鈴蘭の声が、春を呼ぶ。 【シナリオ】



〇 避難先の広場(朝)

薄い光。

小夜が、木の幹にもたれて眠っている。

膝には、閉じた稽古の帳面。

隣で、ふみが目を覚ます。

小夜の肩が震えている。

ふみは自分の肩掛けを、小夜へ掛ける。

小夜が目を開ける。

一瞬、自分がどこにいるのか分からない。

遠くの煙。

身を寄せ合う人々。

小夜は、鞄を確かめる。

帳面はある。

ハンカチはない。

そこへ、水野が戻ってくる。

小夜が立ち上がる。

小夜「何か、分かりましたか」

水野「清玄先生たちの居場所が分かりました。従業員は、皆そちらにいます」

ふみが息を吐く。

小夜「よかった……」

水野は、言葉を続けられない。

小夜が、その顔を見る。

水野「銀鈴館は、火が回ったそうです」

小夜の手が、鞄の持ち手で止まる。

水野「今は、近づけません」

小夜がうなずく。

一度。

もう一度。

ふみが小夜の背へ手を添える。

小夜は、涙をこぼさない。

ただ、鞄を握り続ける。

〇 横浜・避難した広場(朝)

蓮太郎と大迫が、道の状況を聞いている。

男「途中までは行ける。だが、その先は分からない」

蓮太郎「東京から来た方は、いませんか」

男が首を振る。

蓮太郎は、ほかの人の集まる方へ目を向ける。

大迫「同じことを、何人にも聞きました」

蓮太郎「誰かは、知っているかもしれない」

蓮太郎が歩き出す。

足がもつれる。

大迫が腕をつかむ。

大迫「食べてください」

蓮太郎「今は――」

大迫「倒れたら、戻れません」

蓮太郎が大迫を見る。

大迫は、握った腕を離さない。

長い間。

蓮太郎が、差し出された食べ物を受け取る。

一口、口へ入れる。

大迫も、隣へ座る。

蓮太郎「……会ったら、何と言おう」

大迫は答えない。

蓮太郎「無事でいてくれれば、それでいいと思っていたのに」

握った手が震える。

蓮太郎「顔を見ないと、何も信じられない」

大迫が、静かにうなずく。

〇 避難先の広場(昼)

清玄が、小夜たちのそばへ来る。

小夜が立ち上がる。

小夜「先生!」

清玄も、足を速める。

小夜の顔を確かめる。

清玄「怪我は?」

小夜「ありません」

清玄はふみと水野にも目を向ける。

二人がうなずく。

清玄が、ようやく息を吐く。

小夜「台本を、置いてきてしまいました」

清玄は小夜を見る。

小夜「書き込んだところも、全部……」

小夜の声が詰まる。

清玄は、小夜が胸に抱えている帳面を見る。

清玄「残ったものから、また始めましょう」

小夜「でも、同じには書けません」

清玄「ええ」

小夜が顔を上げる。

清玄「私も、同じには教えられないと思います」

清玄は隣へ座る。

清玄「だから、もう一度、確かめなくては」

小夜は、膝の上の帳面を見つめる。

遠くから、少女の声。

少女「お姉さん。鳥の続きをして」

小夜は顔を上げる。

だが、声が出ない。

清玄が少女へ向き直る。

清玄「今日は、私の話を聞いてくれませんか」

少女「鳥?」

清玄「鳥は、私より、このお姉さんが詳しいので」

小さな笑い。

清玄が子どもたちの前へ座る。

小夜は、その背を見る。

帳面を抱えたまま、ふみの隣へ座り直す。

〇 篠宮家・門前(午後・数日後)

小夜が門の前で足を止める。

傷んだ塀。

窓に打ちつけられた板。

玄関が開く。

タカが立っている。

小夜「叔母様……」

タカが近づく。

小夜の肩へ手を置く。

強く、確かめるように。

タカ「遅かったじゃないの」

小夜「すみません。道が――」

タカ「分かっています」

声が揺れる。

小夜は、叔母の顔を見る。

タカ「無事だとは聞いた。でも、顔を見なければ……」

タカは言葉を切る。

小夜の袖についた埃を払う。

払っても、取れない。

タカの手が止まる。

小夜が、その手へ触れる。

小夜「戻りました」

タカがうなずく。

小夜を、家の中へ連れていく。

〇 篠宮家・座敷(午後)

卓に、水と食べ物。

タカが小夜の前へ置く。

小夜は座ったまま、家の中を見ている。

タカ「食べなさい」

小夜「女将さんたちにも、少し、持っていってよろしいですか」

タカ「あなたの分まで、持っていくのではありませんよ」

小夜がうなずく。

タカは別の包みを作る。

小夜は、それを見つめる。

小夜「征二郎さんが、知らせてくださったのですね」

タカ「ええ。私の無事も、あなたに伝えると」

小夜は目を伏せる。

タカ「今は、こちらへは寄らずに、人を通じて知らせをくださる」

小夜の手が止まる。

タカは包みを閉じる。

タカ「お礼は、私から伝えておきます」

小夜が、小さく頭を下げる。

〇 九条映画・倉庫前(昼・後日)

荷車。

蓮太郎が、担当者と在庫を確かめている。

大迫が帳面へ記録する。

担当者「毛布は、こちらです。布地も、使えるものを分けました」

蓮太郎「出した数を残してくれ」

大迫がうなずく。

水野が、通りの向こうから来る。

蓮太郎が気づく。

持っていた布を置く。

蓮太郎「水野!」

水野が駆け寄る。

水野「専務。お戻りになったと聞いて」

蓮太郎が水野の腕へ触れる。

蓮太郎「皆は」

水野「無事です。清玄先生も、篠宮さんも」

蓮太郎の顔が、わずかにゆがむ。

蓮太郎「……今、どこに」

水野が場所を説明する。

蓮太郎は最後まで聞こうとする。

だが、足が先に動く。

大迫「専務。こちらの荷も運びます」

蓮太郎が止まる。

荷車を見る。

待っている人々へ運ぶ毛布。

蓮太郎「……一緒に行こう」

蓮太郎が荷へ手を伸ばす。

今度は、しっかりと持ち上げる。

〇 避難先の広場(午後)

小夜が、ふみと布を畳んでいる。

近くでは、清玄が子どもたちへ話している。

小夜「こちらは、小さなお子さんの分に」

ふみ「うん」

広場の入口が、少し騒がしくなる。

荷車が入ってくる。

小夜は顔を上げない。

布の端を合わせる。

指が震えて、ずれる。

ふみが、そっと端を押さえる。

蓮太郎「小夜さん」

小夜の手が止まる。

聞こえた方を見る。

蓮太郎が立っている。

埃のついた上着。

額の傷。

小夜は、ゆっくり立つ。

布が膝から落ちる。

蓮太郎が近づく。

小夜も、一歩進む。

小夜「……蓮太郎様」

蓮太郎はうなずく。

小夜が、その袖へ触れる。

確かめるように、指を動かす。

額の傷へ目が向く。

小夜「血が……」

蓮太郎「もう、止まっている」

小夜の呼吸が乱れる。

小夜「無事なら、どうして――」

言いかけて、止まる。

小夜は首を振る。

小夜「違います。そんなことを、申し上げたいのでは……」

蓮太郎が、小夜の手を握る。

小夜はその手を見て、もう片方の手も重ねる。

小夜「分かっていたのに」

涙が落ちる。

小夜「道も、連絡も、何も分からないと……分かっていたのに」

蓮太郎「うん」

小夜「ずっと、いらっしゃる方を見ていました」

蓮太郎の目も潤む。

小夜は彼の上着を握る。

蓮太郎が、その身体を抱き寄せる。

小夜は顔を伏せる。

蓮太郎「会いたかった」

小夜の肩が大きく震える。

小夜「私も……」

蓮太郎は抱く腕を緩めない。

ふみが、落ちた布を拾う。

二人のそばから、静かに離れる。

小夜「お帰りなさい」

蓮太郎は、小夜の髪へ頬を寄せる。

蓮太郎「ただいま」

〇 避難先の広場・木のそば(夕方)

小夜と蓮太郎が並んで座っている。

二人の手は、まだつながっている。

小夜が、彼の額の傷を見る。

蓮太郎「そんなに見ると、気になってくる」

小夜が慌てて目をそらす。

小夜「痛くないと、おっしゃるから」

蓮太郎「少し、痛い」

小夜が顔を戻す。

蓮太郎「……嘘をついた」

小夜は泣き笑いになる。

小夜「そういうことは、先におっしゃってください」

蓮太郎がうなずく。

小夜は清潔な布を受け取り、傷の近くをそっと拭く。

蓮太郎は、触れる指を見つめる。

小夜「鈴蘭のハンカチを、置いてきてしまいました」

蓮太郎の目が上がる。

小夜「台本と一緒に。取りに戻ろうと思ったのですが……」

声が詰まる。

蓮太郎が手を握り直す。

蓮太郎「戻らなくてよかった」

小夜は目を伏せる。

小夜「帰っていらしたら、お返しすると」

蓮太郎「君が、ここにいる」

小夜が彼を見る。

蓮太郎「それより大事なものを、俺は渡していない」

小夜の目から、また涙が落ちる。

蓮太郎は内ポケットから、封筒を出す。

小夜の手紙。

端が少し折れている。

小夜「持っていてくださったのですね」

蓮太郎「船では、読めなかった」

小夜が封筒へ触れる。

蓮太郎「早く会いたいと、書いてあった」

小夜の頬が赤くなる。

蓮太郎「何度も、そこを読んだ」

小夜は彼の手から、そっと封筒を押し戻す。

小夜「今も、同じです」

蓮太郎は小夜を見つめる。

小夜「もう、会っているのに」

蓮太郎が微笑む。

つないだ手へ、額を近づける。

小夜は、彼の肩へ身を寄せる。

今度は、二人とも何も言わない。

〇 避難先の広場・物資の受け渡し場所(夕方)

大迫と水野が、毛布を渡している。

宗一郎が従業員とともに来る。

大迫が気づき、頭を下げる。

大迫「会長」

宗一郎「こちらへ運んだと聞いた」

大迫が帳面を差し出す。

宗一郎は受け取る。

記録を見る。

その向こうに、木のそばへ座る蓮太郎と小夜。

小夜は蓮太郎の肩へ寄りかかっている。

宗一郎の視線が止まる。

少女が、母親と毛布を受け取りに来る。

少女「お姉さん、今日は、泣いてた」

母親「ご心配な人に、会えたのよ」

少女「お話は?」

母親「今日は、お休みさせてあげましょう」

宗一郎が少女を見る。

少女「暗いとき、鳥の話をしてくれたの」

宗一郎は、再び小夜へ目を向ける。

大迫は何も説明しない。

宗一郎が帳面を返す。

宗一郎「足りないものを、書いておきなさい」

大迫「承知しました」

宗一郎「会社にも、限りはある。どこへ何を出したかは、確かめる」

大迫がうなずく。

蓮太郎が父に気づき、立ち上がる。

小夜も立とうとする。

蓮太郎が、そっと手で止める。

小夜はうなずく。

宗一郎は、そのやり取りを見ている。

〇 避難先の広場・入口(夕方)

蓮太郎が父の前に立つ。

宗一郎は、額の傷を見る。

宗一郎「手当ては」

蓮太郎「してもらいました」

宗一郎がうなずく。

蓮太郎「美雪は、無事ですね」

宗一郎「ああ。お前の帰りを待っている」

蓮太郎が息を吐く。

宗一郎「会社の様子は、見たか」

蓮太郎「倉庫と、使える部屋を確認しました。本社は、まだすべてには入れません」

宗一郎「明日、残った者で話をする。来なさい」

蓮太郎「はい」

宗一郎は、小夜のいる方を見る。

宗一郎「……今日は、もう少し、ここにいてよい」

蓮太郎が父を見る。

宗一郎「顔を見なければ、落ち着かないこともある」

宗一郎は、それ以上言わない。

従業員へ声をかけ、入口の方へ歩いていく。

蓮太郎は、その背へ頭を下げる。

〇 避難先の広場(夜)

小さな灯り。

清玄が、子どもたちの前に座っている。

小夜と蓮太郎は、少し離れたところで聞いている。

清玄〈旅人の声〉「さて、鳥は、どちらへ行ったのでしょう」

少女「お姉さんの鳥?」

清玄「そうです。私には、まだ教えてくれません」

少女が小夜を見る。

小夜は笑う。

清玄が、続きを語る。

小夜は蓮太郎へ顔を寄せる。

小夜「今日は、私も聞く側にいます」

蓮太郎「うん」

小夜「何もしないと、不安だったのです。お話ししていれば、少し、考えずに済みました」

蓮太郎は聞いている。

小夜「でも、途中で、蓮太郎様のお顔が浮かんで……」

言葉が止まる。

蓮太郎が、小夜の手を取る。

小夜は握り返す。

清玄の声。

子どもたちの、小さな笑い。

小夜がその方へ顔を向ける。

蓮太郎は、隣にいる小夜を見る。

〇 九条映画・残った会議室(翌朝)

埃を払った卓。

宗一郎、蓮太郎、大迫。

従業員が、損失と使える物の一覧を置く。

大迫「銀鈴館の再建は、すぐには難しい状況です」

宗一郎が紙を見る。

蓮太郎は、別の紙を卓へ出す。

蓮太郎「場所と機材を借りて、小さな上映から始めることはできないでしょうか」

大迫が目を通す。

宗一郎「機材も、場所も、金が要る」

蓮太郎「はい」

宗一郎「従業員の生活もある。始めればよいという話ではない」

蓮太郎は費用の欄へ目を落とす。

空白。

大迫「使える作品と、借りられる物を、先に調べます」

蓮太郎がうなずく。

宗一郎「私財を入れれば済むと、簡単に考えるな。会社が続かなければ、その金も一度で終わる」

蓮太郎は口を開きかける。

閉じる。

宗一郎「何か、考えているのか」

蓮太郎「……まず、必要な額を出します」

宗一郎がうなずく。

蓮太郎は、空白の欄へ鉛筆を置く。

〇 九条映画・廊下(昼)

小夜が、包みを持って待っている。

会議を終えた蓮太郎が来る。

顔が合うと、小夜が笑う。

小夜「女将さんから、皆様へ。少しですが、食べるものを」

蓮太郎が受け取る。

蓮太郎「ありがとう」

小夜「お話は、いかがでしたか」

蓮太郎は、手元の書類を重ねる。

費用の欄が、下へ隠れる。

蓮太郎「もう一度上映できるように、調べることになった」

小夜の顔が明るくなる。

小夜「私も、お手伝いできることがあれば」

蓮太郎「清玄と、語れる作品を考えておいてくれる?」

小夜「はい」

蓮太郎は、その嬉しそうな顔を見る。

小夜「ほかには?」

蓮太郎が一瞬、黙る。

手元の書類。

まだ埋まっていない費用。

蓮太郎「今は、それで」

小夜がうなずく。

包みを置く場所を探し、部屋へ向かう。

蓮太郎は、その背を見送る。

重ねた書類を、胸元へ寄せる。

内ポケットには、小夜の手紙。

蓮太郎の指が、その上で止まる。