さず、次の動きを待つ。
映像が終わる。
清玄「今、何を我慢しましたか」
小夜「笑ってくださったか、確かめたくなりました」
清玄「それで?」
小夜「先に、画面を見ました」
清玄「よい判断です」
小夜が、ほっと息を吐く。
小夜「いつも、そうできるでしょうか」
清玄「いつもできるように、稽古をしています」
水野が次の準備をする。
小夜は湯飲みを持ち、少し水を飲む。
清玄が、それを見て静かにうなずく。
〇 銀鈴館・廊下(夕方)
稽古を終えた小夜が、帳面を見ながら歩いている。
曲がり角から、蓮太郎が現れる。
小夜が足を止める。
小夜「九条様」
蓮太郎「今日は、どうだった」
小夜「女の人が、いつ怒ったのか分かりました」
蓮太郎が眉を上げる。
小夜「映画の、お話です」
蓮太郎「そうか。俺が何かしたのかと思った」
小夜が笑う。
蓮太郎「声も、戻ったな」
小夜「はい。休みましたので」
蓮太郎「約束を守ってくれた」
小夜が少し照れ、帳面を閉じる。
蓮太郎の視線が、その表紙へ落ちる。
蓮太郎「何を書いていた」
小夜「今日、できたことです。大迫様に、できないことだけでは判断できないと言われました」
蓮太郎「なるほど」
小夜「九条様も、お書きになりますか」
蓮太郎「できなかったことなら、山ほどある」
小夜「それでは、できたこともお書きください」
蓮太郎が小夜を見る。
小夜は自分の言葉に気づき、慌てる。
小夜「……差し出がましいことを」
蓮太郎「いや」
蓮太郎が手帳を取り出す。
小夜が目を丸くする。
蓮太郎は一行書き、小夜へ見せる。
「篠宮君が、声を休めた」
小夜「それは、私ができたことです」
蓮太郎「休むように言った相手が、休んでくれた。俺にとっても成果だ」
小夜が笑う。
蓮太郎は手帳を閉じる。
蓮太郎「今日は、帰るんだろう」
小夜「はい」
小夜は鞄を持ち直し、出口へ向かう。
蓮太郎が並んで歩く。
〇 銀鈴館・事務室(数日後・昼)
清玄が、大迫と蓮太郎へ稽古の報告をしている。
清玄「もう一度、短い作品を任せたいと思います」
大迫「声の状態は」
清玄「問題ありません。練習の時間も守っています」
大迫「語りは?」
清玄「前より、相手を見るようになりました。映像も、仕事仲間も」
蓮太郎が静かに聞いている。
大迫が予定表を開く。
大迫「では、この回で。私も確認します」
清玄「承知しました」
蓮太郎「本人には?」
清玄「これから伝えます」
清玄が退出する。
大迫は、予定表へ小夜の名を書く。
蓮太郎「大迫」
大迫が顔を上げる。
蓮太郎「ありがとう」
大迫「判断に必要なものが、そろっただけです」
蓮太郎が、わずかに微笑む。
〇 銀鈴館・舞台脇(再挑戦当日・昼)
客が入場する足音。
小夜が台本を確認している。
以前より書き込みは増えているが、ページをめくる手は落ち着いている。
清玄が近づく。
清玄「困ったときの合図は」
小夜「こちらへ、目を向けます」
清玄「分かりました」
水野が顔を出す。
水野「準備できています」
小夜「お願いいたします」
小夜が客席を見る。
前方に、ふみの姿。
目が合い、ふみが小さくうなずく。
小夜も会釈する。
後方には大迫。
最後列に、蓮太郎が座っている。
小夜の指に力が入る。
蓮太郎は大げさに励まさず、静かに待っている。
小夜が視線をスクリーンへ戻す。
台本の余白。
「誰に、何を届ける?」
小夜は、その文字を確かめる。
〇 銀鈴館・客席/舞台脇(昼・続き)
上映が始まる。
小夜「ある日の夕暮れ。男のもとへ、一通の便りが届きました」
声が客席へ広がる。
男が手紙の差出人を確かめる。
小夜〈男の声〉「返事が遅いと怒るくせに、自分は半年も書いてこない」
客席の一角から、短い笑い。
ほかの客は黙って見ている。
小夜の息が、一瞬止まりかける。
画面の男が戸口を見る。
小夜は説明を足さない。
男が手紙を隠す。
女が入ってくる。
小夜〈女の声〉「お邪魔でした?」
客席のふみが、スクリーンを見つめている。
小夜〈女の声〉「……何を、隠したのです?」
物語が進む。
男の言い訳が重なり、女がついに腕を組む。
小夜〈女の声〉「隠すなら、もう少し上手に隠してくださいな」
客席から笑いが起きる。
小夜も笑いそうになるが、画面の次の動きを待つ。
清玄は脇で、腕を組んだまま聞いている。
やがて、男が手紙を差し出す。
別れたままの家族からの便りだったと分かる。
女の表情が変わる。
小夜は声を和らげる。
小夜〈女の声〉「返事は、お書きになったの?」
男が首を振る。
小夜は間を置く。
小夜〈女の声〉「では、紙を持ってまいります」
女が男の隣へ座る。
小夜「ひとりでは書けなかった返事を、男は、その日ようやく書き始めました」
映像が終わる。
小夜は口を閉じる。
静かな一瞬。
拍手が起きる。
小夜の肩から、力が抜ける。
清玄へ目を向ける。
清玄が、小さくうなずく。
小夜は客席へ頭を下げる。
最後列の蓮太郎も、拍手をしている。
〇 銀鈴館・控室(上映後)
小夜が台本を胸へ抱えている。
水野が入ってくる。
水野「今日は、最後まで合いましたね」
小夜「途中で、また説明したくなりました」
水野「でも、足さなかった」
小夜「……画面を見ることを、思い出せました」
清玄が入ってくる。
小夜が姿勢を正す。
小夜「先生。いかがでしたか」
清玄「客が、映画を見ていました」
小夜が、その言葉をかみしめる。
清玄「次は、声の強さを考えましょう。後ろへ届けようとして、少し力んだところがあります」
小夜「はい」
小夜が帳面を開く。
清玄「今日は、よかったところも書いておくように」
小夜が顔を上げる。
清玄はそれ以上言わず、水野と次の上映の準備へ向かう。
小夜が帳面へ書く。
「最後まで、語れた」
入口に、大迫が立つ。
大迫「篠宮さん」
小夜が立ち上がる。
大迫「次の稽古の日程は、清玄さんと相談してください」
小夜「……次も、来てよろしいのですね」
大迫「契約は、続いています」
小夜が頭を下げる。
大迫「今日の客の反応も、こちらで記録しておきます」
大迫は去りかけ、足を止める。
大迫「お疲れさまでした」
小夜の顔が明るくなる。
小夜「ありがとうございました」
〇 銀鈴館・客席(夕方)
観客が去った館内。
小夜が最後列の前で立ち止まる。
蓮太郎が、まだ席に座っている。
小夜「九条様」
蓮太郎「今日は、最後まで聞けた」
小夜が微笑む。
小夜「ありがとうございました」
蓮太郎「礼を言われることではない。俺も、客として聞いていた」
小夜「……お楽しみいただけましたか」
蓮太郎「男が、手紙を渡すところがよかった」
小夜「最後のところですね」
蓮太郎「声が変わった。隠し事を責める声から、そばにいる声になった」
小夜は驚いて蓮太郎を見る。
小夜「そう聞こえていたのなら、嬉しいです」
蓮太郎「また、聞きたい」
小夜の指が、帳面の表紙をなぞる。
小夜「その言葉が、怖かったこともあります」
蓮太郎が黙って待つ。
小夜「次も必ず喜んでいただかなければと、思ってしまって」
蓮太郎「今は?」
小夜「……まだ、少し怖いです」
蓮太郎がうなずく。
小夜「でも、今日は嬉しいほうが、大きいです」
蓮太郎の表情が和らぐ。
蓮太郎「なら、今日はそれでいい」
小夜が隣の席へ目を向ける。
小夜「少し、座ってもよろしいですか」
蓮太郎が立ち上がりかける。
小夜「いえ。こちらに」
小夜が、一つ隣へ腰を下ろす。
二人が白いスクリーンを見る。
小夜「ここからも、手紙を隠すところが、よく見えますね」
蓮太郎「そうだな」
小夜「前は、遠すぎると思いました」
蓮太郎「今は?」
小夜が蓮太郎を見る。
小夜「ここにも、聞いてくださる方がいると分かりました」
蓮太郎は小夜を見つめる。
小夜が、少し照れてスクリーンへ視線を戻す。
蓮太郎「今日、できたことは書いたか」
小夜が帳面を開く。
「最後まで、語れた」
蓮太郎が読む。
蓮太郎「もう一つ、ある」
小夜「何でしょう」
蓮太郎「また聞きたい客が、一人増えた」
小夜の鉛筆が止まる。
蓮太郎はスクリーンを見たまま、わずかに笑う。
小夜も笑い、帳面へ書き足す。
「続きを、待ってくれる人がいる」
二人の間に、穏やかな沈黙。
遠くから、水野の片づける音が聞こえる。
〇 篠宮家・座敷(夜)
タカが一通の手紙を読んでいる。
廊下から小夜の足音。
小夜「ただいま戻りました」
タカが顔を上げる。
タカ「小夜。三条家から、お返事が来ました」
小夜が座敷の入口に立つ。
タカ「征二郎さんが、近いうちにお訪ねくださるそうよ」
小夜の表情が変わる。
タカは手紙を畳む。
タカ「あなたの将来について、きちんとお話ししたいと」
小夜は鞄の持ち手へ目を落とす。
中には、今日の拍手を記した帳面。
小夜は鞄を持ち直し、タカへ向き直る。



