鈴蘭の声が、春を呼ぶ。 【シナリオ】




〇 九条家・書斎(夜・前話から続き)

蓮太郎が椅子を引く。

宗一郎の向かいへ座る。

卓には、閉じられた仮上映会の記録。

その隣に、蓮太郎が会社へ入れた金の記録。

宗一郎「結婚して、どこで暮らす」

蓮太郎「会社へ通える範囲で、住まいを探します」

宗一郎「この家を出るのか」

蓮太郎「小夜さんと相談して、決めたいと思っています」

宗一郎「何も決まっていないのだな」

蓮太郎は、すぐには答えない。

蓮太郎「結婚したいという気持ちは、決まりました。暮らしについては、これからです」

宗一郎が、金の記録を指で押さえる。

宗一郎「これを出す前に、考えなかったのか」

蓮太郎が目を落とす。

宗一郎「館を始めたい。娘を安心させたい。結婚したい。どれも、お前の望みだ」

蓮太郎「はい」

宗一郎「望んだあとで、金が足りないと言うのでは困る」

長い間。

蓮太郎「足りると、言い切れません」

宗一郎が顔を上げる。

蓮太郎「会社への立て替えが戻ることを前提に、生活を決めるつもりはありません。報酬を減らしたあとの額で、住まいと暮らしを考えます」

宗一郎「篠宮家の返済は」

蓮太郎「叔母上にも、状況を伺います。小夜さんの収入も、毎月同じではありません」

宗一郎「お前が払えばよいと、考えていたのではないか」

蓮太郎の手が止まる。

蓮太郎「……考えました」

宗一郎は黙っている。

蓮太郎「だが、それでは、また私が一人で決めることになります」

宗一郎が息子を見る。

蓮太郎「彼女の事情を片づければ、安心してもらえると思っていた。会社のことも、同じです」

蓮太郎は、自分の手を見つめる。

蓮太郎「それで、彼女に怒られました」

宗一郎の眉が、わずかに動く。

蓮太郎「知らずに安心しているために、一緒にいるのではないと」

宗一郎は椅子へ座り直す。

宗一郎「……小夜さんは、仕事を続けるのか」

蓮太郎「続けたいと言っています」

宗一郎「お前の妻になる者を、今までどおり評価できるか」

蓮太郎「私が出演を決めないこと。判断した者と、その理由を残すこと。今まで以上に、必要だと思っています」

宗一郎「都合の悪い評価でも?」

蓮太郎「聞きます。納得できなければ、理由を尋ねます。夫だからという理由で、変えさせることはしません」

宗一郎が、閉じていた上映会の記録を開く。

宗一郎「今日の取引先には、大迫から費用と出演の経緯を説明させた」

蓮太郎「先方は?」

宗一郎「配給の取引は、これまでどおりだ。上映計画への意見は、今後、会社へ出すよう伝えた」

一拍。

宗一郎「篠宮さんへの言い方は、不適切だったと認めている。本人への詫びは、大迫を通じて申し入れるそうだ」

蓮太郎「小夜さんに、伝えます」

宗一郎「会うかどうかは、本人に聞きなさい」

蓮太郎が父を見る。

蓮太郎「はい」

宗一郎は、語り手の欄へ目を向ける。

小夜の名前。

宗一郎「一度、こちらへ来ていただきなさい」

蓮太郎の姿勢が変わる。

宗一郎「叔母上も、ご一緒に」

蓮太郎「ありがとうございます」

宗一郎「まだ、許したとは言っていない」

蓮太郎がうなずく。

蓮太郎「はい。まず、話を聞いていただきたいと思っています」

〇 篠宮家・座敷(翌日・夕方)

卓に、古い帳面と書付。

タカが、一枚ずつ並べている。

小夜が戸口に立つ。

小夜「叔母様」

タカ「お入りなさい」

小夜が向かいへ座る。

卓の上の書付へ、目を向ける。

タカ「昨日の話ですが。九条様には、家のことをどこまで伝えたの」

小夜「返済があることは。詳しいことは、叔母様と確かめてからと、お話ししました」

タカがうなずく。

小夜「九条様のお父様が、叔母様にもお会いしたいと、おっしゃっているそうです」

タカの手が止まる。

タカ「私にも?」

小夜「はい。蓮太郎様から、今日、伺いました」

タカは、書付の角をそろえる。

小夜「ご一緒に、来ていただけますか」

タカ「……行きます」

小夜が息を吐く。

タカは帳面を開く。

数字の並ぶ頁。

途中から、小夜が渡した金の記録。

タカの指が、その欄で止まる。

タカ「あなた一人の借金のように、話されるのは違います」

小夜が顔を上げる。

タカ「この家で借りたものです。私が説明します」

小夜「叔母様……」

タカは、帳面を見つめたまま言う。

タカ「征二郎さんなら、あなたを迎える準備がある。それが、いちばんよいと思っていました」

小夜は黙って聞く。

タカ「あなたが苦労しないことと、この家が困らないことを、一緒に考えていたのね」

小夜の目が潤む。

タカは小夜へ目を向ける。

タカ「昨日、あなたの返事を聞いても、まだ、もったいないと思いました」

小夜の指が、膝の上で動く。

タカ「でも、あなたは、誰と暮らしたいかを話していた。私は、どちらなら困らないかを考えていた」

タカが視線を落とす。

タカ「同じ話をしていなかったのね」

しばらく、二人とも黙る。

小夜が立ち上がる。

タカの隣へ、座り直す。

小夜「私も、家のことを忘れたわけではありません」

タカ「分かっています」

小夜が帳面の一か所へ指を置く。

小夜「こちらは、私が父から預かった分でしょうか」

タカが頁を確かめる。

タカ「いいえ。それは、その前の支払いです。あなたの分は、次の頁」

二人で、帳面をめくる。

タカが一枚の書付を引き寄せる。

タカ「この額は、もう一度、先方に確かめなくては」

小夜「では、印をつけておきます」

小夜が鞄から鉛筆を取り出す。

タカは、その手元を見る。

タカ「分からないところまで、あなたが答えようとしなくていいのよ」

小夜が顔を上げる。

タカ「私が聞きます。この家のことですから」

小夜が、ゆっくりうなずく。

小夜「はい」

タカが帳面を、二人の真ん中へ寄せる。

小夜も、自分の返済の記録を隣へ置く。

二人で、一枚目から確かめ始める。

〇 花月堂の仮の仕事場(昼・数日後)

ふみが、小夜の襟元を整えている。

小夜「おかしくありませんか」

ふみ「三度目だよ」

小夜が困ったように笑う。

ふみ「着物は、おかしくない。あんたの顔が固いだけ」

小夜は、膝の上で指を組む。

ふみが小さな包みを渡す。

小夜「これは?」

ふみ「焼く場所を、少し借りられたからね」

包みの中に、菓子。

小夜が目を見開く。

小夜「花月堂の……」

ふみ「前と、まったく同じにはできなかった。味を確かめる相手が、いてもらわないと」

小夜は包みを両手で持つ。

ふみ「皆さんへ、お渡ししておくれ」

小夜がうなずく。

ふみは肩の糸くずを取る。

ふみ「全部、うまく答えようとしなくていいよ」

小夜が顔を上げる。

ふみ「分からないことは、聞いておいで。黙って困って帰ってくるんじゃないよ」

小夜の口元が緩む。

小夜「はい」

〇 九条家・客間(午後)

宗一郎、蓮太郎、美雪。

向かいに、タカと小夜。

卓には、ふみの菓子。

美雪が包みを見つめる。

美雪「花月堂のものですか」

小夜「女将さんから、皆様へと」

美雪「以前、お店でいただきました」

小夜が顔を上げる。

美雪「兄が何度も名前を出すものですから」

蓮太郎が妹を見る。

美雪は穏やかに笑い、菓子を皿へ移す。

宗一郎「本日は、お越しいただき、ありがとうございます」

タカと小夜が頭を下げる。

宗一郎「蓮太郎から、結婚の意思があると聞きました」

小夜「はい」

宗一郎「篠宮さんも、同じお考えですか」

小夜は一瞬、蓮太郎を見る。

それから宗一郎へ向き直る。

小夜「蓮太郎様と、一緒に暮らしたいと思っています」

宗一郎「仕事も、続けたいと」

小夜「はい」

宗一郎「蓮太郎の報酬は、当面、以前より少なくなる。そのことは、聞いていますか」

小夜がうなずく。

小夜「会社へ立て替えたお金についても、伺いました」

宗一郎「あなたの仕事も、収入が安定しているわけではない」

小夜「はい。収入をあてにしすぎないように、生活に必要な額を確かめています」

宗一郎「苦労することになるかもしれない」

小夜は、膝の上の手を重ねる。

小夜「怖くないとは、申し上げられません」

宗一郎が彼女を見る。

小夜「でも、私が困ることを、私のいないところで、決めないでいただきたいのです」

蓮太郎の目が、小夜へ向く。

小夜「蓮太郎様にも、そうお話ししました」

宗一郎は黙る。

美雪が静かに湯飲みを置く。

蓮太郎「私も、暮らしを変えます。小夜さんだけに、今の生活へ合わせてもらうつもりはありません」

宗一郎「家での役目も、ある」

小夜「どのようなことが必要なのか、伺いたいです」

小夜は、言葉を選ぶ。

小夜「何も知らずに、仕事と両方できますと、お約束することはできません」

宗一郎が息を吐く。

宗一郎「……まず、住まいを決めてから、相談しましょう」

小夜がうなずく。

張りつめていた指が、少し緩む。

〇 九条家・客間(午後・続き)

タカが、帳面を卓へ置く。

タカ「家の返済について、私からご説明します」

書付を順に並べる。

タカ「借りた時期と、残っている額です。こちらが、返した分になります」

宗一郎が記録を読む。

蓮太郎も、小夜とともに確かめる。

タカ「小夜が働くようになってから、多くを、この子に頼っておりました」

小夜が叔母を見る。

タカは目をそらさない。

タカ「そのことも含めて、お話しに来ました」

宗一郎「九条家へ、まとめて支払ってほしいというお話ですか」

タカ「いいえ」

はっきりした返事。

タカ「支払い先とは、私が改めて相談しております。結婚を理由に、なくしていただくつもりはありません」

蓮太郎「私たちが生活を始めたあと、小夜さんがどこまで関われるかも、相談させてください」

小夜が自分の帳面を開く。

小夜「毎月、同じ額を出せるとは考えないほうがよいと、叔母と話しました」

余白に、交通費と、稽古に必要な物。

小夜「先に、仕事を続けるための分と、生活の分を確かめます」

宗一郎は、二冊の帳面を見る。

宗一郎「今日、ここで金額を決める必要はありません」

タカが顔を上げる。

宗一郎「支払い先との話がまとまったら、もう一度、聞かせてください」

タカが深く頭を下げる。

宗一郎は書付を、丁寧に戻す。

〇 九条家・庭に面した廊下(午後)

休憩。

小夜が窓辺に立っている。

美雪が湯飲みを持ってくる。

美雪「少し、お飲みになりませんか」

小夜が受け取る。

小夜「ありがとうございます」

美雪「父は、考えていると、ああいう顔になります」

小夜「怒っていらっしゃるのかと……」

美雪「怒っているときも、似ています」

小夜が思わず笑う。

美雪も笑う。

二人で庭を見る。

美雪「兄が、自分の決めたことを、途中で話すようになりましたね」

小夜は湯飲みへ目を落とす。

小夜「まだ、これからです」

美雪がうなずく。

小夜「私も、うまく聞けない日があると思います」

美雪「そのくらいのほうが、安心します」

小夜が彼女を見る。

美雪「兄を全部分かってくださる方でなくてもいいんです。分からないことを、聞いてくだされば」

小夜の表情が和らぐ。

美雪「私にも、聞いてください。私も、伺います」

小夜が静かに頭を下げる。

〇 九条家・客間(夕方)

皆が、再び卓につく。

宗一郎が小夜を見る。

宗一郎「先日の上映は、よかった」

小夜が姿勢を正す。

小夜「ありがとうございます」

宗一郎「途中で止まったとき、あなたは客席へ話した。そのあと、取引先に問われても、仕事について答えた」

小夜は黙って聞く。

宗一郎「私は、その前に、あなたの仕事を見ていなかった」

蓮太郎が父を見る。

宗一郎「蓮太郎が気にかけている娘、という見方で、決めつけていた」

宗一郎は卓の上へ手を置く。

宗一郎「資料の件も、私が調べさせたことから始まった。訂正の申し入れは、引き続き会社で行う」

小夜がうなずく。

宗一郎「それで済むことではないが、あなたに、詫びたい」

宗一郎が頭を下げる。

小夜はすぐには動けない。

やがて、静かに会釈する。

小夜「お話しいただき、ありがとうございます」

宗一郎が顔を上げる。

小夜「今後も、私の仕事を、ご覧になっていただければと思います」

宗一郎がうなずく。

宗一郎「仕事の評価と、結婚は別の話だ」

蓮太郎「はい」

宗一郎「だが、お前が、彼女の言葉を最後まで待ったことも、見た」

蓮太郎は父を見る。

宗一郎「昨日は、分からないことを、分からないまま話した」

小夜の目が、蓮太郎へ向く。

宗一郎「何でも整えて渡すことが、相手のためとは限らないのだな」

短い間。

宗一郎は二人を順に見る。

宗一郎「結婚に、反対はしない」

蓮太郎の肩から力が抜ける。

小夜は、膝の上の手をそっと握る。

タカが深く頭を下げる。

宗一郎「ただし、今日話したことを、結婚したら忘れるのでは困る」

蓮太郎「忘れないように、話していきます」

小夜「私も、お伝えします」

宗一郎がうなずく。

宗一郎「では、準備は、双方で相談しましょう」

美雪が笑みを浮かべる。

小夜と蓮太郎は顔を見合わせる。

そろって、頭を下げる。

〇 花月堂の仮の仕事場(夜)

ふみが道具を片づけている。

小夜が入ってくる。

ふみ「お帰り」

小夜「ただいま戻りました」

ふみは、小夜の顔を見て手を止める。

小夜「お菓子、おいしいとおっしゃっていました」

ふみ「そうかい」

小夜は鞄を置く。

言葉を探す。

ふみが待つ。

小夜「結婚に、反対はしないと……」

声が詰まる。

ふみの目が潤む。

ふみ「うん」

小夜「皆様で、準備を相談すると」

小夜は笑おうとして、泣いてしまう。

ふみが近づき、背をさする。

ふみ「今日は、泣いていい日だね」

小夜がうなずく。

小夜「女将さんにも、来ていただきたいです」

ふみ「どこへ?」

小夜が涙を拭く。

小夜「結婚の……」

ふみ「最後まで言わなくていいよ」

ふみも、目元を押さえる。

ふみ「呼んでくれるなら、行くに決まっているじゃないか」

小夜が、ふみの手を両手で握る。

〇 新しい住まい・小さな部屋(午後・翌春)

窓から、春の光。

まだ荷物の少ない部屋。

中央に、一つの卓。

蓮太郎が置き場所を確かめている。

小夜は窓辺に立つ。

小夜「ここなら、明るいうちに書けますね」

蓮太郎「台本を広げると、どのくらい要る?」

小夜が鞄から台本と帳面を出す。

卓へ並べる。

蓮太郎も書類を置く。

すぐに、紙が重なる。

二人が顔を見合わせる。

小夜「少し、狭いですね」

蓮太郎「もっと大きな卓を探す?」

小夜が考える。

台本を少し寄せる。

蓮太郎も書類をまとめる。

真ん中に、空いた場所。

小夜「食事のときは、片づけましょう」

蓮太郎が笑う。

蓮太郎「そうしよう」

小夜も笑う。

窓の外から、人の声。

小夜は部屋を見渡す。

小夜「……ここへ、帰ってくるのですね」

蓮太郎が小夜のそばへ来る。

蓮太郎「二人とも」

小夜がうなずく。

蓮太郎は鞄から、小さな包みを取り出す。

小夜へ渡す。

開く。

白いハンカチ。

隅に、鈴蘭の刺繍。

小夜の手が止まる。

小夜「同じ……」

蓮太郎「同じではないと思う。前のものを、細かいところまで覚えていなくて」

小夜が刺繍へ触れる。

小夜「また、お借りするのですか」

蓮太郎「今度は、君のものだ」

小夜の目に涙が浮かぶ。

小夜「今度こそ、大切にします」

蓮太郎「前のものも、大切にしてくれた」

小夜が顔を上げる。

蓮太郎「置いてきたことを、まだ気にしているなら、もう、気にしないでほしい」

小夜はハンカチを胸へ寄せる。

蓮太郎「俺は、君に迎えてもらった」

小夜の涙が落ちる。

小夜「もう、泣かせないでください」

蓮太郎が困ったように笑う。

小夜は自分から、彼の胸元へ顔を寄せる。

蓮太郎が抱きしめる。

小夜の手には、鈴蘭のハンカチ。

卓には、二人の仕事。

〇 結婚の日・控えの部屋(朝)

晴れ着の小夜。

タカが、襟元を整える。

ふみが、その手元を見守っている。

美雪が戸口から顔を出す。

美雪「皆様、お揃いです」

小夜がうなずく。

立ち上がろうとして、帯のあたりを確かめる。

タカ「何を探しているの」

小夜「鉛筆を……」

一瞬の沈黙。

ふみが吹き出す。

美雪も笑う。

小夜が赤くなる。

タカの口元も、緩む。

タカ「今日は、書かなくていいでしょう」

小夜が笑う。

タカは小夜の肩へ手を置く。

今度は、何かを直すためではない。

タカ「よく、ここまで来ましたね」

小夜の目が潤む。

タカはその顔を見て、手を離す。

タカ「行きましょう」

〇 結婚の日・廊下(朝)

蓮太郎が待っている。

小夜が出てくる。

蓮太郎は、言葉を失う。

小夜が足を止める。

小夜「おかしくありませんか」

蓮太郎が首を振る。

蓮太郎「……きれいだ」

小夜の頬が染まる。

後ろで、ふみと美雪が目を合わせる。

タカが二人を先へ促す。

蓮太郎と小夜だけが、少しの間、廊下に残る。

蓮太郎「緊張している?」

小夜「はい」

蓮太郎「俺もだ」

小夜が顔を上げる。

蓮太郎が手を差し出す。

小夜はその手を取る。

小夜「では、ゆっくり」

蓮太郎がうなずく。

二人で、歩き始める。

〇 銀鈴館の仮上映会場(午前・春)

入口に、新しい番組の掲示。

大迫が客を迎える。

ふみは売り台の菓子を並べる。

水野が映写機を確かめる。

客席に、宗一郎と美雪。

征二郎が入り、入場券を渡す。

大迫「いつも、ありがとうございます」

征二郎「今日は、新しい作品ですね」

大迫がうなずく。

征二郎が席へ向かう。

舞台脇では、小夜が台本を開いている。

清玄が最後の確認をする。

清玄「娘が戸を開けるまで、説明を急がないこと」

小夜「はい」

蓮太郎が入口から来る。

小夜と目が合う。

蓮太郎「いってらっしゃい」

小夜が少し笑う。

小夜「まだ、ここにおります」

蓮太郎「そうだった」

清玄が、静かに台本を閉じる。

清玄「では、そろそろ」

小夜がうなずく。

蓮太郎は客席の後方へ下がる。

小夜は、語りの場所へ進む。

〇 仮上映会場・語りの場所(午前・続き)

客席が静まる。

小夜は一人ずつの顔を見ようとはしない。

それでも、そこにいる人々が分かる。

少女と母親。

征二郎。

宗一郎と美雪。

入口のふみ。

後ろに、蓮太郎。

小夜が息を吸う。

小夜「本日は、ようこそお越しくださいました」

声が、部屋の奥へ届く。

小夜「これからご覧いただくのは、ひとりの娘が、自分の足で扉を開けるお話です」

水野が映写機を回す。

白い幕へ光が届く。

小夜は、その光を見る。

そして、語り始める。

〇 新しい住まい・小さな部屋(夜)

卓に、二つの湯飲み。

小夜が稽古の帳面を開いている。

蓮太郎は、向かいで書類を読む。

小夜が一行、書く。

「今日は、娘が戸を開けるまで待てた」

鉛筆を止める。

小夜「蓮太郎様」

蓮太郎が顔を上げる。

小夜「最後の場面、少し早くなりましたか」

蓮太郎は考える。

蓮太郎「扉が開いてからは、少し」

小夜がうなずき、書き込む。

蓮太郎「でも、娘が振り返らずに歩くところは、よかった」

小夜の手が止まる。

その言葉も、書く。

蓮太郎は書類へ戻る。

今度は、彼の鉛筆が止まる。

小夜が気づく。

小夜「何か、困っていらっしゃいますか」

蓮太郎は顔を上げる。

書類を閉じかける。

その手を止める。

蓮太郎「次の上映場所について、二つの候補がある」

小夜が帳面を閉じる。

蓮太郎「どちらも、よいところと、困るところがある。まだ、決められない」

小夜は湯飲みを少し寄せる。

卓の真ん中が空く。

小夜「聞かせてください」

蓮太郎が書類を中央へ置く。

二人が、同じ紙を見る。

窓の外には、夜の街の灯り。

卓の端に、鈴蘭のハンカチ。

小夜が椅子を少し寄せる。

蓮太郎が、紙の一か所を指で示す。

小夜はそこを読み、彼へ顔を向ける。

二人の話が、始まる。

『鈴蘭の声が、春を呼ぶ』――完