鈴蘭の声が、春を呼ぶ。 【シナリオ】




〇 銀鈴館・舞台脇(昼・契約から数日後)


スクリーンに、手紙を読む男が映っている。

小夜は画面を見ながら語る。

小夜「待ちわびた便りでした。けれど、戸口に足音が――」

画面の男が顔を上げる。

小夜が言葉を止める。

男は手紙を上着の内側へ隠す。

女が部屋へ入ってくる。

小夜〈女の声〉「何を、隠したのです?」

清玄が腕を組んで見ている。

小夜は続きを語る。今度は、途中で止められない。

映像が終わる。

小夜「……いかがでしょうか」

清玄「前より、映画が見えました」

小夜の顔が明るくなる。

小夜「本当ですか!?」

清玄「見えなければ、止めています」

映写の確認を終えた水野が近づく。

水野「手紙を隠すところ、今日は合っていました」

小夜「水野さんが、何度も見せてくださったので」

水野「見るたび、少しずつ変えていましたね」

小夜が、書き込みの増えた台本を見下ろす。

入口には大迫が立っている。

大迫「この作品なら、どのくらいですか」

清玄「短いものです。私の番組の一部で、試してみましょう」

小夜が顔を上げる。

小夜「お客様の前で、ですか」

清玄「ここではできました。次は、客がいるところで」

大迫「本番前に、もう一度確認してください。途中で難しくなった場合の備えも」

清玄「私が脇につきます」

大迫が小夜を見る。

大迫「出演が決まったからといって、急に語りを変えないように」

小夜「はい」

大迫が出ていく。

小夜は台本を胸へ抱く。

小夜「ありがとうございます。必ず、きちんと務めます」

清玄「まず、今できたことを忘れないように」

小夜がうなずく。

その手は、台本を強く握っている。

〇 花月堂・厨房脇(夕方)

小夜が、ふみに初舞台の予定を伝えている。

ふみ「そうかい。とうとう、お客様の前へ出るんだね」

小夜「短い作品だけですが」

ふみ「短くても、立派な初舞台だよ」

ふみが仕事の予定を確かめる。

ふみ「前の日は、早めに帰りな。ゆっくり眠っておくんだよ」

小夜「まだ、覚えておきたいところがございますので」

ふみ「覚えたことが使えるように、休むんだ」

小夜「……はい」

小夜がカップを片づける。

ふみ「声、少しかすれてないかい」

小夜の手が止まる。

小夜「今日は、お客様とたくさんお話ししましたので」

ふみ「痛くはない?」

小夜「大丈夫です」

ふみは小夜の顔を見る。

小夜が微笑み、カップを持って厨房へ向かう。

ふみの視線が、その背に残る。

〇 銀鈴館・客席(本番前日・夕方)

稽古を終えた小夜が、客席に座っている。

舞台脇には、明日の上映の準備をする人々。

小夜が客席を見回す。

蓮太郎が通路を歩いてくる。

蓮太郎「ここにいたのか」

小夜が立ち上がりかける。

蓮太郎「座っていていい」

蓮太郎が、一つ席を空けて腰を下ろす。

蓮太郎「明日は、ここに客が座る」

小夜「……はい」

蓮太郎「緊張しているか」

小夜「少し」

蓮太郎が小夜の手元を見る。

台本の端が、指に押されて曲がっている。

蓮太郎「少し、か」

小夜が気づき、指を緩める。

小夜「……かなり」

蓮太郎が小さく笑う。

蓮太郎「俺は、楽しみにしている」

小夜の頬がわずかに染まる。

小夜「必ず、ご期待に応えます」

言い終え、姿勢を正す。

蓮太郎の笑みが静まる。

蓮太郎「明日一度で、何もかも証明する必要はない」

小夜「ですが、九条様が私を選んでくださったことを、皆様に分かっていただきたいのです」

蓮太郎「君の舞台を、俺のための舞台にしなくていい」

小夜が蓮太郎を見る。

蓮太郎「ここに座る人間へ、語ってほしい」

小夜は空席へ目を向ける。

小夜「……はい」

蓮太郎が立ち上がる。

蓮太郎「今日は、もう帰ろう。俺も、帰る」

小夜「お仕事はよろしいのですか」

蓮太郎「明日、居眠りをして君に叱られたくない」

小夜が思わず笑う。

小夜「お話の途中でお眠りになる方は、珍しくありませんよ」

蓮太郎「それなら、起こしてくれ」

小夜「……起こせるように、頑張ります」

蓮太郎が小夜を見る。

蓮太郎「頑張りすぎずにな」

小夜がうなずく。

蓮太郎が入口へ向かう。

小夜は台本を閉じかけ、余白の文字へ目を落とす。

「失望させない」

〇 篠宮家・小夜の部屋(深夜)

灯りの下に、開いた台本。

小夜が立ち、声を抑えながら語っている。

小夜〈女の声〉「何を、隠したのです?」

息を吸う。

小夜〈男の声〉「君には、関わりのないことだ」

声がかすれる。

小夜が咳をする。

湯飲みに手を伸ばすが、中は空。

小夜は座り、喉へ指を添える。

外は静まり返っている。

台本を閉じる。

蓮太郎の声(回想)「俺は、楽しみにしている」

小夜の手が、表紙の上で止まる。

再び台本を開く。

小夜「……あと、一度だけ」

〇 銀鈴館・舞台脇(初舞台当日・昼)

小夜が台本を確認している。

水野が映写の準備を終え、近づく。

水野「今日は、ずいぶん早いですね」

小夜「落ち着かなくて」

水野「昨日、眠れましたか」

小夜「……少し、緊張して」

水野が小夜の顔を見る。

清玄が入ってくる。

清玄「篠宮さん。最初の一節を」

小夜が背筋を伸ばす。

小夜「待ちわびた便りでした。けれど、戸口に――」

息が続かず、小夜が小さく吸い直す。

清玄「喉に、無理をしましたね」

小夜の視線が下がる。

小夜「でも、語れます」

清玄「痛みは」

小夜「少しだけです。声は出ます」

清玄が一拍置く。

清玄「途中で声が出なくなったら、私が引き継ぎます」

小夜「最後まで、務めます」

清玄「最後まで映画を届けるために、引き継ぐんです」

小夜が口を閉じる。

清玄が水野と合図を確認する。

小夜はその様子を見つめ、台本を握り直す。

〇 銀鈴館・客席/舞台脇(昼)

客席に観客が座っている。

蓮太郎と大迫が、後方から舞台を見ている。

館内が暗くなる。

小夜が所定の位置へ立つ。

台本を置き、客席を見る。

少女、若い男女、腕を組む男。

多くの顔が、自分を向いている。

小夜の指が冷たくなる。

映像が始まる。

小夜「ある日の夕暮れ。男のもとへ、一通の便りが届きました」

声は届いている。

小夜が、わずかに息を整える。

画面の男が、手紙の差出人を確かめて慌てる。

小夜〈男の声〉「返事が遅いと怒るくせに、自分は半年も書いてこない」

稽古では水野が笑った台詞。

客席は静かなまま。

小夜の目が揺れる。

小夜「この男は、その……便りを待つ間、毎日のように郵便を確かめておりました。ですから、少々、機嫌を――」

画面の男が戸口を見る。

手紙を隠す。

小夜は説明を続けている。

女が部屋へ入ってくる。

小夜が慌てて語りを切り替える。

小夜〈女の声〉「何を、隠したのです?」

画面では、すでに男が立ち上がっている。

客「もう、その場面は終わってるぞ」

小夜の肩が強張る。

小夜「男は、何でもないと、言いながら――」

声がかすれる。

小夜が息を吸う。

言葉が出ない。

清玄が脇から近づく。

小夜は首をわずかに振り、もう一度語ろうとする。

小夜「その、手紙は……」

清玄が、静かに合図する。

清玄〈男の声〉「隠すほどの物じゃない。だから、見せるほどの物でもない」

画面の女が男へ詰め寄る。

清玄〈女の声〉「では、私が探しても、困りませんね」

客席から笑いが起きる。

水野が映写を続ける。

小夜は一歩下がる。

清玄の声が、途切れかけた物語をつないでいく。

小夜の目に涙がたまる。

台本の文字が、にじむ。

〇 銀鈴館・控室(上映後)

小夜が椅子の前に立っている。

清玄と水野へ頭を下げる。

小夜「ご迷惑をおかけしました。私が、余計なことを言ったので……」

声がかすれる。

清玄「今は、声を使わないでください」

小夜が唇を結ぶ。

水野が水を置く。

小夜は小さく会釈する。

大迫と蓮太郎が入ってくる。

大迫「次の出演は、見直しが必要です」

蓮太郎「そうだな。今の状態で、そのまま出すわけにはいかない」

小夜が顔を上げる。

蓮太郎は大迫へ向き直る。

蓮太郎「何を直す必要があるか、清玄と確認しよう」

係が入口へ来る。

係「お客様の反応を、支配人へ伝えてまいりました。やはり、喫茶店の娘では難しいのではと――」

蓮太郎「語りの問題を話せ」

係が言葉を止める。

蓮太郎「彼女の出自を、失敗の理由にするな」

小夜が蓮太郎を見る。

蓮太郎「ずれたのは、どの場面だ。客の声が出たのは、いつだ。それを確かめてほしい」

係「……承知しました」

係が去る。

大迫が契約書の控えを取り出す。

大迫「稽古を続けるにも、費用がかかります」

蓮太郎「分かっている。だが、最初の失敗で契約を打ち切る条件にはしていない」

大迫「無期限にはできません」

蓮太郎「決めた期間の中で、次の判断をする。今日のことは、記録しておこう」

大迫が清玄を見る。

清玄「映像との呼吸が崩れました。稽古でできていたことまで、見失っています」

大迫「そこが直せるかを、確認するのですね」

清玄「はい」

大迫がうなずく。

小夜は水の入った湯飲みを、両手で包んでいる。

〇 銀鈴館・廊下(夕方)

小夜と清玄が向かい合っている。

清玄「いつから、声がかすれていましたか」

小夜は答えをためらう。

清玄「怒られるかどうかではありません。次に同じことを起こさないために、聞いています」

小夜「……昨日より、前からです」

清玄「夜も、練習していた?」

小夜がうなずく。

小夜「できないまま眠るのが、怖くて」

清玄「眠れば、できることもあります」

小夜が顔を上げる。

清玄「喉も、頭も、休ませなければ働かない」

小夜の目が下がる。

清玄「今日、客が笑わなかったとき、何を考えましたか」

小夜「伝わらなかったと……」

清玄「それで、説明を足した」

小夜がうなずく。

清玄「続きを待っていた客も、いたかもしれません」

小夜が、はっとする。

清玄「笑わない理由は、一つではありません。台詞を聞きながら、画面を見ていたのかもしれない」

小夜「私は、自分が間違えたかどうかばかり……」

言葉が止まる。

清玄「分かったなら、今日は帰って休んでください」

小夜「はい」

清玄「反省も、声を使わずに」

小夜が頭を下げる。

清玄が去りかけ、振り返る。

清玄「私も若い頃、客の声に慌てて、次の場面を丸ごと飛ばしたことがあります」

小夜が顔を上げる。

清玄「客に『まだ、そこまで行ってないぞ』と言われました」

小夜の口元が、かすかに動く。

清玄「今日は、帰ることまでが稽古です」

小夜が、今度は深くうなずく。

〇 銀鈴館・入口(夕方)

鞄を持った小夜が、入口へ来る。

蓮太郎が待っている。

小夜が口を開こうとする。

蓮太郎「清玄に、声を使うなと言われただろう」

小夜が口を閉じる。

蓮太郎は手帳と鉛筆を差し出す。

小夜が受け取り、書く。

「申し訳ありません。ご期待を裏切りました」

蓮太郎が読む。

少し考えてから、小夜を見る。

蓮太郎「今日、うまくいかなかった。それは分かった」

小夜の指が止まる。

蓮太郎「だが、君を選んだことまで間違いだとは、まだ思っていない」

小夜の目に、涙がたまる。

下を向き、次の言葉を書く。

「もう一度、やってもよいのでしょうか」

蓮太郎「そのための稽古を、続ける気があるなら」

小夜がうなずく。

蓮太郎「ただし、今夜は眠ること。それも仕事だ」

小夜が手帳へ書く。

「はい」

蓮太郎は読み、手帳を閉じかける。

小夜が、そっと止める。

もう一行、書き足す。

「客席から、帰らなかったのですね」

蓮太郎が、その文字を見つめる。

蓮太郎「君が、舞台にいたからな」

小夜が顔を上げる。

蓮太郎「それに、途中で帰っては、何が起きたのか分からない」

小夜は涙を指で拭う。

手帳へ、少し時間をかけて書く。

「次は、最後まで聞いていただきたいです」

蓮太郎が静かにうなずく。

蓮太郎「俺も、そう思っている」

小夜が手帳と鉛筆を返す。

蓮太郎「帰れるか」

小夜がうなずく。

蓮太郎「では、明日は休んで、その次に来てくれ」

小夜が頭を下げる。

扉を開け、外へ出る。

蓮太郎は、その背を見送る。

〇 篠宮家・小夜の部屋(夜)

机に、台本が開かれている。

小夜が鉛筆を持つ。

余白には、「失望させない」の文字。

しばらく見つめ、ゆっくり線を引く。

隣に書く。

「誰に、何を届ける?」

さらに、短く書き足す。

「客が笑わなくても、急がない」

「画面を見る」

「困ったら、知らせる」

小夜が台本を読み返す。

台詞を口にしかけ、やめる。

表紙を閉じる。

明日ではなく、次の稽古に持っていく鞄のそばへ置く。

灯りを消す。

暗い部屋で、小夜の肩が震える。

こらえていた涙が、頬を伝う。

小夜は声を立てず、両手で顔を覆う。

やがて手を下ろし、鞄のそばに置いた台本を見る。

横になり、目を閉じる。