鈴蘭の声が、春を呼ぶ。 【シナリオ】


〇 仮の炊き出し場(朝・数週間後)

鍋から、湯気が立つ。

ふみが汁をよそい、小夜が器を渡している。

列にいた少女が、小夜へ顔を上げる。

少女「映画、また見られる?」

小夜「見られるように、皆様で準備しています」

少女「いつ?」

小夜は、すぐには答えない。

小夜「決まったら、お知らせします」

少女がうなずき、器を受け取る。

ふみが鍋の底を確かめる。

ふみ「こちらは、あと少しだね。午後は稽古だろう」

小夜「はい。短い作品を、先生と選んでいます」

ふみ「自分の食事を忘れないこと」

小夜が笑う。

そこへ、大迫が来る。

手には、紙の包み。

大迫「借りられる部屋が見つかりました。明日、皆さんに見ていただきたいのですが」

小夜の顔が明るくなる。

小夜「映写も、できるのですか」

大迫「水野に確かめてもらいます。客席の置き方も、相談が要ります」

ふみが手を止める。

大迫「女将さんにも、来ていただけませんか」

ふみ「私が?」

大迫「客を迎える場所ですので」

ふみは小夜を見る。

小夜が、嬉しそうにうなずく。

ふみ「では、鍋を洗ってから」

〇 九条映画・仮事務所(昼)

蓮太郎と大迫。

卓に、仮上映会の計画。

大迫が費用を書き入れる。

大迫「機材の借料と、部屋代です。布や掲示は、手持ちの物も使えます」

蓮太郎「従業員の賃金は、減らさない」

大迫「その額を入れると、こちらになります」

蓮太郎が数字を見る。

鉛筆で、別の欄へ印をつける。

蓮太郎「当面、私の報酬を減らす。この分を、会社に残せば――」

大迫「それでも、最初の支払いには足りません」

蓮太郎は引き出しから、封筒を出す。

大迫の前へ置く。

大迫は、触れない。

蓮太郎「私の預金だ。立て替えとして、記録してくれ」

大迫「会長には?」

蓮太郎「話す」

大迫「先に、話してください。専務お一人の判断で帳尻を合わせることは、できません」

蓮太郎が封筒を見つめる。

長い間。

蓮太郎「……分かった」

封筒を引き戻す。

大迫が、計画の紙をそろえる。

大迫「篠宮さんは、明日の下見を楽しみにしていました」

蓮太郎の表情が、少し緩む。

大迫「費用のことも、皆で確認する予定ですが」

蓮太郎「彼女には、語りに集中してもらいたい」

大迫が顔を上げる。

蓮太郎「ようやく、次の上映を楽しみにしている。今から、不安にさせたくない」

大迫「出演する仕事の見通しを知ることは、必要です」

蓮太郎は、費用の欄を指で押さえる。

蓮太郎「会社として話せる形にしてから、伝える」

大迫は、その手を見る。

大迫「その形を作るために、何をなさるのかも、記録します」

蓮太郎がうなずく。

〇 篠宮家・座敷(夕方)

卓に、返済の帳面。

小夜が封筒をタカへ渡す。

小夜「今月は、いつもと同じ額を入れられませんでした」

タカが封筒を見る。

小夜「仮の上映が始まれば、収入になります。ただ、まだ確かなことは……」

タカ「今、持っている分を全部入れたの?」

小夜は答えをためらう。

タカが顔を上げる。

小夜「少しは、残しました」

タカが封筒を開く。

中から一部を取り出し、小夜へ戻す。

小夜「叔母様」

タカ「支払い先とは、私も話します」

小夜は動けない。

タカ「この家で借りたものです。あなたの仕事が止まれば、あなた一人が困るようにしていては、おかしいでしょう」

小夜の目が潤む。

タカは小夜の鞄へ目を向ける。

補修された持ち手。

タカ「仕事へ行くにも、金が要るのよ」

小夜が、戻された金を見る。

タカ「帳面も、もういっぱいなのでしょう」

小夜がうなずく。

タカ「新しいものを買いなさい。書く場所まで、なくさなくていい」

小夜は、両手で受け取る。

小夜「ありがとうございます」

タカは目を伏せ、封筒を閉じる。

〇 借りた集会室(翌日・午前)

空の部屋。

窓から明るい光。

水野が壁と電源を確かめている。

大迫は、入口と通路になる場所を見る。

ふみが窓の寸法を測り、小夜が新しい帳面へ書く。

ふみ「ここを塞ぐ布は、継ぎ合わせてもよいのかい」

水野「隙間から光が入らなければ。あとで確かめます」

清玄が、部屋の奥で手をたたく。

音が返る。

清玄「語る場所は、少し前にしましょう」

小夜が立つ。

蓮太郎は窓を開けている。

清玄「何か、一言」

小夜は部屋の奥を見る。

小夜〈娘の声〉「あなたに、お伝えしたいことがございます」

声が壁に返る。

小夜が口を閉じる。

清玄「どうしました」

小夜は、白い壁を見つめている。

小夜「……ここも、途中で止まったら」

蓮太郎の手が止まる。

小夜「すみません。来れば、嬉しいだけだと思っていました」

清玄は小夜の隣へ来る。

清玄「今日は、ここで、どう聞こえるかを確かめに来たんです」

小夜が顔を上げる。

清玄「怖いと分かったことも、確かめたうちです」

清玄が部屋の奥へ歩く。

清玄「今度は、私に届くくらいで」

小夜が息を整える。

一度、声を出しかけて止まる。

清玄は待つ。

蓮太郎も、窓辺で待つ。

小夜〈娘の声〉「あなたに、お伝えしたいことがございます」

清玄がうなずく。

清玄「届きました」

小夜が息を吐く。

その様子を、蓮太郎が見つめている。

〇 集会室・入口(昼)

征二郎が、紙の包みを持って来る。

大迫が受け取る。

大迫「ありがとうございます。掲示に使わせていただきます」

征二郎「枚数が足りなければ、知らせてください」

小夜が気づく。

二人は少し離れたところで、顔を合わせる。

小夜「征二郎さん」

征二郎「叔母上から、ここで始めると聞いた」

小夜がうなずく。

小夜「この間は、叔母のことも、ありがとうございました」

征二郎「無事だった。それを知らせただけだよ」

小夜は、言葉を探す。

征二郎が部屋を見る。

征二郎「今度は、ここで語るんだね」

小夜「はい。まだ、準備ができれば、ですが」

征二郎は、並べ始めた椅子へ目を向ける。

征二郎「始まったら、知らせてほしい」

小夜が顔を上げる。

征二郎「招待ではなく、入場の仕方を」

小夜の目元が和らぐ。

小夜「……お知らせします」

蓮太郎が近づく。

蓮太郎「お力添えに、感謝します」

征二郎が会釈する。

一瞬、二人の目が合う。

征二郎「彼女の仕事を見に来ます」

蓮太郎は、静かにうなずく。

征二郎は大迫へ挨拶し、外へ出る。

小夜は、その背を見送る。

蓮太郎は、すぐには小夜へ声をかけない。

〇 集会室・控えに使う小部屋(午後)

小夜が、窓の寸法を書いた紙を持って来る。

戸が少し開いている。

中で、蓮太郎と大迫が話している。

大迫「会長は、立て替えの記録を残すようにと」

蓮太郎「それでいい」

大迫「報酬を減らす期間も、決める必要があります」

小夜の足が止まる。

大迫「次の上映が予定どおりにできなければ、専務が入れた分だけで――」

蓮太郎「分かっている」

小夜が、戸をたたく。

二人が顔を上げる。

小夜は紙を差し出す。

小夜「女将さんから、こちらを」

大迫が受け取る。

小夜は、卓の上を見る。

費用の計算。

蓮太郎の名前。

「立替金」

小夜「今のお話を、伺ってもよろしいでしょうか」

蓮太郎が書類をそろえる。

その動きに、小夜の目が止まる。

大迫「仮上映の費用についてです」

小夜「蓮太郎様が、お出しになるのですか」

蓮太郎「最初に必要な分を、立て替える」

小夜「お給金も、減らすと……」

蓮太郎は答えない。

大迫が書類を卓へ置く。

大迫「私から、会長への確認事項を整えてきます」

大迫が部屋を出る。

戸を閉める。

〇 集会室・小部屋(午後・続き)

小夜と蓮太郎。

窓の外から、椅子を動かす音。

小夜「いつ、お決めになったのですか」

蓮太郎「昨日、父と話した」

小夜「今日、教えてくださるつもりでしたか」

蓮太郎は、言葉を選ぶ。

小夜「さきほどまで、私も、ここにいました」

蓮太郎「まだ、費用がすべて決まったわけではない」

小夜「分からないことは、分からないまま、教えていただけませんか」

蓮太郎が彼女を見る。

小夜「私は、次に語れると聞いて、喜んでいました。皆様にも、準備していますと……」

蓮太郎「その言葉は、間違っていない」

小夜「でも、何で準備ができているのか、知りませんでした」

沈黙。

蓮太郎「君には、語りに集中してほしかった」

小夜の指が、帳面を握る。

蓮太郎「ようやく、次を楽しみにしている。その気持ちを――」

小夜「私が心配すると、集中できなくなると、お思いでしたか」

蓮太郎「今の君に、これ以上――」

小夜「今の私では、聞けませんか」

蓮太郎が口を閉じる。

小夜の目が潤む。

小夜「額の傷は、痛いとおっしゃってくださいました」

蓮太郎は小夜を見る。

小夜「それより大きなことは、私には見えません。話してくださらなければ」

蓮太郎「会社の金の話だ。君に背負わせることではない」

小夜「会社の判断を、私に任せてほしいのではありません」

小夜が一歩近づく。

小夜「蓮太郎様が困っていらっしゃることまで、知らずにいたくないのです」

蓮太郎「知れば、君は気にする」

小夜の動きが止まる。

蓮太郎「出演料を減らしてくれとか、無理をしてでも働くとか、そう考えるだろう」

小夜は答えない。

蓮太郎「だから、こちらで整えてから――」

小夜「私の答えも、先にお決めになるのですね」

蓮太郎が息を詰める。

小夜「私には、困ったことを話してよいと、おっしゃいました」

蓮太郎「君に心配をかけたくなかった」

小夜の涙が落ちる。

小夜「私は、心配しないために、あなたといるのではありません」

蓮太郎は、何も言えない。

廊下で、水野が小夜を呼ぶ。

小夜は目元を拭く。

小夜「声を確かめる約束がありますので」

戸口へ向かう。

蓮太郎「小夜さん」

小夜が止まる。

振り返らない。

蓮太郎「……話を、終わらせたくない」

小夜は、少しの間を置く。

小夜「私もです」

戸へ手をかける。

小夜「でも、今は、うまく聞けません」

小夜が部屋を出る。

蓮太郎は追いかけない。

卓の上へ手を置く。

そろえた書類の下から、費用の欄がのぞいている。

〇 集会室・語りの場所(午後)

小夜が台本を開く。

清玄が、少し離れて立っている。

水野が準備をする。

映像。

娘が、青年へ手紙を差し出す。

小夜〈娘の声〉「渡せなかったものが、あります」

青年が手を伸ばす。

小夜の声が、強くなる。

小夜〈娘の声〉「今度こそ、読んでいただきたくて」

清玄「そこまで」

小夜が顔を上げる。

清玄「娘は、責めていますか」

小夜の手が止まる。

清玄は待つ。

小夜が台本を見る。

小夜「……いいえ」

清玄「では、娘の気持ちへ戻りましょう」

小夜がうなずく。

だが、次の言葉が出ない。

小夜「先生。少し、お時間をいただけますか」

清玄「ええ」

水野が映写を止める。

小夜は椅子へ座る。

新しい帳面を開く。

「娘が手を伸ばすまで、待つ」

その下へ、鉛筆を置く。

書けない。

小夜は帳面を閉じ、両手で押さえる。

〇 集会室・廊下(夕方)

蓮太郎が戸口に立っている。

小夜が鞄を持って出てくる。

二人は足を止める。

蓮太郎「送ってもいい?」

小夜は、彼の顔を見る。

迷う。

小夜「今日は、一人で帰ります」

蓮太郎がうなずく。

蓮太郎「分かった」

小夜は一歩進む。

止まる。

小夜「明日は、稽古に来ます」

蓮太郎が顔を上げる。

小夜「仕事を、やめるお話ではありません」

蓮太郎は目を伏せる。

蓮太郎「……うん」

小夜が頭を下げる。

階段を下りていく。

蓮太郎は見送る。

握りかけた手を、ゆっくり開く。

〇 花月堂の仮の仕事場(夜)

ふみが布を畳んでいる。

小夜が隣へ座る。

ふみは顔を見て、何も尋ねない。

小夜も布を取る。

二人で畳む。

小夜「怒ってしまいました」

ふみ「うん」

小夜「私のためだと、分かっていたのに」

ふみは小夜の手元を見る。

何度も角を合わせ直している。

小夜「心配すると思ったから、言わなかったと」

ふみ「心配するんだろう?」

小夜「します」

即座に答える。

ふみが、小夜を見る。

小夜の目が潤む。

小夜「でも、聞きたかったんです」

ふみは畳んだ布を置く。

ふみ「今日は、それを言えたんだね」

小夜がうなずく。

小夜「言ったあと、会いたくなくなると思いました」

ふみ「そうならなかった?」

小夜は首を振る。

小夜「今も、会いたいです」

ふみが静かに息を吐く。

ふみ「だったら、まだ話すことがあるんだろうね」

小夜は布の端を押さえる。

今度は、折り直さない。

〇 九条映画・仮事務所(夜)

蓮太郎が一人で座っている。

手帳を開く。

「篠宮君には、稽古に集中してもらう」

昼間に書いた一行。

蓮太郎は鉛筆で、その文へ線を引く。

手が止まる。

小夜の声(回想)「私の答えも、先にお決めになるのですね」

蓮太郎は、費用の計算を引き寄せる。

大迫が戻ってくる。

大迫「まだ、お帰りではなかったのですか」

蓮太郎「この計画を、もう一度見てほしい」

大迫が卓へ近づく。

蓮太郎「私が立て替えれば、始められる。それで、先へ進めようとした」

大迫がうなずく。

蓮太郎「続けられるかどうかは、まだ答えが出ていない」

蓮太郎が紙を差し出す。

蓮太郎「上映日を増やせば、収入は増える。だが、準備する者に無理が出る。減らせば、借料が重くなる」

大迫が椅子へ座る。

蓮太郎「一人では、決められずにいる」

大迫は鉛筆を取る。

大迫「では、人数と仕事から、もう一度出しましょう」

蓮太郎がうなずく。

二人が同じ紙を見る。

〇 篠宮家・小夜の部屋(夜)

小夜が新しい帳面を開く。

昼間、書けなかったページ。

鉛筆を持つ。

「今日は、怒った」

しばらく見つめる。

その下へ、もう一行。

「話は、まだ終わっていない」

小夜が帳面を閉じる。

鞄から台本を取り出す。

娘が、青年へ手紙を差し出す場面。

小夜は声を出さず、台詞を読む。

「今度こそ、読んでいただきたくて」

頁の端を、そっと伸ばす。

机の灯りの中で、明日の稽古の印を書き入れる。